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2024.09.11
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カテゴリ:映画
ボストン1947

「私たちが望むのは、祖国の国旗をつけて走ることです」

1936年、ベルリンオリンピックのマラソン競技において、日本は世界新記録を樹立、金メダルと銅メダルを獲得し、国民は歓喜に沸いた。
しかし、その2個のメダルには秘められた想いがあった。
日本代表としてメダルを獲得したソン・ギジョンとナム・スンニョンが、日本名の孫基禎と南昇竜として表彰式に立ったのだ。
第2次世界大戦の終結と共に、彼らの祖国は日本から解放されたが、メダルの記録は日本のままだった。
1947年、ボストンマラソン。
その二人がチームを組み、才能あふれる若きマラソン選手を歴史あるボストンマラソンに出場させる。
<祖国の記録>を取り戻すために—。
 祖国への想いを胸にマラソンに挑んだ実話に基づくヒューマンドラマ。
ベルリンオリンピックで日本代表としてメダルを獲得したソン・ギジョンとナム・スンニョン。
終戦後、彼らは祖国の記録を取り戻すため、才能溢れる若き選手をボストンマラソンに出場させる。


大二次世界大戦後までの日本は、本当に中国や朝鮮に対して、とんでもないことをしていた。
この映画は、朝鮮人を日本人としてオリンピックに出場させ、彼らがとったメダルは日本のものとした。
 オリンピックは4年に一回だけれど、日常的に朝鮮民族を否定していた。
例えば、言葉。
日本語を使わなくてはならないかった。
 1980年だったか、夫婦で台湾に行ったことがある。
その時、北欧の青年が少し一緒にいた。
台湾の人が私たちに話しかけ、横にいた北欧の青年が
「日本語で言ってるんですか?」と私に聞いた。

「そうです」と私が答えると
「台湾は、日本の植民地だったんですもんね」と北欧の青年。
私は、申し訳ない気がしたのを今も覚えている。
 台湾や朝鮮だけでなく、アイヌや沖縄の言葉も日本の標準語にさせた。

言葉や名前を日本風にしても、差別だけが残った。

これは日本に限ったことではなくて、西欧諸国も同じように感じることがある。
たとえば、100m走の選手は、ほとんど黒人だ。
しかし、アメリカ国籍が多く、アメリカが強いといわれる。
サッカーもまた、ヨーロッパ選手の中に、どうみても白人ではない人の多い事。


こんなのを見ていると、国家ってなんだろう?と思う。
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Last updated  2024.09.11 00:19:39
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