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2023.11.25
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カテゴリ:国内旅行

■2023.11.15-2
今治城を見た後、
今治→大島→伯方島→大三島と橋が島を繋いでいる。

その橋を渡って、大三島に着いた。
この日2人目のガイドさんの案内で、大山祇(おおやまづみ)神社へ。

▲二の鳥居。

一の鳥居は、船で参拝に来る人が多かったので、海の近くにあるそうだ。

斎田(神田) - 御田植祭・抜穂祭時に神事が行われる。

●無形文化財:一人角力●
毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)において、大山祇神社の御淺敷殿と神饌田の間に設けられた土俵で行われる相撲神事である。
 「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、稲の精霊が2勝1敗で勝つ。
「すもう」は一般に「相撲」の字を当てるが、ここでは、相撲を含めた広義の力くらべである「角力」の文字を用いて一般の相撲とは違うこと、神との力くらべを表すとされる。

●御棧敷殿(おさじきでん)●
素木造で入母屋造銅板葺。
斎田前に建てられ、御田植祭・抜穂祭時に神輿が渡御する。

りっぱな山門を入ると

広い空間が広がる。
「ここで何をしていたと思いますか?」とガイドさんがクイズを出してきた。
「流鏑馬(やぶさめ)ですか?」と私。
「そうです!」とガイドさん。
 疾走する馬に乗りながら鏑矢(かぶらや)で的を射る、技術であり儀式であり競技[である流鏑馬。

この空間は、流鏑馬にぴったりだ。
もちろん、その当時はここは石畳ではなかったのだろう。

大山祇(おおやまづみ)神社の歴史は古い。
どれだけ古いかというと、ここの神主さんは、白村江(はくそんこう)の戦いに行ったという。
 
白村江(はくそんこう)の戦
663年8月,韓国南西部の白村江下流で唐・新羅(しらぎ)軍と百済(くだら)・日本軍との間で戦われた戦争。
この戦は,東北アジアに唐を中心とする国際秩序を構築しようとする唐と,百済との歴年の友好関係をもとに百済を従属させたかたちで国際的地位を主張する日本の対戦であった。
敗戦の結果,4世紀以来の日本と百済との連盟は消滅し,日本は朝鮮での足場を失うこととなった。
その後,日本国内では対外防備用の山城が多く築かれ,また律令国家への歩みが本格化した。
 その時、お供をした額田王(ぬかたのおおきみ)が、途中の伊予の熟田津で詠んだ歌が有名。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
                 額田王

この歌の詠まれた頃、ここの神主さんは、熱田津にいたのかと思うと教科書に出てくる白村江の戦いが現実味を覚えてくる。


▲大三島の特産物は蜜柑。
この後、橋を渡って広島県へ。
四国と本州は、橋に寄って繋がっているので、船には乗らない。

●11月13日(月)~14日(火)
オレンジフェリーで四国・愛媛県・「東洋のマチュピチュ」別子銅山。
●11月15日-1(水)
愛媛県:築城の名手・藤堂高虎の今治城
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Last updated  2023.11.25 00:11:03
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