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カテゴリ:医療行政
昨日に引き続き、日本の医療現場の問題を考えています。他国に比べて少ない医師を有効に利用し、かつ医療の質を保つためにはアクセス制限の考え方が浮上してくるというところまではお話しました。
さて、この国の医療は、「いつでも誰でも医者にかかれて、すべて保険で賄う」ことを建前としてここまで来ました。日本医師会や厚労省が言うように、世界でも類を見ない、患者さんのためにはすばらしい制度と思います。ところが、ここ10年ほどの間に、この建前を重視しすぎたために現場と理想が激しくかけ離れたものになってしまいました。そろそろ抜本的に構造を変えなければ早暁、医療は崩壊しかねないところまで現場の医師、コメディカルが疲労し、厳しい現場から労働力が逃げ始めているのが現在の姿です。 医療行政のあり方について、官僚、政治家、民衆という3つの立場を考えてみました。 まず、官僚というのは、以前にもこのブログで少し述べましたが、現状制度の維持に頭を使うもので、枠組みを外して組み替えることは思考の外にあります。もっと言えば、彼らにとって制度こそが正義であり、人道的であれ制度の枠に入らないものはすべて悪で、時に罰則さえ作ろうとします。昨今の混合診療をめぐる裁判でもわかるように、新しい知識や方法を速やかに吸収することに極めて腰が重いのです。制度が正しければ、これを遂行する官僚の厳正さは歓迎すべきものですが、時代遅れと思われる制度の中にあっては自覚なき悪障害になると思うのです。 次に、政治家は選挙で選ばれますから、世論に弱いという弱点を持っています。ここでいう世論というのは、患者と置き換えても良いでしょう。医療者にくらべ、患者が圧倒的多数であることは言うまでもありませんから、多数におもねる判断をしがちです。患者にとってみれば、いつでもどこでも病院にかかれたほうが良いに決まっていますから、なかなか患者の耳に痛い政策はだせません。現場の疲労を無視した夜間救急の命令が出たりするのはこのためです。真の政治家とは、先を見極め、国のこれからを考えて発言をするはずですが、なかなか選挙というハードルが怖くて踏み込めない人間が多いようです。 最期に、患者ですが、これは自身の命がかかっていますからその要求は切実です。健康と命に対する欲求は生物の本能で、本能の赴くままに医療機関を利用できる現状の制度は便利なものです。それをマスコミが助長し、不可能を可能にするかのような医療万能の幻想を書きたて、無理な要求をするモンスターペイシェントまで散見されるようになってきつつあります。 こうして考えてゆくと、上の3者のエゴイズムをすべて医療現場に押し付けてきた結果、現場が今のように殺人的な忙しさに陥ったと考えることが出来るでしょう。 さらに、次回に続くのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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