テーマ:■雑学王■(728)
カテゴリ:トリビア
辰年ですからと、毎月、辰=龍にまつわる話を書いている。
天竜寺造営の費用を調達するため元(げん)に派遣された船。 1341年(興国2・暦応4)12月、足利直義(あしかがただよし)は京都・天竜寺の夢窓疎石(むそうそせき)に対し、二隻の貿易船の派遣を免許し、翌年の秋に出航できるよう準備を進めさせた。 直義はそのうちまず一隻を渡航させることにし、疎石は博多商人・至本を綱司に推挙した。 至本は貿易の利益のいかんにかかわらず、帰国後に5000貫文を寺に納めることを約束した。 他方幕府はこの船を当時瀬戸内海地方に横行していた海賊などから保護する責任を負った。 角倉家と嵯峨の天龍寺との縁はふかい。 天龍寺の僧のかかりつけの医者(角倉家の家業のひとつが医者)だったという時代もある。 (略)(保頭川の水運をひらき、高瀬川を開削した)角倉了以の父親も天龍寺船に乗って明に行ったことがある。 天龍寺船はいわば一航海きりの会社のようなものだから、角倉一族は当然、資本も出し、利潤の配分にもあずかったであろう(略) 「街道をゆく26:嵯峨散歩」 角倉一族は、民間人ではあるけれど、大きな視点を持つことが出来たのは、こういう国家的な事業にも関わっていたからだろう。 たつ年ですから 1■辰巳は天井■ 2■臥龍梅■ 3■龍天に昇る■ 4■釈迦の誕生と龍の関係■ 5■登竜門と鯉の滝登り■ 6■リュブリャナのドラゴン橋■ 7■竜血樹■ 8■戊辰戦争■ 9■龍笛(りゅうてき)■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.02 00:01:08
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