カテゴリ:老いのスキルアップ
昨日もまた重大な事故があったようだ。
ドイツ旅客機墜落で150人全員死亡、搭乗者名簿に邦人2人の名前- ロイター(2015年3月25日07時39分) ジャーマンウィングス機の事故で被害にあわれた方々・・・まだ詳細もわからないのでこれ以上の言葉は控えますが、深い哀しみを覚えます。 なんだか世界中で毎日重大な事件や事故が起こっているようである。 勿論いつだって広い世界のどこかで人は死に人は苦しむ。 でも、それはニュースにならない、あるいは日本の片隅の私にまで届かない。 しかし、昨今はネットなどのおかげか、よく届くようになったものだ。 自分から動けない老いの身にはありがたいが哀しみが増えるのは辛い気がする。 日本の権力者はこういう世の中でなにがしたいのかとふと考える。 人間は弱いもので自分の顔を見ることなく死ぬ。 自分の後姿も見ることができない。 そういう運命であることを忘れてひとりでなにかできると思うのは傲慢であろう。 私は子どもの頃から変わっていたのでよくいじめられた。 (勿論無意識にいじめに加担していたこともあったかもしれない。) とにかく「いじめっこのいいなりにならない」と非常に強烈にいじめられた。 そして、児童小説のように、そのいじめっこが実は良いやつでその後友人になったなんて私のこれまでの人生ではなかった。 いじめっこは「いじめたことなど忘れ、いじめた対象も忘れ」自分の立身出世のお披露目のときだけ招待状をくれたりする存在になった。 (ほとんど無視するが、私などハナクソのような存在なのでまた招待状がくる。) 社会人としての経験もハナクソくらいはある私の考えだか、仕事をするうえでは色々なやり方で相手を操作しなくてはならないこともないわけではないと思う。 しかし、ただの友人関係で相手を操作しようという動機からうまくいくことはないと思う。 人のパシリとして飲み物を買いにいかされるなどでも、大人になってみると、「仕事関係だから」とか理由がないとかなり不愉快なものである。 不愉快ではないとしたら、その行動が自分から「やりたい」と思ったからであろう。 思うに愉快であることを求めて「受身」でいても、今の時代に何時にも増して良いことは期待できないだろう。 代わりに、あくまで私見だが、自分に必要だと思ったことは勇気をもって自分からやる必要がある時代であると思う。 多分かなり恵まれた環境に生まれているひとでも「受身」だとそれなりの被害を受けることが目前に迫っているようである。 小さなことでもよい。 後姿を見ることなく死ぬ自分の運命を受け入れて、そのことを知っている隣人と自分の意志で協力する時間を持ちたいものである。 儚い人生に希望を持つために呟く☆ パナセァ pppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppp ☆フランスにちなんだページです!(^^ゞ☆ 札幌道新文化センター「初めてのパリ・旅のフランス語」 楽天ランキング 総合1位 **************************************** ○お勉強のページ(*^^)v☆ panasea75のフランス語超入門におよりくださいませ\(~o~)/♪ トップページもご覧くださいませ(#^.^#)☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 25, 2015 11:31:25 AM
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