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カテゴリ:国内旅行
■2024.10.19(土)-1 朝から雨が、強く弱く降り続く。 それでも旅は続く。 鶴岡商工会議所会館でガイドさんが待ってくれているからだ。(⌒∇⌒) 鶴岡市は、山形県の庄内地方の南部にある市。 市の人口は約11万人で、県内人口は第2位である。 鶴岡の町中は、城址公園を中心に、二の丸跡には荘内神社や大寶館、三の丸跡には致道博物館と、歴史をたどる観光スポットが集中しており、徒歩での観光が可能。 雨の中、美しい城下町をガイドさんと廻った ■藩校・致道館(ちどうかん)■ 文化2年(1805年)、庄内藩七代目藩主・酒井忠徳によって創設された学問所に始まる。 当時は現在の鶴岡市日吉町にあったが、 文化13年(1816年)に八代目藩主の酒井忠器によって鶴ヶ岡城三の丸曲輪内に移された。 明治6年(1873年)廃校。 東北地方に現存する唯一の藩校建造物で、孔子を祀る聖廟、講堂、御入間、表御門などの建物とその敷地一帯は国の史跡に指定されている。 ここ鶴岡は、作家・藤沢周平の故郷で、鶴岡を舞台にした作品がある。 ▲致道(ちどう)博物館 「致道」の名称の由来は、庄内藩校「致道館」によるもので当館では典籍、版木、祭器など多くの藩校資料の保存とともに藩学の伝統を主とした古典の研究もおこなわれています。 ▲旧鶴岡警察署庁舎(国指定重要文化財) 明治17年(1884)に高橋兼吉の設計によって建てられた2階建ての木造建築。 西洋の様式を取り入れつつ、日本在来の様式も見られる和洋折衷の建物です。 ▲大宝館 鶴岡市の鶴岡公園にあるドームを載せた赤い尖塔屋根と白亜の外壁という外観をもつレトロな洋風建築の「大宝館(たいほうかん)」。 大正天皇の即位を記念して建てられた施設。 オランダバロック風の窓とルネッサンス風のドームが特徴の擬洋風建築。 木造2階建て、バロック様式を模した大正初期の洋風建築の建物内部は、郷土人物資料館として、横光利一(よこみつりいち)といった明治から平成にかけて各分野で鶴岡に貢献した先人・偉人の業績を戦時中は空襲を避けるためという理由で黒塗りにされていたという。 「大宝館」は、鶴岡市指定有形文化財でもある。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 風間家は、鶴岡城下で庄内藩の御用商人として発展し、後に鶴岡一の豪商となり産業の振興に力を注ぎました。 明治29年丙申の年、武家屋敷跡に風間家七代当主・幸右衛門によって住居と営業の拠点として建てられた丙申堂は、薬医門(約200年前の武家門)のある商家として当時の繁栄ぶりをよく残しています。 約4万個の石が置かれた石置屋根が特徴で主屋を中心に4つの蔵や広大な板の間と大黒柱など、豪商の往時の面影を今に伝える貴重な歴史遺産として国指定重要文化財にも指定され、注目を集めています。 石置き屋根より以前は、藁葺きが主流でした。 しかし、日本海側地域の一部では強風により藁葺きが通用しないということもあり、このような石置き屋根が用いられるようになったようです。 風間氏は、日本の氏族の一つ。 沢海藩(現在の新潟市)では武士でしたが、商人となり村上、酒田を経て、18世紀後半に鶴岡に移住したと伝えられています。 その後鶴岡城下で藩の御用商人として太物屋を営み、鶴岡第一の豪商となりました。 ■旧風間家住宅 「丙申堂(へいしんどう)■ ▲鶴岡商工会議所会館に飾ってあった民具が美しい!! 鶴岡を後に酒田市に向かう。 途中、田んぼには沢山の鳥が・・・。 鶴岡だけに鶴か? ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ■今年5月霞ケ浦■に行った時、土門拳の写真に出会い感銘を受けた。 山形県酒田市に■土門拳記念館■があるので、行って見ることに。 1974年(昭和49年)に市初の名誉市民の称号を授与された土門拳は、顕彰式で「僕の全作品を酒田市に寄贈したい」と述べ、相馬大作市長に「入れ物(収蔵庫)は、そんなに立派なものでなくてもいいよ」と語りかけた。 欧米の観光客が多かったのでビックリしたが、 「ミシュラン・グリーン・ガイド・ジャポン」(2009年)に二つ星で紹介されているというので納得。 雨の勢いやまず・・・。 10/16(水)■越後・東北南部行:出発/新潟を地形と歴史を感じながら歩く■ 10/16(水)-2■新潟市:日和山/花街■ 10/17(木)-1■新潟県・新発田市:清水園/足軽長屋他■ 10/17-2(木)-2■新発田市・新発田城/村上市・鮭オシのまち■ 10/18-1(金)■村上市・笹川流れ■ 10/18-2■鼠ヶ関を探せ/クラゲの水族館/鶴岡カソリック教会■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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