|
カテゴリ:ピアノ弾きとしての私
息が必須な管楽器や、
アンサンブルが基本の弦楽器などと比べて、 ピアノの演奏をする時の呼吸って、 おざなりになりがち。 むつかしいところに差しかかると、 息を止めて演奏する人なんかもいますが、それは禁物で、 音楽では、フレーズと一体となった呼吸が不可欠です。 音楽には、フレーズという、音楽のまとまりがあります。 これは、文章の、句点(。)読点(、)を打つまでの 言葉のまとまりと同じようなものです。 この一フレーズを一息で弾く、ということを、 私は「フレーズを通す」という言葉で言っており、 自分が弾く時はもちろん、レッスンでも、重視しています。 この頃、かなり、フレーズと身体が一体になってきた感があって、 そんな自分が演奏しているのを観察してみると、 いろいろと、面白いことに気づきます。 今、練習している曲を例に、説明しますね。 シューベルト作曲の「アヴェ・マリア」のリスト編曲モノですが、 歌曲の「アヴェ・マリア」を思い浮かべてもらえばOKです。 まず、この曲を演奏するには、1分間に4回の呼吸が必要です。 前奏の、波がふくらんで、ひいて、のひと波が15秒ぐらいなので。 引き続き、ひと波ごとに説明しますね。 Ave Maria (♭シーーーラ♭シレーード♭シ) 「ri」が、このフレーズの頂点です。 ここで、背中の心臓の裏辺りを開く感じになります。 この曲の調性変ロ長調の主和音をベースにしたフレーズなので、 ずっと、静かな調子。なので、まだ、胸は開きません。 Jungfrau mild! (ドーーレド♭シラソラ♭シ) Ave Mariaのフレーズと関係して、 もう少し、大きな波になります。 「Jung」で、胸を開いて息を吸います。 始めからの2つの波を考えても、ここが頂点になります。 「mild!」の終わりは、フレーズの終わりですから、 深く息を吐きます。 erhore einer Jungfrau Flehen, (レレーード♭シラソレミレーミド) いきなり、ニ短調の和音が使われていて、そのエネルギーを感じつつ、 「Fleh」までぎゅーっと運んできます。 お腹の右側の筋肉で支えています。 aus diesem Felsen starr und wild, (ラドーー♭シラドレ♭ミドラ♭シ) さっきのニ短調からト短調の和音に納まるフレーズです。 胸の右側の真ん中に、フレーズの余韻をしまう感じで弾いています。 (基調のロ長調がお腹の中心、それに比べてト短調は胸の辺りなんでしょう) soll mein Gebeth zu dir hinwehen. (レドドーーラソシレファレシドーーソラ♭シラソファ) 「hinwehen」で、ヘ長調に転調したことがハッキリします。 「Gebeth zu(ソシレファレシド)」のところで、 右胸をいっぱいに開いて演奏します。 「hinwehen」では、大きなフレーズのまとまりの終わりなので、 (歌詞の始めからここまでのフレーズのまとまりの終わり。 文章では段落の終わりみたいな感じ) 息を吐ききります。 でも、ロ短調と比べて強いイメージのヘ長調なので、 そのニュアンスを出すために、鎖骨の真ん中辺りでは支えています。 ・・・という感じで、 曲の途中ですが、ここまでにしておきますが、 メロディーの頂点や、和音の機能、転調を意識しつつ、 かなり細かく、胴体のいろんな筋肉を使っていることがわかります。 このように、自在に呼吸ができる身体は、 たくさんの音を扱うピアノにこそ必要ではないのかしら。 そこで初めて、曲のニュアンスが生きてくる、と思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月11日 22時43分49秒
コメント(0) | コメントを書く
[ピアノ弾きとしての私] カテゴリの最新記事
|
|