テーマ:■雑学王■(728)
カテゴリ:トリビア
アイヌに興味を持っていて、ことあるごとに、メモしていた。
先日も■「ゴールデンカムイ」■を見て、サバイバルの知恵に感動した。 明治時代、悲劇の八甲田山雪の行軍で多くの軍隊が行方不明になった。 そんな時に駆り出されたのが、雪に慣れているアイヌだ。 ■八甲田山でアイヌが活躍■ ★アイヌの活躍。 勇敢で雪山の知識もあるアイヌが6人、捜索隊に加わった。 2月11日~4月19日まで捜索。 その結果、67日間の捜索活動で遺体11体と多数の遺品を発見した。 4月になり、アイヌの労働の季節になったので、弘前の軍隊の見学と市内の見物の後、北海道に帰った。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■青森県:竜飛岬■ 竜飛岬はアイヌ語のタム・パ(tam-pa 刀の上端)からの転訛(てんか)で、「突き出た地」の意味だという説があり、タムパを"龍が飛ぶ"と当て字したといわれている。 表記には「竜/龍」及び「崎/埼/岬」という揺らぎがあり、竜飛埼、龍飛岬(たっぴみさき)などとも言われる。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■青森県:種差海岸■ 種差海岸の地名の由来には諸説あるが、アイヌ語の「タンネエサシ」(長い岬)から来ているという説が有力視されている。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■蝦夷(えみし)平定の際に残した守備兵の駐屯地〔柵戸(きへ)■ エゾ経営が東北に進み、とくに激しい軍事的対抗関係に入るようになった東北中部あたりから以北のエゾについては、実際に人種的にも別種の人たちではなかったかと考えられる。 その人名、地名についても、このあたりからヤマト語では説明できないものが出てきて、この人たちが「アイヌ系」であることを物語っている。 この人たちが、もう少し時代が下り、場所も北海道に近づいて、エミシとも区別してエゾとよばれ、アイヌであることをはっきりさせるが、そうなるまでには、この「アイヌ系」のなかでかなりの変化があったと思われる。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■生保内(おぼない)■ 「思い出の潟分校」。 田沢湖町立生保内小学校潟分校(たざわこちょうりつ おぼないしょうがっこう かたぶんこう)は、秋田県仙北市田沢湖にあった生保内小学校の分校である。 「おぼない」というのはアイヌ語で「深い川」を意味する。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■横須賀のもともとの地名は「須賀」であったが、いつのまにか「横」の文字がついて「横須賀」になたっという。 アイヌ語的に解釈すると、「イ・スカ(そこの・浜)」が本来の地名であろう。 アイヌ語の特色として、地域の人達が事前に承知しているときには、本来地名の冒頭の「イ(そこ、それ、我ら)」や語尾の「イ(所)」は省略した。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●(青森県・下北半島にある)宇曽利川は、恐山(おそれざん)山地から流れている。 恐山のオソレは、宇曽利のウソリから転訛(てんか)した。 もとアイヌ語だったにちがいない。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●マタギの古い猟方。 山にはいるとき、渓流に酒をそそいで山の神に感謝する。 山に入れば俗世間のことばをつかわず、五百語もあるという「山ことば」をつかう。 山中で食事をするとき、山菜やキノコを採るが、決して根ごとは採らない。 (略) マタギということばは、アイヌ語だという。 アイヌ語で、狩猟の専門家のことを、 「マタンギトノ」というが、反対に日本からアイヌ語に入ったことばだともいう。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.03.25 00:29:26
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