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カテゴリ:日々の暮らしで思ったこと・気づいたこと
先日、ある雑誌に書かれていたエッセイを読みながら思わず何度も頷いてしまったのだが、その記事の内容は、『I love you(アイ ラブ ユー)』という言葉を言う頻度についてであった。
エッセイスト自身の経験を元に、近年の『I love you』の多用に色々な思いが綴られていたのだが、彼女が経験したエピソードの一つ一つも私が経験したことと似ていて、共感の笑みさえ込み上げてきたほどである。 その経験というのは、例えば、ある人が携帯電話で家族か友人であろう話し相手に待ち合わせ場所への道順を教えていたのが聞こえてきたのだが、電話を切る度にことごとく『I love you』と言っているのを耳にし、それが会話の内容よりもものすごく気になってしまったこと、そして、今まで『I love you』と日常生活の中で言う習慣もなかった自分の親が、恐らく嫁や婿の影響で、突然『Love you!』と電話での会話が終わる度に言うようになり、それがまた不自然に思えたことなどである。 私自身が経験したことの中でも特に印象に残っているのは、私の夫の弟が、奥さんや奥さんの家族との電話を切る度に『I love you』と言い始めたことだが、夫の家族間でも『I love you』という言葉は時々聞かれるものの、いわゆる、『行ってらっしゃい、I love you!』、『また明日電話するよ。I love you!』、『すぐ戻ってくるよ、I love you!』、『洗濯物をたたんでおいてね。I love you!』などの頻度ではないことは確かだ。 こうしたことを考えても、夫の弟が『I love you』と頻繁に言うようになったのも、恐らく奥さんや奥さんの家族の影響だと思うのだが、私も夫も、初めて夫の弟やその奥さんが『I love you』という言葉を10分に1回の割合で口にし合っているのを聞いた時には(まあ、新婚ほやほやだから、というのもきっとあるに違いないだろうが、、、。)、家庭内の文化の違いに何だか心落ち着かない気までしてきたのである。 もちろん、『I love you』はどれだけ言っても足りないという人も中にはいるだろうし、『I love you』と言う回数はどこまでが理想だと私には論するつもりもなく、ただ、ハグさえ未だに苦手な私にとっては、沢山の『I love you』は少々堪えるものがある。 幸いなことに(?)、夫の弟が『I love you』という挨拶を交わすのは奥さんと奥さんの家族に限ってのことなので、『I love you』の言葉を言われる度に『I love you』と返さなければならないという変なプレッシャーはないので正直ほっとしているところだ。 まあ、私の場合は、頻度には関係なく、私の性格上、『I love you』という言葉そのものを言うことに対して妙な照れ臭さを感じるので、余計に敏感になっている部分はあるのかもしれないが、個人的には、『I love you』は控えめに言いたい派である。 そんな私に都合良く、私の夫も同じく『I love you』は滅多に口にしないタイプなのだが、それでも、以心伝心で満足する私と違っているのは文化面でも明らかなことで、今でも、ごく偶に夫が口にする『I love you』に戸惑ってしまうことも事実、、、。 つい最近も、ハグつきの『I love you』を受けたのだが、ボサボサ髪でしかもTシャツと短パン姿で多量の汗をかきながら料理中の、生活臭プンプンの私からすれば、『何で今のタイミングで言うのさ・・・?』という疑問が頭の中にぽっと浮かび、『I love you』と言われた心地良さに100%浸れずにいたのである。 私の中では、特にアメリカに来る前は、『I love you』という言葉は映画、つまり非日常の中の言葉に過ぎないものであったこともあり、また、自分の親きょうだいとでさえ互いに対する愛情を日常生活の中で口で表現し合うこともなかったので、こうした日常の中で何気に登場する『I love you』は、私にとってはカルチャーショックそのものだったりする。 そして、何気ない瞬間の中で、『この人と結婚して良かった』とか『この人といて幸せだ』と思うことはあっても、なかなか『I love you』という言葉は私の口からはスムーズに出てこないのは、今も変わらぬままである。 恐らく、これが「気持ちを表現することが大事」な文化と「気持ちを察するのが大事」な文化の違いなのかもしれないのだが、私は先述したエッセイストの『I love youという言葉を何度も口にするのもいいけれど、日常の何気ない行動の中でそっと愛情を示すことも大事』という意見に同感で、例えば、朝出かける時に玄関先で見送ったり、相手のことを色々考えて行動したり、話に真剣に耳を傾けたり、そっと抱きしめたりなど、そういう愛の表現の仕方もアリだと思うのだ。 もちろん『I love you』と言わないと、『I love you』と周囲から言われて育ってきた夫が寂しがってしまうので、私は『I love you』という言葉を出来るだけ口に出すようにはしているのだが、それでも、結婚記念日や夫の誕生日、そして夫に『I love you』と言われた時に『I love you』と言い返すという程度で、『I love you』と表現する場をほとんど夫が機会を作ってくれているようなものである。 こう考えても、私の家庭で『I love you』という言葉が家の中でさかんに飛び交うことはきっとないだろうと思うのだが、私なりの『I love you』が夫にきちんと伝わってくれていたらいいなと思う今日この頃である。 、、、と、こういうことを考えている時に、丁度いいタイミングで愛に関連するチェーンメールが届いたので、私が気に入った部分だけを紹介したいと思う。 『愛って何?』と題したこのメールは、4歳~8歳の子どもたちを対象に愛とはどんなものかを語ってもらったという内容のものである。 ~『愛って何?』~ 'When my grandmother got arthritis, she couldn't bend over and paint her toenails anymore. So my grandfather does it for her all the time, even when his hands got arthritis too. That's love.' Rebecca- age 8 「私のおばあちゃんは関節炎のせいで、かがんで足の爪にマニキュアを塗ったりすることができないの。だからおじいちゃんがいつも代わりに塗ってあげているのよ。おじいちゃんの手も両方関節炎にかかっているのにね。これが愛だと思うわ。」レベッカ(8歳) 'Love is when a girl puts on perfume and a boy puts on shaving cologne and they go out and smell each other.' Karl - age 5 「愛ってね、女の子は香水を身につけて、男の子はシェービングコロンを顔につけて、それでもって、一緒に遊びに行ってお互いの香りを嗅ぎあったりすることだよね。」カール(5歳) 'Love is when you go out to eat and give somebody most of your French fries without making them give you any of theirs.' Chrissy - age 6 「愛って、誰かと一緒に外食に出掛けた時、自分のフライドポテトをほとんどみんなに分けて、自分は一切みんなからもらったりしないこと。」クリッシー(6歳) 'Love is what makes you smile when you're tired.' Terri - age 4 「疲れている時でも笑顔にしてくれるもの、それが愛だよ。」テリ(4歳) 'Love is when my mommy makes coffee for my daddy and she takes a sip before giving it to him, to make sure the taste is OK.' Danny - age 7 「愛とは、僕のお母さんがお父さんのコーヒーを作る時に、まずはちょっとすすってみて予め味を確かめてからお父さんにコーヒーをあげることだよ。」ダニー(7歳) 'Love is when Mommy gives Daddy the best piece of chicken.' Elaine-age 5 「愛はね、ママがダディに鶏肉の一番いいお肉の部分をあげることなの。」エレイン(5歳) 'Love is when Mommy sees Daddy smelly and sweaty and still says he is handsomer than Robert Redford.' Chris - age 7 「ダディがどんなに汗をかいて臭くても、ママは『ダディはロバート・レッドフォードよりもハンサムだわ。』と言うんだ。それが愛だよ。」クリス(7歳) 子どもたちは子どもたちなりに色々な行為から愛をしっかり受け止めて感じているのだなと感心させられたものだが、私は私で、愛の表現の仕方をアメリカに来てから初めて色々と考えるようになったような気がするのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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