カテゴリ:少し前のこと
地震が起きた日は、ぱんず(妹)と徒歩で駅前から 自宅へ戻る途中でした。 変な音が鳴り、なんだろうと思っていると 地面が揺れ始めました。 まるで映画のような揺れ方に驚き そばにあったつかまれそうなところへぱんず(妹)を抱え しがみつき、電柱や、壁が倒れてこないか当たりを見回していました。 揺れがおさまり、学校へ行かなければと 歩きだして少しするとまた大きな揺れが。。 学校へ急ぎました。 校庭には避難した生徒や先生がいましたが ぱんずちゃんの姿が見えません。 聞けば、まだ中にいて保健室で用務員の人と一緒にいると言われました。 校舎は耐震工事の真っ最中。 なぜ避難させてくれないのかと疑問に感じましたが でてこないのでしょう、きっと。。 外から保健室に通じる声でぱんずちゃんをよびました。 すると「みんながいるから行かない。」と(/ω\) そんなことを言っている場合ではないのに。。 みんなのところへは行かないから、出てくるように言って 校舎の前のベンチにしばらく座っていました。 電話は全然通じず。。 その後、家族の無事が確認されましたが ぱんず(父)の両親は岩手県出身。 実家は被災しませんでしたが、親戚の人たちや 同級生がなくなったようです。 今年は同窓会がある年だったのに。。 夏くらいにお義父さんがお葬式に出席するため 東北の方へ行きましたが、言葉が出なかったようです。 ぱんず(父)が帰宅して、テレビを見ていると津波の映像が 流れてはじめて惨事を知ったぱんず(父) 「うわっ!!うわぁ~!!」と叫んでいました。 それを聞き、ぱんず(妹)は叫ぶのを覚えたのですが ぱんず(父)はその後しばらく津波の映像ばかり見ていました。 ぱんずちゃんには、なかなか伝わりにくい惨事。 理解できないぱんずちゃんに、ぱんず(父)が何度も説明しますが 伝わりません。 最近になって、なんとなく理解できたようですが ぱんず(父)は一緒にみに行けばわかるのではないかと 連れていこうとしていたようですが 行くだけでは迷惑だと止めました。 二人のもどかしさは、重なることはありません。 次の日は、外出を自粛するようにテレビでは呼びかけられていましたが 通級指導教室へ行く日だったので、送っていく途中見た光景は、忘れられません。 駅に近い学校だったのですが、自転車の数がとてもすごい。 トイレットペーパーやら、ティッシュペーパーが積んである自転車の人ばかり。 買い漁り?なのか、スーパーには何もなく パンを2000円位買う人もいて、それを見たときに きっといつもは買わない人なのだろうとは思いました。 自分の家庭を守ることが一番大切なのかもしれませんが 東北の人たちの譲り合いの心を持ち合わせている人は こちらには少ないのでしょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月11日 22時08分35秒
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