|
テーマ:障害児と生きる日常(4432)
カテゴリ:kana
kanaちゃんは小学2年の時に「網膜色素変性症」の疑いと診断されました。
生まれつき聴覚障害がありますので、網膜色素変性症を併せ持った場合は アッシャー症候群 と言う病名になります。 その後、ほぼ毎年1回眼科に通い、進行状況を観察してもらってます。 で、学校から提出書類として「健康状況チェック表」みたいなのを預かりまして、 そこに主治医さんから診断結果を記入して頂いてます。 去年まで、そこに書かれていたのは「網膜色素変性症の疑い」って診断。 私、その「疑い」って言葉はいつまでくっ付いてくるのかしら?って密かに思ってました。 初めて診断されたその日、私は不覚にも付き添って下さった先生や主治医、検査師さんや 看護師さんに囲まれた状態で、涙してしまい・・。 ほんの少しの時間でしたけど。 聴覚障害もある、知的障害、自閉もある。 当然その辺りも把握して下さっていましたので、主治医の先生の配慮で「疑い」の文字を くっ付けておいて下さってたのだと思います。 でも、いつまでもこのままじゃないだろうな~と、私の中では3年目位から確実な診断名に しておくべきだと感じ始めてました。 なので、今年の春休みに診察に行った時に、主治医先生に 「疑いは付けなくていいです。」 って伝えようと思ってました。 そしたら、先生の方も同じ考えだったようで、書類に記入する際に 「もう 疑い は外しますね? いいよね?」 って尋ねて来られました。 (ひゃ~~っ。先を越されたっ!(笑)) って思っちゃいました。 本当は、最初から必要のない言葉だったのですよね。 先生は早い段階で確信しておられたはずです。 毎年「このあたりの色素が沈着してるからね・・」って説明をして下さってましたから。 「疑い」って言葉によって、最初からいきなり決定的に突きつけるのではなく、少しずつ でもしっかりと私自身が受け入れられるように、準備期間を作って下さってたのだと思います。 最初から間違いないと判っていたけど、kanaとの日常生活を通して観察することと診察結果の 両方から、私や家族が網膜色素変性症ってどんなんかを実感しつつ受け入れて行く。 たとえば、おそらくですけれど、あごの辺りから下の部分は視界に入らないので、 背が伸びるにつれて足元の物を蹴飛ばす確率が高くなって来ているし、慣れない道だと 歩道なんかに立っている腰の高さ位までのポールとかガードには、まっしぐらにぶつかって 行ってしまいます。 なので、小さい子がいるのに気が付かない事も多くて危ない・・。 それに、真横に立っている私を見つけられなくてキョロキョロ慌てて探す事も多いし、 物を手渡す時は、目の前にかざさないと全く気が付きません。 診断されてから、生活の中で気をつけて見ていると、なるほど視野が狭いからこうなるのか・・ って発見が沢山ありました。 言葉で説明されるより何より、実際に見て実感していくことが理解への一番の早道ですね。 色々なことを「疑い」の目で観察する事で、それまで「何でやろ?」って不思議だった事も もしかしたらこうかも・・って考えられるようになりました。 ってことで、今年のkanaちゃんの診断からは「疑い」の文字が消えました。 どんな風に進行するのか、全く予測が出来ませんけれども、どうなっても大丈夫だと言えるよう 気持ちを改めて、日々大事にしていかねばと思ったしだいです。 網膜色素変性症協会サイト kanaが診断された当初の事を書いた日記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[kana] カテゴリの最新記事
|