九州旅倶楽部
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国木田独歩館 外観この建物は、幕末に建てられた旧坂本邸です。築150年以上建っているそうです。所在地:大分県佐伯市城下東町9番37号 国木田独歩は、鶴谷学館の教師として佐伯に招かれ、明治26年10月から明治27年6月末までの10か月余りの間、この坂本邸に滞在していました。 ここの家主であった坂本永年は、鶴谷学館の館長でした。公私ともに独歩の面倒をみてたそうです。
2011.02.20
国木田独歩館所在地:大分県佐伯市城下東町9-37開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日が休館)入館料:大人¥200-. 小・中学生¥100-.国木田独歩と弟の収二が下宿していた坂本邸を修復して公開しています。館内には作品や関連品が展示されています。
2011.02.19
養賢寺の浴室禅僧にとってもお風呂も修行の一環だそうです。
2011.02.18
養賢寺飾り瓦に亀巴瓦が使われていました。亀の縁起瓦とも呼ばれています。亀というより、玄武(げんぶ)のような感じですね。こちらの亀巴瓦は、少しデザインが違いますね。
2011.02.17
養賢寺迫力がある鬼瓦が二つ並んでいます。大きな鬼瓦が二つ並んでいるのは珍しいですね。
2011.02.16
養賢寺迫力満点の鬼瓦が並び、立派な懸魚が格式を感じさせます。「普月院」と書いているのでしょうか?
2011.02.15
養賢寺の鐘楼
2011.02.14
龍鼎山 養賢寺専門道場残念ながらこちらは立ち入り禁止になっていました。龍鼎山養賢寺専門道場(りゅうていざんようけんじせんもんどうじょう)(以下現地案内板より) この寺は、慶長10年(1605年)佐伯藩初代毛利高政公が鶴屋城の創築及び城下町づくりと時を同じくして、毛利家の香華院(菩提寺)として創建したもので、開山第一祖は京都妙心寺から大観慈光禅師を招き、臨済宗妙心寺派に属する。 虚空高々と銅瓦葺きの大屋根がそびえる本堂、その須弥壇には本尊釈迦牟尼仏が拝され、その隣には藩祖高政公をはじめ、歴代藩主の位牌が並び、大名の香華院としての森厳さを示している。 本堂につづく閑静な大書院、大屋根そそり建つ古風な庫裡、方桁造りの位牌堂、江湖専門道場としての禅堂、白堊塗込めの経堂など伽藍うち並び、四百年近い歴史のたたずまいを深々と示している。 本堂の裏手一段高いところに、藩祖高政の霊廟をはじめ、歴代藩主の墓塔立ち並ぶ毛利家の墓所がある。 なお、この山際通り一帯は「歴史と文学のみち」として整備し、歴史的環境保存地区に指定されています。 佐伯市教育委員会
2011.02.13
養賢寺の大屋根本堂に続く閑静な大書院と大屋根がそそり立つ古風な庫裡と、方桁造りの位牌堂、江湖専門道場としての禅堂、白亜塗り込めの経堂など伽藍うち並び、背後には城山があり、歴史を感じる佇まいとなっています。養賢禅寺の寺号額
2011.02.12
臨済宗 龍鼎山 養賢寺 (りんざいしゅう りゅうていざん ようけんじ)養賢寺は毛利藩主の菩提寺です。開山:慶長10年(1605年)所在地:大分県佐伯市城下東町本堂の裏には毛利家歴代藩主たちの見事な五輪塔が佇んでいます。
2011.02.11
佐伯市のマンホールの蓋「佐伯の春 先ず城山に来り」 独歩国木田独歩の「豊後の国佐伯」の一節が書かれています。三の丸櫓門とサザンカも描かれています。佐伯市の市花はヤマザクラなのですが、この花は山茶花(サザンカ)のようです。佐伯の春先づ城山に来り、夏先づ城山に来り、秋又早く城山に来り、冬はうそ寒き風の音を先ず城山の林にきく也。城山寂たる時、佐伯寂たり。城山鳴る時、佐伯鳴る。佐伯は城山のものなればなり。(国木田独歩 豊後の国佐伯より)小さいマンホールの蓋もありました。
2011.02.10
馬場広場のヤクタネゴヨウ松観音像がある馬場広場に立派なヤクタネゴヨウマツがありました。鹿児島の磯庭園の屋久種五葉松と一緒のものだそうです。鹿児島と佐伯、繋がりがあったのですね。ヤクタネゴヨウマツ (以下現地案内板より) この松は、昭和49年10月、31代島津家当主・故島津忠秀氏より贈られたものである。島津忠秀氏は、薩摩藩主・島津氏の直系。 この松は、島津家の別邸・磯庭園にある屋久種五葉松であり、昭和47年、鹿児島で開催された国民体育大会に昭和天皇・皇后両陛下が磯庭園を行幸の際に島津忠秀が献上した松と一緒のものであるという。 佐伯市
2011.02.09
馬場広場の観音様 馬場広場に、優しくて可愛らしい観音像がありました。観音様の下に刻まれている、「慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)」とは、観音経の中にある言葉で、「観音様は何時も優しく慈愛の(思いやりの)眼をもって、私達生きとし生ける衆生を見て下さっています。」というような意味だそうです。馬場広場にて所在地:大分県佐伯市城下東町(普賢寺の近くです) 馬場広場 (現地案内板より) この広場の中にある忠魂碑は、旧佐伯藩時代の馬場先御番所跡地(関所)に、昭和10年(1935年)旧佐伯藩、日清、日露戦争で亡くなった人達の魂を鎮めるために建立した。その忠魂碑を取り入れ、以前よりあった松の古木を中心として新たに樹木等を植栽して、馬場土手と一体化し、和風庭園に整備した。 佐伯市
2011.02.08
豊日神楽面工房にて豊日神楽面工房では、神楽用の神楽面のみならず、家庭用や贈答用の神楽面なども販売しています。魔よけや開運などの目的で飾るのもいいそうです。魔よけにはよさそうですね。
2011.02.07
豊日神楽面工房(ほうにちかぐらめんこうぼう)佐伯の城下町に神楽面工房がありました。詳しくは、下記のホームページをご覧ください。豊日神楽麺工房のホームページ
汲心亭 客室の床の間汲心亭の客室 汲心亭(きゅうしんてい)のパンフレットよりお茶を汲むといことは、お客様に心を汲んで接待するということから命名されました。日本の道百選の「歴史と文学の見寺・武家屋敷通り」の半途にあって、毛利氏の居城 鶴屋城址「城山」を背景に、正門は同藩の「薬医門」を復元、周囲の歴史的景観に調和した閑静な佇まいは散策の憩いの場としてどなたでも気軽に立ち寄られ、親しまれています。本館の「更深軒」は、茶道の本元、大徳寺「福富雪底」館長より命名していただきまいsた。路入桃源深更深(路は桃源に入りて深くして更に深し)との意味です。木造平屋建、屋根は銅板葺、客室は8畳(2室)6畳(1室)他、付帯設備からなり(定員30名)。茶庭は、城山の借景を利用し修め景を施した枯山水。心おちつく空間となっています。
2011.02.06
佐伯むすめ汲心亭の抹茶セットのお菓子です。佐伯むすめは、甘さ控えめでいい塩梅のお菓子です。2年前の秋に汲心亭に伺った時もこのお饅頭が印象的でした。今回も変わらず同じお饅頭「佐伯むすめ」を頂けて嬉しかったです。汲心亭のお抹茶セットのお菓子は佐伯むすめが定番だそうです。 佐伯むすめは、お菓子のうめだの自家製の餡を使ったお饅頭です。一口サイズの小ぶりで可愛いお饅頭です。上品な小豆の餡は、小豆の皮をとって練りこんでいて、なめらかで口当たりがとってもいいです。皮には味噌を練りこんでいますので、ほどよい塩味がアクセントになっています。
汲心亭にて抹茶とお菓子のセット¥300-.庭を眺めながらゆっくりとお菓子とお茶を頂きました。
草庵五味庵汲心亭の庭の中にある茶室です。五味庵(ごみあん) (以下 汲心亭のパンフレットより)人の心のあり方によって、お茶の味がさまざま(五味・五つの味「甘い・辛い・すっぱい・苦い・塩からい」に変化します。その五つの味を味わうことのできる場ということから「五味庵」と命名されました。木造平屋建、屋根は茅葺き、銅板葺、外壁は土壁塗りの草庵が風格を醸し出しています。
2011.02.05
汲心亭の庭城山を背景に、ホウキ目が美しい白砂と庭石。初夏にはヤマボウシの白い花がたくさん咲くそうです。
2011.02.04
茶室 汲心亭所在地:大分県佐伯市城下西町3番13号利用可能時間:9:00~17:00城山(鶴屋城址)を背景に、正門は同藩の「薬医門」を復元したものです。お茶を汲むということは、お客様に心を汲んで接待するということから「汲心亭」と命名されたそうです。
2011.02.03
AKB48・梅田彩佳さんがPRしていたのは、2/6(日)が投票日の北九州市長選挙です。今回の北九州市長選挙ののPRキャラクターに抜擢され、今日はJR小倉駅で北九州市長選挙のPRをしていました。写真は、その時頂いた携帯ストラップです。裏面が携帯クリーナーになっています。AKB48効果で、若い方も投票に行かれるといいですね。
2011.02.02
わかっぱの後ろ姿です。若松名産のスイカが背中に付いています。小倉駅で、北九州のゆるキャラ達が、「2/6(日)が投票日の『北九州市長選挙』の投票に行きましょう」とPRをしていました。北九州市の皆さん、2/6(日)は、必ず投票に行きましょう。当日用事がある方は期日前投票に行きましょう。あまりにも可愛かったので携帯で写真を撮って携帯のメールでブログをアップしたのですが、写真の大きさが大きすぎてびっくり最初大きな写真が横向きに張り付いていて、とんでもない状態になっていた時にご覧になってくださった方、ごめんなさい。大変失礼しました。慌てて、画像を縮小して再掲載しました。携帯からブログをアップすることにまだまだ慣れていない、時代遅れの私でした。
北九州市若松区役所マスコットキャラクター「わかっぱ」です。まん丸い頭に細くて切れ長の目。全身ほとんど真っ赤。スイカの色かなって?思ったのですが、頭のてっぺんにトマトのへたらしきものがありしたので、どうやら頭はトマトのようです。お腹のとこだけ白いハート手足には水かきらしきものが・・・。河童なのにクロールが得意で、海が好きです。魚も大好きで、特にイカが好きです。畑仕事が好きです。特にトマト作りが好きです。河童なのにキュウリとトマトをあげるとトマトから食べちゃいます。JAZZを聴きながらお茶を飲みます。(おしゃれ~)読書が好きで、若松出身の日野葦平をこよなく愛しています。五平太ばやしが大好きです。とっても素直で御人好し。頼みごとをされると断りきれず、「わかっぱ!!」と二つ返事で引き受けてしまいます。
とらっちゃの後ろ姿です。額にも小笠原藩の家紋、三階菱が付いていますが、後ろ頭にも三階菱が付いています。
2011.02.01
小倉城マスコットの「とらっちゃ」です。愛称: とらっちゃ性別: 男の子出身地: 北九州現住所: 福岡県北九州市小倉北区城内2-1(小倉城内)趣味: ぬか漬けを作って食べること仕事: 小倉城を全国にアピール。来城のお客様をお迎えすること 。小倉城の天守閣1階・2階に展示している「迎え虎(オス)」「送り虎(メス)」の絵が元になったキャラクターです。その絵は日本最大級(高さ4.75m×2.5m)だそうです。小倉城に来城されたお客様をお迎えし、全国に小倉城をアピールすることを使命としています。チャーミングポイントは、カブトがはみ出すほどの大きな頭です。額の模様は、小笠原家の家紋である三階菱です。
北九州のおいしいロールケーキのキャラクター、「くるる」です。誕生日は6月6日、ロールケーキの日。大きなロールケーキの頭に、つぶらな瞳、チャームポイントはおでこにくるりと下がった巻髪とお腹のまきまき。お腹が減ると、お腹のまきまきがグルグル回るとか?趣味はロールケーキの食べ比べです。
2011.01.31
北九州港開港120周年記念事業のPRキャラクター、「スナQ」です。1977年11月15日(北九州港開港日)に生まれました。
2011.01.30
山中家屋敷跡文政9年(1826年)の絵図に「山中加左衛門」の名前が書かれていました。以降、ここは現代まで山中家の屋敷地でした。平成8年までは屋敷も残されていました。屋敷跡には、建物の礎石や縁石、庭石などが残されていました。建物の間取りや庭園のデザインに江戸時代の特徴が見られます。 山中家屋敷跡(現地案内板より) 鶴屋城(佐伯城)の麓にあたるこの地区は、江戸時代には佐伯藩の上級武士の住む屋敷が建ち並んでおり、今でも当時の景観が残されています。 山中家屋敷跡はその一角に位置します。平成22年に、残されていた建物の礎石などを活かして広場として整備しました。 平成22年3月 平成21年の発掘調査で、江戸時代後半から明治にかけての陶磁器や金属製品、ガラス製品などの日常生活品が出土しました。
2011.01.27
山際史跡広場所在地:大分県佐伯市城下東町779番地開園時間:8:30~17:00閉園日:毎週月曜日(但し月曜が休日の場合は、翌日)・年末年始(12/29~1/3)山際通り山際通りは、江戸時代に佐伯藩の上級武士屋敷が建ち並んでいたところです。今でも当時の景観が残されています。山際史跡広場は、その一角に位置しています。建物の礎石や縁石、庭石などを活かして整備された広場です。ベンチがありますので、城下町の散策途中の休憩にぴったりです。
佐伯の城下町にて 波付き亀巴蓋佐伯の城下町を散策中、亀巴蓋をあちこちでみかけました。亀巴蓋は飾りだけではなく、火災などから守る、お守りの意味もあるそうです。この亀さんは、首も尾も長いですね。いい波に乗っていますね。
2011.01.26
佐伯の城下町にて城下町を散策していると、屋根の上に大きな鬼瓦が睨みを効かしていました。ちょっと出っ歯気味の鬼さんですね。こちらの鬼瓦の鬼さんの方が顔が厳ついですね。
2011.01.25
佐伯の城下町にて菊の巴蓋が上がっていました。巴蓋(ともえふた)とか留蓋(とめふた)とも呼ばれています。従来は、屋根の四方の重なり部分からの雨漏りを防ぐために置かれたものだそうです。お椀を伏せたような瓦が多いのですが、獅子、菊、ボタン、波、恵比須さん、大黒さん、亀、鶴など装飾性が高い巴蓋もあちこちで見かけます。「巴蓋」と変換したいのに「巴豚」と出てきてしまいました。ぬ
佐伯の城下町にて 佐伯の城下町には、趣があるお屋敷がたくさんあります。 佐伯市史には、「佐伯の城下町には、文化7年(1810年)の人口調査によると、219戸、1,004人と藩士339戸、1,762人を加えた約2,700余りの人々が生活していた。また、文政9年(1826年)の商家の数は 129軒であった。」と書かれています。 江戸時代の人口調査って、どのようにして行われていたのでしょうね?現代のようにインターネットも電話もパソコンもないから大変な作業だったでしょうね。
2011.01.24
佐伯の城下町にて赤いポストが城下町にぴったりですね。 今日、会社の給湯室のガス湯沸かし器が壊れてしまいました。すっごくガス臭くなって、お湯もでなくなってびっくり急いでメンテナンスさんを呼びました。「修理するから1週間位使用禁止です。」え~、なんてことを!お茶わんや布巾を洗うのが大変。手が冷たくてちぎれそうです。困ったものです
安井(あんせい)の井戸城下町の町並みに、古い井戸がありました。昭和初期まで生活用水として使われていたそうです。このまま保存されているのが素晴らしいですね。 安井の井戸 (佐伯市指定文化財)(以下現地案内板より) この井戸は藩井今泉元甫(げんぽ)が飲用水に苦しむ城下町の人々のために私財を投じて掘った。三つの井戸(今泉元甫の三義井(さんぎせい))、安井(あんせい)・?泉(あせん)・甘泉(かんせん)の一つである。 寒い日が続きますね。インフルエンザも流行っているとか。お体にはくれぐれも気をつけてくださいね。
2011.01.23
佐伯藩三泉の一 ?泉 の平成塔佐伯市藩の城下町は元々は干潟だった為、飲料水に困っていたそうです。当時の藩医・今泉元甫が私財を投じて井戸を掘ったそうです。?泉と安井と甘泉の三つの井戸は、「今泉元甫の三義井」と呼ばれています。これらの井戸は昭和初期まで、生活用水として使われていたそうです。佐伯藩三泉の一 安井戸 の平成塔
佐伯の城下町佐伯の城下町は、白壁土塀が続く、趣がある町並みです。国木田独歩によって、小説の中に描かれいる佐伯の城下町。国木田独歩の小説の一節を諳んじながら、佐伯の城下町をのんびりと散策しました。城下町佐伯の昔と今明治4年頃の佐伯藩時代屋敷図 城山の文学 (現地案内板より) 城跡には国木田独歩文学碑がある。 国木田独歩の「春の鳥の一節」 頂上には城跡が残っています。高い石垣に蔦葛(つたかずら)がからみついて、それが真紅に染まっている塩梅など得も言われぬ趣でした。昔は天守閣の建っていたところが平地になって、何時しか姫小松疎らに生いたち、夏草が隙間なく茂り見るからに昔を偲ばす哀れな様となっています。 私は草を敷いて身を構えた数百年の斧の入れた事のない鬱たる深林の上を見越しに、近郊の田園を望んで楽しんだことも幾度であるか解りませんほどでした。
2011.01.22
城山周辺案内図鶴屋城の沿革 (現地案内板より)慶長11年(1606年)築城・竣工元和3年(1617年)二の丸失火炎上寛永14年(1637年)三の丸築城明治2年(1869年)版籍奉還廃城鶴屋城(山城)鳥瞰図豊後佐伯城 別名・鶴谷城 鶴屋城の規模 (現地案内板より) 御城直高(三の丸より):60間(約110m) 御城台地形・長さ:80間(約160m) 御城台地形・幅:13間~20間 御天守台石垣:7間半×8間半 御城地形総廻り:333間余(1055m) 御城山廻り:27町30間(3km) 三の丸より山城まで:390間(527m) 鶴屋城の建物 天守閣:三層 二十櫓:五か所 櫓門:四か所 平櫓:一か所 冠水門:八か所明治時代に城を壊してしまったのは、本当にもったいなかったですね。日本中にどれだけの立派なお城があったかと思うと残念です。奇跡的に残っているお城が、これからも保存され続けますように。
2011.01.21
佐伯文庫跡大分県佐伯市大手町 三の丸公園内佐伯文庫は、八代藩主高標(たかすえ)が創設しました。和漢洋書八幡巻を二棟の書庫に納め、書物奉行所を置いて管理させました。十代高翰(たかなか)は約二万巻を幕府に献上しました。佐伯文庫の蔵書には「御禁書」十数冊も含まれていたそうです。図書館が大好きな私にとっては、身近に充実した図書館があるととっても嬉しいです。江戸時代に既にこのような文庫があったのは、佐伯の文化や教育の質の高さを感じます。すばらしいですね。図書館って夢と希望がいっぱい詰まっている気がします。 佐伯文庫 (以下現地案内板より)〇佐伯藩八代藩主毛利高標は学問を奨励し、安永6年(1777年)城内に藩校「四教堂」を創立、天明元年(1781年)三の丸に「佐伯文庫」を創設し、書物奉行を任命した。〇高標の収集した蔵書は八万巻にもおよび、大部分は中国(宗・元・明・清)の本であり、分野は儒教の四書五教をはじめ歴史書・詩文・仏典・医学書・数学書・天文・生物学と多岐にわたる。またオランダ語やフランス語で書かれた植物書や医学書・世界地図など西洋の本も含まれていた。〇文政7年(1824年)十代高翰のとき二万巻余りが幕府に献本され、現在は、宮内庁書陵部・国立公文書館・内閣文庫・国立国会図書館に保管されている。佐伯に残された書物は明治以降に散逸し、毛利家から寄贈された二千九百余冊が佐伯市に保管されている。 平成18年4月吉日 四教堂塾建立 気が付くと昨夜(1/19)、300,000アクセスを超えていました。いつも御来訪くださる皆様、ほんとうにありがとうございます。細々とですが、これまでブログを続けることができたのは、本当に皆様のお蔭です。感謝しています。これからも九州の情報を写真満載で紹介していきたいと思っています。どうぞ今後もよろしくお願いします。
2011.01.20
野村先生像昭和35年1月再建大分県佐伯市大手町 三の丸公園内 野村越三 (1884.6~1925.4.29) 佐伯市山際出身 佐伯小学校の教師だった野村越三は、大変優秀で人柄も素晴らしいのみならず、スポーツの重要性を認識し、スポーツ教育指導にも力を注ぎ、スポーツ振興にも力を注いだ方です。当時、佐伯小学校は優秀校として文部省から表彰されるほどの実績をあげています。文武両道、人間性も素晴らしい野村先生は、生徒にも父兄にも教師にも尊敬されていました。 すばらしい先生、師との出会いは、人生をも大きく変えてくれます。佐伯市の方々に今でも尊敬し続けられている野村先生は、本当に素晴らしい方だったのでしょうね。そして、その恩義を忘れず、語り続けている佐伯市の方も素敵だと思います。
村上勇先生の銅像大分県佐伯市大手町の三の丸公園にて 村上勇(むらかみいさむ)1902.4.7~1991.1.28 佐伯市出身(旧・南海部郡大入島村) 元自由民主党衆議院議員、第三次鳩山内閣で郵政大臣、第二次岸内閣改造内閣で建設大臣、三木内閣でも郵政大臣を務めました。 初期の村上派には、稲村左近四郎(石川県羽咋市出身)、大野明(岐阜県出身・出生地は東京都)、神田博(新潟県東蒲原郡阿賀町)、佐藤文生(大分県別府市出身)、田村元(三重県松阪市出身)、徳安実蔵(鳥取県出身)、原田憲(大阪市出身)、福田篤泰(東京都出身)、三原朝雄(福岡県遠賀郡遠賀町)がいました。 1983年に引退し、衛藤征士郎(大分県玖珠郡玖珠町出身)が地盤を引き継ぎました。
2011.01.19
矢野龍渓顕彰碑佐伯市大手町 三の丸公園にて 龍渓 矢野文雄について (1850年~1931年) (以下現地説明板より) 嘉永3年山手区に生まれる。佐伯藩校四教堂に学び、常に成績抜群であった。上京して慶応義塾に入学、福澤諭吉の薫陶を受け、大隈重信の知遇を得て国会開設に力を注いだ。郵便報知新聞を主宰し、藤田茂吉(佐伯市出身)箕浦勝人、犬養毅、尾崎行雄など三田派の気鋭を集め政府系新聞 東京日日に対し自由民権の論陣を張った病中口述した政治小説「経国美談」は当時の政治的自由を求める全国の青年に愛読され多大の影響を与えた他に浮城物語、新社会等の著書がある。 後年大阪毎日新聞副社長となり社の発展に尽力した。鶴谷中学への国木田独歩招聘は龍渓の依頼を受けた徳富蘇峰の人選によるものである。碑文の詩は佐伯中学開校に帰郷の際、佐伯湾を望み尺間彦岳を仰いで佐伯の風土を歌ったものである。結成十五周年記念事業 佐伯ライオンズクラブ 昭和50年10月26日(以上現地説明板より)矢野龍渓は、明治16年に古代ギリシャ史に材を得た「経国美談 」を発表しました。大評判になった「経国美談」によって得た収入を資として翌年、フランスを経てロンドンに外遊しました。明治・大正・昭和には歴史に残る政治家がたくさんいらっしゃいます。彼らから学ぶことは大変多いです。平成の政治家・・・歴史に残るような方はいらっしゃるでしょうか?
三の丸公園のカッパさん佐伯市には「六兵衛じいさんと河童」の伝説があります。六兵衛じいさんは、河童と相撲を取って河童に勝ったそうです。その際河童の大将の腕をもぎとった六兵衛じいさんに、河童が「なんでもいうことを聞くから腕を返して」と懇願し、腕を返してあげたところ、河童が悪戯をしなくなったというような話です。ちょっとはしょりすぎでごめんなさい。佐伯の街を眺めているカッパさん日本のあちこちに河童伝説がありますが、「河童がお尻を抜く」という表現が度々使われています。お尻を抜くってどういう意味なんでしょうね?
2011.01.18
佐伯文化会館の壁面に描かれいている鶴のマークこれは、JALの鶴丸マークではありません。佐伯の文化会館に描かれている鶴です。ちょっと似ているでしょ?私、JALの鶴丸マークが大好きでした。復活と聞いて、ちょっとわくわくしています。JALも早く元気になってくれるといいな~。
2011.01.17
佐伯文化会館所在地:大分県佐伯市大手町1丁目1-1三の丸櫓門があるところです。休館日:第1・3月曜日、12/29~1/3大ホール(1,308席)、中ホール(250人)、会議室などがあります。交響楽、演劇、邦楽などを自主事業として主催し、優れた舞台芸術にふれる機会を、安い料金で市民に提供しています。また、各種文化行事や発表会、式典などが行われます。 私が高校生の時、高文連の文化祭で、この佐伯の文化会館で独唱をしました。あがりまくってカチカチになっていた私を他校の生徒がすごく優しく励ましたくれました。とってもいい思い出がある佐伯文化会館です。久しぶりに伺って懐かしかったです。
2011.01.16
鶴屋城 三の丸櫓門 大分県指定文化財この櫓門(やぐらもん)は、藩主の居館が山頂から三の丸に移った、寛永14年(1637年)に藩庁の正門として創建された。近世城郭建築の遺構として城下町佐伯の面影を伝えている。(以上現地案内板より)鶴屋城の概略 (現地案内板より)慶長6年(1601年)佐伯庄、二万石に封ぜられた。毛利高政はここを居城の地と定めてこの山頂に城を築いた。石垣師は播州の人 羽山勘右エ門、築城師は江州の市田祐定。慶長9年着工、慶長11年竣工した山城である。海抜140メートル登城にはここから四町五十三間(約533メートル)で、西の丸入口の一の門に達する。山城石垣の総長三百三十三間(約600メートル)本丸、二の丸、北出丸、西出丸にわたり、ほとんど石垣だけは昔の姿そのまま残っている。
2011.01.15
四教堂跡 (しこうどうあと) 八代藩主高標(たかすえ)は、藩の文教をすすめるため、安永6年(1777年)城内に一大学舎を新築し、これに名づけて「四教堂」(しこうどう)といった。名称の由来は「礼記」にある詩・書・礼・楽の教えとされ、また「論語」にある文(学問)・行(徳行)・忠(忠実)・信(誠心)の教えともいわれている。玄関ノ間の床には文宣王(孔子)の聖像がかかげられて、四教堂教学のよるところを明示していた。 (佐伯市史より)四教堂の教授矢野黙斎・山本七兵衛・松下筑陰(筑後久留米・広瀬淡窓の師)・吉田節右衛門・関三左衛門・佐野渉・明石秋室・中島子玉・高妻芳州・秋月橘門 (以上現地案内板より)ここは大手町 藩校四教堂・直心影流道場後 安永6年(1777年)八代高標(たかすえ)は、藩校「四教堂」を開設、隣接して直心影流稽古場開き文武両道の教育を奨励した。これより佐伯藩の学芸は興隆し、多くの人材を輩出した。(以上案内板より) 各々の藩で、文武両道の教育が行われていた時代は、優秀な人材が多数育ち、藩の繁栄にも貢献しています。現代も学ぶべきことが多いですね。もっと教育のレベルを上げて、優秀な人材を育てなければ、日本は浮上できないのかもしれません。 全体のレベルを合わせるという教育方法は、全体的な教育レベルを下げているのかもしれません。優秀な人材は国の宝です。国でも地方でも、素質・才能・やる気がある人材には特別な教育を受けるシステムが定着すれば、もっと多くの優秀な人材が育つのではないでしょうか。
2011.01.14
夢遥 Far Dreaming作者:佐脇健一所在地:大分県佐伯市 大手町公園内公園内に少女と犬の像がありました。遥か彼方をみつめ、夢が叶うようにと祈っているのでしょうか?
2011.01.13
スイング作者:佐脇健一所在地:大分県佐伯市大手町1丁目2-12 三余館敷地内おさげが可愛い、華奢な少女ですね。躍動的でリズム感がある動き、今にも走り出しそうな勢いがあります。
2011.01.12