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テーマ:たわごと(26887)
カテゴリ:今は亡き母の話
夢をみた。
知り合いの家を訪ねた。 なぜか母もいっしょだった。 知り合いは腕が痛いと言うし、私は頭が痛いということでお互いに痛いところに手を当てあった。 そこになぜか母も加わってきた。 「さっきまで昼寝をしてたの・・・」 知り合いは他にもお客さんがきていて忙しそうだった。 「じゃ、ここで寝てようか。」 母と同じ布団で横になっていた。 母はいつのまにか寝間着に着替えていた。 少しウトウトして やっぱり、起きよう! そう思って布団からでると母は90度回転して寝ていた。 とても無防備な姿だった。 目覚ましの音が聞こえた。 こんな時間に?! お昼を過ぎた時間のはずだけど・・・?! そのときに夢だと気がついた。 我が家の起床の時間の知らせだったのだ。 穏やかな母だった。 久しぶりの夢での出演だった。 生きているときにはこいつは悪い人なのではないか?!などと疑いのまなざしで人をみていた。 いつも母といたときにはハラハラしていたものだ。 何か気まずいことを言い出すのではなかろうか・・・ そんなこともあって、この人が私の母であると大きな声で人には言いたくなかった。 母が私を拒絶していたのでなく 私が母を拒絶していたのだった。 子どものような母に恥ずかしさを感じていた。 時折、母親面してものを言われるのがいやだった。 母をさげすんでみていた。 でも夢の母は素直なやさしい母だった。 昨日は久々にTさんとランチした。 テニスを始めた頃に知り合った元気な看護師さん。 教室のある日は仕事明けでも、これから仕事に行くという時でも元気に参加されていた。 年齢は私よりも9歳上の社会的にも人の上に立つ立場の人だ。 姉と同級生である。 テニスをやめた今でも時々誘ってくれる。 これも何かのご縁なのか・・・ テニスを始めたのは私が体調不良だったことがきっかけだった。 時間のある奥さん達をさそって教室の他の日も4,5人でよく練習したものだ。 多いときは週に3回くらい会っていた。 そこから一人抜け・・・二人抜け・・・ メンバーもいつしか変わっていき、私も両親の病気で参加できなくなった。 気持ち的に余裕がなくなっていた。 母がTさんのつとめる病院に入院したことがあった。 「同じ名前だったからまさかねぇ・・・とは思ったけど。」 お互いに驚いた。 ジャージ姿しか観たことのないのお姉様のお仕事ぶりを目の当たりにしようとは・・・ 母との微妙な関係も知っていた。 Tさんも婿取り娘で、立場はよく似ていた。 だから共感してくれる部分があったのだと思う。 1年ぶりくらいのランチだったかもしれない。 数週間前に買い物をしていてTさんをみかけた。 相変わらず忙しそうで 「今度ひさびさにランチしようね~。」 そう言って別れた。 約束は果たす人なのだ。 「あなたのご両親からいろいろ学ばさせてもらったわ・・・」 そう言ってもらえると嬉しいものである。 5年前に頸椎をけがしてずっと寝たきりになるかもしれないと宣告された。 でも見事に手術が成功して母は普通の生活に戻れた。 自分の足で動けるようになれるなんて・・・ それから4年後に癌で亡くなるなんてまさかの展開だった。 思えばあれから何かが動き出していたのかもしれない。 その頃からちょっとしたことで甘えてくるようになった。 定期検診にはわたしが連れて行くしかなかった。 病院が実家から少し遠いので公共機関では行きにくかった。 「もう、しょうがないよねぇ~。」 口の悪い私は、いつも迷惑そうな顔をしていたと思う。 でも本当は母の力になっていることが嬉しかった。 私にしかできないことだと思っていたから。 「おまえを産んでおいてよかったよ~。」 調子のいいことを言う母だといつも思っていた。 母の言葉はいつも嘘くさいと思っていたから 「ふん!」 って言っていたけど・・・ 本音だったのかなぁって今思う。 わざと私をほめなかった人だ。 私がうぬぼれるといけないと思っていたらしい。 私に足りなかったものは自信だよ! ちょっとうぬぼれさせてほしかったよ・・・ 今日の夢の母は本来の母の姿だったのかもしれない。 昨日、私がTさんに母の悪口を言わなかったからご褒美で、でてきてくれたのかもしれない。 いつもなら夢の中で 母は死んだからこれは夢なんだな~ そう思って目覚めるのだが今日は起きるまで何も思わなかった。 そっか・・・ いないんだったって思った。 私はまだ両親を恋しいのだろうか・・・ 時々でる涙の意味が自分でもわからない。 感謝の涙かもしれない。 今朝は気分が良い。 夢分析が気になるところではあるが・・・ 気分よしって事で良しとするか。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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