|
テーマ:大人のお稽古(778)
カテゴリ:舞台・稽古雑感
『リゴレット』でのマエストロ。ソフィア歌劇場にて(ジルダ:森麻季さん) ひゃぁ。。。 念願叶って行って参りました!『マエストロマウロ・アウグスティーニ マスタークラス』。 本来でしたら、私のようなド素人が受講できるようなレッスンではないのでしょうが、近場に見えた今がチャンス!!とばかりに、飛びついてしまいました。 正直、迷いが無かったわけではありません。私自身が度重なる入院でほとんど満足な状態で歌を歌っていなかったこと、子育て中のかみさんを置いて、一人レッスンを受けなければならないこと、90分3万円という金額、そしてなにより、この私がド素人なうえに、声楽のレッスンをまともに受けた事すらほとんどない(独学→“学”なんて言葉をつけるのも恥ずかしいくらいにただ好きで歌っているだけな状態!!)。音から、言葉から、ニュアンスから、み~んな聞き覚え・・。だからイタリア語もなんちゃってイタリア語・・・・・・。 そんな男が世界中で歌っているプロの歌手の方を前にして歌うなんて、冗談も休み休み言え!!と蹴り上げられてしまわないか、と、緊張でいっぱいでした・・。 マウロ・アウグスティーニ氏はイタリアのバリトンで、ノーブルな深い味わいのある声をもった人。ヴェルディバリトンとして世界中で活躍しています。実は私も、高二のときに生で見た『トロヴァトーレ』でルーナ伯爵を歌った彼に惚れこみ、というか、バリトンというものを始めて意識させてくれた歌手であり、私にとってのルーナ伯爵は、バスティアニーニやカップチッリといった超名歌手が歌ったどんなすばらしいものをも凌駕して、このアウグスティーニ氏が唯一無二の存在なのであります。 まさに、そんな憧れとして思い抱いていた人と間近に会い、自分の歌のレッスンをつけてもらえる、これがどんな興奮なことか、皆さんもお察しいただけるかと思います 私が受講したのは23日と24日の二日間。場所は千葉の稲毛にあるコンサートサロン“サロンヴィーノ”という所。テノール歌手 小田求さんがマスターの小規模ですが小洒落たサロン。以前、私のバリトンソロコンサートをここで催そうかと計画していた事等のご縁で今回のレッスンのお知らせをいただきました。小田さんは橋下弁護士似(?)のなかなかいい男でして、聡明な声のテナーの方。アウグスティーニ氏とは師弟関係にあります。 さてさて。そんな事で1日目のレッスン。レッスン前はもう緊張で胸が張り裂けんばかり。電車の中で何度も楽譜を見直し、音の流れやイタリア語の発音などを繰り返し頭の中でリピート。楽譜とにらめっこしながら、やっぱりウソを覚えている事もあったりで修正に一苦労・・。そんな状態で極限の緊張状態の中、サロンへ。入室すると、既に別の方のレッスンが始まっています。いやぁ、いました!(あたりまえですが・・・)アウグスティーニ様!!おおっ、どんなにか私はそなたのことをお慕い申し上げていたことかっ~っ 私が最初に見た時から既に20年近くが経っていますので、お年を召されてはおりますが、そのノーブルな声には磨きがかかり、まさに声の圧さが指導の時から伝わってきます。他の方への指導を見ながら、自分の番が来るのを待ちますが、まさに心臓バクバク状態・・。こんなんでまともな歌が歌えるんだろうかぁ~っ・・。私の前には声楽家を目指して勉強されていらっしゃるであろう若い女性がお2人。2人とも美しい声です。特にお一人は『リゴレット』のジルダのアリア「caro nome」を歌っていましたが、コロラトゥーラがなかなか美しく決まっています。指導も実にフレンドリー、というか、アウグスティーニ氏も例に漏れず女好きのイタリア人?終始ニコニコしながら指導。しかし、発声の細かいところまで入念にチェック、何を言っているのか詳細な事は判りかねるのですが、厳しい注意、注文が飛んできます。しかも、ご自分でもがんがん歌う。そして、発声の指導を受けたと彼女が歌うと、あらら、きちんと声が出る。さっきので上手じゃん、と思っていたものが全然、声の伸びが違って聞こえる。おお~すっげぇぇっ。などと感心していたのも束の間、小田さんが「じゃぁ、次、ラインさん」 おおおおお~~っ!遂に!遂に来たのねぇ・・ もう、何だか自分が『のだめカンタービレ』の千秋さまを見て興奮する真澄ちゃんのような状態!譜面台の前に立つだけで緊張で倒れそう・・。 1日目は30分。『道化師』(レオンカヴァッロ作曲)からプロローグ。私の大好きな曲。バリトンの代表的な歌のひとつです。と、いう事は、当然アウグスティーニ氏の十八番でもあります。一通り1曲。このアリアはオペラの開幕冒頭で「道化も一人の人間。道化の悲しみを皆様にお見せしましょう」みたいな、前口上のアリア。前半の表情豊かな語りと後半の朗々とした歌そして楽譜には書かれていない2箇所の高音が何と言っても聞かせどころ。(この高音について作曲家が指揮者トスカニーニが譜面どおりの演奏をしようとした時、客が求めるのだからいいんじゃん、と認めたと言われる程魅力的です)しかし、私の1発目の1箇所目の高音、音がその高音めがけて徐々に盛り上がっていくと共に、自分の喉もどんどん上にずり上がってしまうのが判り、それと共に支えもあららと上へ・・。で、いざ高音~♪!撃沈!!確かに音は出ているが汚い・・。まずは、その高音の調整から指導へ。 私の声はどうも押しを強くしすぎて、喉がしまり、声の伸びを阻害しているらしい・・。d、アウグスティーニ氏、私の口のあけ方、アゴの出し方、このあたりは喉の開け方に直結しているようなのですが、ちょいちょいと矯正指導。するとどうでしょう、次に声を出した時には全然、高音が苦しくない。それに先ほどに比べたら全然汚くない・・。ビーン!と高音が伸びている。あんまり気持ちよくて伸ばしすぎそうになり、いい気になっている自分にハッと我に返り音を下ろしたくらい。なんじゃぁ、こりゃぁぁぁっ!! その後、今度は曲全体の構成へ。この歌が一体どういうものを歌っているものか、正直もう腐るほど聞いているし、とっても良く判っている、、、気でいました。しかし、マエストロが切々と語ります。レオンカヴァッロが喋っているように歌ってごらん、といって歌いだす。なんと様々な色の表現が繰り出された事か・・。しかも、1曲ガンガン歌ってくれたのです。こんな目前で生の歌をガツンと。これ一聴だけでも価値がかなりありました。それにしても本当に彩り豊かな表現・・。自分が判っているなんて事は屁のような程度(表現が変ですみません)だと思い知らされました。正直、レコードや舞台で見てもあそこまで豊かな表現を聞き取る事は出来ないと思っていたのですが、いやいや、実は本当のイタリアのプロ達はそのたわわで豊かな声の帯の中にその表現を全てのせて、聞き手に届けている。だから、聞き手(少なくとも私には)はただの大きな声、たわわな美声で聞かせているという風に誤解して、それを真似て歌おうとする私のような輩は歌の全てで大きな声を求めてがなってしまったりしていたんだと、気づかされました。家に帰ってほかの歌手のレコードなどを耳をかっぽじってよく聞いてみると、おおっ、確かに豊かな声の中に実に様々な色合いの表現がなされているではないですか!しかも、小手先の表現ではない、実に声と言葉(発音)で鮮やかに。もう目にウロコでしたもう、こんな事を知ったら、譜面を見るのも面白くてしょうがない!帰りの電車、家、翌日の通勤電車の中、この日の注意を思い浮かべながら、その表現に思いを馳せておりました・・。 2日目はなんと、私と女性お一人のみしか受講者がいない・・・。小田さん曰く「各所に案内も差し上げているんですが、千葉ではなかなか受講者が思うように集まらないですよ。」との事。もったいなぁい!!のひとこと。私のようなアマちゃんが受講するのは本当はちゃんちゃら可笑しいのかもしれませんが、声楽家を目指しているような学生さんなんかだったら、ホンモノに触れるいい機会だと思うんですが・・。まぁ、金額等やっぱりきつい面はあるのでしょうが・・。 まずは昨日の復習。昨日の注意を全て思い出し、(何だか興奮のせいか、昨日の注意事項が頭の中を見事に駆け巡りました)歌う。例の高音の部分はやっぱりちょっときつそうでしたが、なかなか表情を出せて歌えた、ような気がしました。するとマエストロも喜んでくれて「昨日言った事が全て出来ている」とお褒めの言葉を頂戴しました。その後、少し発声で高音部分を調整。「次の曲!」といわれたので用意していた2曲目、『アンドレアシェニエ』(ジョルダーノ作曲)のアリア「nemico della Patria」。これもバリトンの名曲。まぁ、難曲の部類に入るでしょうが、怖いもの知らずのアマチュアの強みです。 このアリアはオペラ版「ベルばら」と言われる(全然違いますが・・・・)このオペラに登場する、革命前は貴族の使用人、革命後は英雄と祭り上げられたジェラールの苦悩の歌です。ジェラールはかつて使われていた貴族の娘に恋を抱いている。しかし今彼女は逃げている。その彼女をおびき出すために、彼女が愛している詩人のシェニエ(実在の人物)を捕らえ、今まさに裁判の告発状を書こうとしている場面です。実はシェニエは革命前、貴族達を前に人々の苦しみを知らず、平和をむさぼっている貴族達を非難していた。にもかかわらず、革命後、彼は貴族側にいた者として手配されていたのです。本当のシェニエを知っているジェラールは自分の欲望と、貴族達への粛清を始めた革命政府、そして使用人としても英雄としても、結局は人に使われているに過ぎない自分を悲しみ、そして自分の描いたはずの理想の自分、理想の祖国へと思いを馳せる、そんな歌です。このアリアも前半は語り的、後半はその強い思いを馳せるために劇的な歌唱となるといった構成。これも最初に一通り。で、まずはイタリア語の発音のおかしなところを矯正。ここでは一部固有名詞が出てきたりして、その発音が難しい。音符にのせるとうまくはまらないんですね・・。で、何度かダメだしを受けて、再度曲の指導。ここでもやはり、昨日の『道化師』同様、表現の色彩がきらきらと輝くよう・・。感想は前日と同じものを抱いたので、ここでは反復になるので申しませんが、とにかくドラマチック。その指導と共に、また歌ってくださるのですが、告発状のペンを走らせる時の苦悩、自らの重い苦しみ、そしてその理想を吐き出すかのような激情のほとばしりまで、実に見事に表現する・・。で、彼の歌声にのせて、私も歌うのですが・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 26, 2006 01:58:18 AM
コメント(0) | コメントを書く
[舞台・稽古雑感] カテゴリの最新記事
|