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カテゴリ:国内旅行
■2023.5/25-3 大洲城は、大洲市にある日本100名城のひとつ。 天守は復元されたものですが、櫓は当時のものが残っています。 江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。 伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。 また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成往時を忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。 江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。 天守は本丸の南東隅に建てられ、北に高欄櫓、西に台所櫓を配置し渡り櫓で連結した複合連結式層塔型4重4階である。 中央付近に心柱が通され、それに伴い2階の床には吹き抜けが造られていた。 外観は、下見板張りで、比翼千鳥破風、千鳥破風、向唐破風で屋根を飾り、窓には連子窓が多用されたが、2階には華頭窓のみが並べられていた。 天守は2004年、残っていた絵図や古写真をもとに、忠実に木造で復元。 勿論、エレベーターはありません。 2020年春には、観光PRとして天守に宿泊できる企画も始まるようだ。 一日一組限定で、宿泊料は100万円以上の設定とこじんまりした天守からの、大洲の町並み、肱川の流れと富士山(とみすやま)の眺めは、まこと“伊予の小京都”です。 お城の下には、ホテルがある。 内子と同じく、壁が黄色い。 ●大洲はもと港を意味する「津」という文字を用い、大津と称していました。 「大洲に変えたのは、慶長14年(1609)、この地の城主となった脇坂安治。 彼は、近江脇坂庄の人で、故郷の大津の地名と紛らわしいと考えたのだろう。 脇坂家はのち播州龍野に移り、江戸期はずっと龍野城主だった。 「街道をゆく14」より 」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 大洲を出て、海沿いに最終目的地の松山市に向かう。 その前に、JR「下灘駅」に寄るが、とにかく、大洲で南伊予は終わりだ。 (略)県境の上で、藤原さんと矢野さんに別れた。 松野町の習慣では、南へ去る知人を県境まで送るという。 私どももその習慣どおり送られた。 まるい顔の藤原さんは、右手をすこしあげて、 「お道を。・・・」と呪文のようにつぶやいた。 お道を、とは南伊予のことばで、一路平安を祈る、という意味である。 この優しい習慣は、江戸期からこの街道筋で伝えきているらしい。 「街道をゆく14 南伊予・西土佐の道」司馬遼太郎 ********** 「お道を」って素晴らしい言葉。 この短い言葉の中に、「さようなら」と「御無事で」が入っている・・・。 この言葉は、松野町の人が県境を越え南へ去る人におくった言葉だというが、全伊予、いや四国全土で流行ればいいのにと思う。 お遍路さんにかける言葉として最高だ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■下灘駅(しもなだえき)■ 松山駅から普通列車に揺られ、およそ1時間。 ホームにぽつりと佇むのは、古びた上屋とベンチ。 何一つ遮るものがない、瀬戸内海の眺望。 下灘駅(しもなだえき)は、愛媛県伊予市双海町大久保にある、四国旅客鉄道(JR四国)予讃線(愛ある伊予灘線)の駅である。 下灘駅にあるのは、唯一無二のフォトジェニックなロケーションです。 日中は紺青、たそがれ時は茜色に染まる視界。 そして地元の方が育てた四季折々の花たち。 いつ訪れても心ときめく情景が迎えてくれます。 数々の映画やドラマのロケにも使われ、今や日本一有名な海の見える駅と言っても過言ではありません。 ホームから広い海(伊予灘)を眺めることができ、駅周辺は鉄道写真の撮影名所の一つとして鉄道ファンの間に知られている。 海面を埋め立てる形で国道378号が開通するまでは、ホームの下にすぐ波が打ち寄せるほど線路と海岸が近接した「日本一海に近い駅」 だった(この名称は現在でも使用される場合がある)。 下灘駅の目の前で営業しているオープンエアカフェスタンド。 可愛らしいフォルムの白いワゴンが印象的で、写真映えもバッチリです♪ 国道378号線はかつて存在せず、駅のすぐ下まで海が広がっていました。 駅前に置いてあるベンチの背に、四国が・・・。 ●隣の駅は「串」。 「串」地名が「岬」の地名に多いのは、朝鮮語の「コス」(岬の意味)から来ているという説がある。 西日本に「串」地名が多いのは、やはり渡来人との関係を思わしめる。 ▲観光客がけっこういる。▼ 駅の近くの家は無人が多かった。 階段があちこちにあったが、山と海に挟まれた土地で、作物を作るために登った階段ではないかと思う。 ▲日が暮れてきたので、この日の宿、松山に急ぐ。▼ 途中、宮下 松山自動車道伊予灘SA(上り)で一休み。 石手寺(いしてじ)へまはれば春の日暮れたり 子規 明治28年作。 石手寺は真言宗豊山派の古刹で四国霊場51番札所。 子規はこの年、病気療養のために帰省。 漱石の下宿である愚陀仏庵で50日あまり同居した。 同9月20日、柳原極堂と共に石手川堤や石手寺を吟行した。 SAから町が見えた。松山だろう。 この日の夕食は「餃子の王将」。 ●16692歩 ■四国へ■2023.514~5月28 ■5月14-1■フェリーで四国へ/人形浄瑠璃■ ■5月14-2■徳島城公園と蜂須賀家■ ■5月15■徳島市・眉山/藍の館他■ ■5月16■徳島県:重伝建の島・出羽島(てばしま)■ ■5月17-1■高知県:室戸岬/ジオパーク/弘法大師伝説■ ■5月17-2■高知県・室戸市:重伝建:雨風から家をまもる■ ■5月17-3■高知県:モネの庭■ ■5月18-1■高知県:安芸市のシンボル野良時計等■ ■5月18-2■高知県:弁天座・絵金・牧野植物園■ ■5月19-1■高知県:高知城■ ■5月19-2■高知県:龍馬の生まれた町■ ■5月20■高知県と愛媛県にまたがるホテル■ ■5月21■高知県:カルスト公園・天空の道/屋根のある橋■ ■5月22-1■四万十川:沈下橋と遊覧船■ ■5月22-2■四万十市郷土博物館/安並水車/足摺岬■ ■5月23-1■足摺岬/ジョン万次郎■ ■5月23-2■見残し海岸/宿毛市・林邸■ ■5月24-1■愛媛県:宇和島城/天赦園■ ■5月24-2■宇和島の町/宇和島橋/西予市町歩き■ ■5月25-1■木蝋で栄えた重伝建の町・内子、内子座■ ■5月25-2■大洲市:晩翠荘/臥龍山荘■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.08.19 00:44:17
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