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2023.12.12
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カテゴリ:国内旅行

■2023.11.19-1
江戸時代に旧山陽道の宿場町として栄えた岡山県・矢掛町。

今でも当時の面影を残す街並みが残っています。

矢掛は、もと「屋影」もしくは「屋蔭」の字が使われていた。
今川貞世は『道ゆきぶり』の中では「屋蔭といふ里にとどまりぬ」と記しており、この地でものにした
もののふの猛き名なれば梓弓やかげに誰かなびかざるべき」の一首を書きそえている。
「矢掛」の表記はこの歌からとって用いだしたという説があるが、詳細は分かっていない。

そんな矢掛の町をガイドさんの案内で廻った。

街道は、昔からこの広さで電柱を埋めているので余計に広々としている。

街道に直角に、人ひとりが通れる細い道がある。

小路(しょうじ)とよばれ、町のあちこちにある。

▲小路▼


近くを流れる小田川は、高瀬舟が行き交って町は水運でも賑わっていた。

▲小田川は、暴れ川で、水害対策として、基礎を高くしている。▼


▲また雨で漆喰の壁が傷まないようにと壁の真ん中に小さな雨よけの屋根をつけている。
高知県では水切り瓦■と言っていた。

参勤交代で往来する大名が宿泊した、旧矢掛本陣石井家住宅と旧矢掛脇本陣高草家住宅は、
どちらも重要文化財に指定されている貴重な建物です。
本陣・脇本陣の両方が重要文化財として残っているのは、日本で唯一、矢掛町だけ!

寛永12年(1635年)、参勤交代の制度が実施されると、矢掛は山陽道(西国街道)の宿場に定められ、本陣、脇本陣、問屋などが整えられた。
**問屋とは**
江戸時代、馬などを用意していた所でいまでいう駅だそうだ。

(*^▽^*)私の好きな看板建築。
*看板建築*
建築家の藤森照信氏が命名した、店舗兼住宅の一形式。
その多くは関東大震災後の復興期に現れた木造2~3階建ての建物で、その正面だけを銅板やモルタル、タイルなどの耐火素材で覆い、装飾した建築のことをいう。
建築家の手によらない自由奔放で愛らしいデザインが今なお人気が高い。

*矢掛のゆべし*
江戸時代から名物として知られ、矢掛は山陽道の中でも大きい宿場町だったため、
銘菓として参勤交代の大名達にも好まれた。
 同地に宿泊した天璋院(篤姫)も好み大量に食した(竹皮ゆべし)という旨が、岡山県立博物館で発見された宿帳記録に記載されていた。
他にも作家の武者小路実篤も好んだ(丸ゆべし)という。

矢掛を出発して次の目的地に。
どんどん山の中に入っていくが、
途中、山の中腹まで家が建っている所があった。
買い物や郵便、ゴミ出しはどうするのだろうと、他人事ながら心配した。

●11月13日(月)~14日(火)
オレンジフェリーで四国・愛媛県・「東洋のマチュピチュ」別子銅山。
●11月15日-1(水)
愛媛県:築城の名手・藤堂高虎の今治城
●11月15日-2(水)
愛知県:大三島・大山祇(おおやまづみ)神社

●11月15日-3(水)
広島県:重伝建・竹原の町なみ
●11月16日(木)
広島県:重伝建・御手洗/下蒲刈島
●11月17日-1(金)
広島県:軍都・呉:入船山公園

●11月17日-2(金)
広島県:軍都・呉:海から見た
●11月18日(土)
広島県・安芸の宮島
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Last updated  2023.12.12 16:58:09
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