アメリカンなNissan Racing Machine / R381
久々にボクのおもちゃのご紹介です。きょうの一台はというか二台ありますが、日産自動車が1968年の第5回日本グランプリを制覇するために送り出したR381、左右2分割の可動式のウイング、当時の日産いわくエアロ・スポイラーを持つ5000ccの大排気量マシーンです。この年の日本グランプリはいわゆる"TNT"(TOYOTA, NISSAN, TAKI RACING ORGANIZATION)の対決が前年より、さらに加速し、トヨタはTOYOTA7を、日産はこのR381とR380を、タキ・レーシングはローラT70MKIII、ポルシェカレラ910、906と各チーム精鋭のマシーンたちを大挙エントリーさせました。写真手前のゼッケン18のR381は予選でポール・ポジションを取った高橋国光選手がドライブしたクルマ。その奥のクローズド・ボディの R381は開発当初テストで走っていたクルマです。テスト・ドライブは名前は忘れましたがアメリカ人ドライバーの手で行われました。何故、日本人ではなくアメリカ人ドライバーだったかと言うと、R381に搭載されていたエンジンはMOON TUNE(アメリカのチューニング・メーカーです)のシボレーV-8だったからです。レースでの実績も多くあり、立派な自動車メーカーだった日産が勝つためとはいえ他社製の、しかもアメリカ製のエンジンを自社のレーシング・カーに搭載してグランプリに挑むというのは当時、各方面から多くの批判を受けました、自社製のV12エンジンの開発が間に合わなかったのが理由なのですが、随分と思い切った決断だったと思います(今だったら、逆にアリなのかも知れませんが)。結局、北野元選手がドライブした20号車が優勝、高橋国光選手の18号車は、ホイール・トラブルでリタイアとなりました。写真の中でミニカーの後に写っている手裏剣みたいなカタチをしたものは、高橋国光選手リタイアの原因のひとつになったホイール・スピンナー、使用されたものではないようですが実物です、papadas秘宝館から最近発掘されました。