テーマ:国内旅行について(2617)
カテゴリ:国内旅行
■2023.11.13 2023年11月13日(月)~20日(月)まで、瀬戸内海をぐるりと周ってきた。 大阪南港からオレンジフェリーで四国・愛媛県の東予港へ。 船内でテレビをみたり、大浴場に入ったりと船の旅は快適。 ●1694歩 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■2023.11.14 ■今年5月、四国を旅行した時は、帰り■東予港→大阪南港。 今回は、反対に大阪南港を夜10時に出発し、朝6時に東予港に着いた。 朝6時だとどこも開いていないので、早朝から開いていた「ガスト」で朝食をとりながら、時間つぶし。 別子銅山の跡へ。 別子銅山(べっしどうざん)は、愛媛県新居浜市にあった銅山。 総産銅量は日本第2位の約65万トン。日本三大銅山の一つ。 「東洋のマチュピチュ」とよばれる場所には、 バスで行き、ガイドさんの案内で見て回った。 ▲「東平(とうなる)」地区には、炭鉱で働く人や家族の家が連なっていた。 そのため、資材や生活用品を背負って運搬する人を「仲持(なかもち)」といった。 「仲持(なかもち)」たちは、男は45キロ、女は30キロ背負って山を登っていた。 ▲利用者が、かごのようだということから「かご電車」とよんだ人員の輸送車。▼ ▲真ん中の車両が「かご電車」で観光客の乗ることができる。▼ ▲「東平」と書いて「とうなる」と読む。 同じ愛媛県の松山城は■「長者平」=「ちょうじゃなる」■と読む。 ▲胴を作る過程で出来た「からみ=廃棄物」で作ったレンガ。 ものすごく重い。▼ ▲住友家は代々「泉屋」の商号で銅銀商を営んでいた。 井桁マークは「泉屋」から。 元禄4年(1691年)の開坑から1973年(昭和48年)の閉山まで283年間、一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。 1900年(明治33年)の銅山川鉱毒事件や製錬所の煙による煙害など、複数回公害問題が発生している。 銅精錬排ガスによる公害が発生。 水稲が多大な被害を受けた。 ▲四阪島から移築した「日暮邸」 そこで新精錬所の候補地を20キロ離れたの四阪島に決定。 迎賓洋館を四阪島の製錬所を見渡せる高い場所に建設した。 それは当主の煙害克服に対する強い関心の現れであったといわれている。 その後、四阪島製錬所の設計技師たちが日の暮れるまで同館で煙害をなくする構想を練っていたことから日暮別邸と呼ばれるようになった。 ●9485歩 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.11.23 11:22:57
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