違いの分かる男とは
最近、脳科学者が発言力を増している。メディアへの露出も多いように思う。スピリチュアルな世界がもてはやされる時代において、アンチテーゼのごとく脚光を浴びているのかもしれない。近頃、日経新聞の夕刊に東京大学薬学部の池谷裕二さんがコラムを書いている。今日のテーマが、「違いが分かる人」。「”違いが分かる”とは大脳皮質のその領域が拡大していること」と単純明快な話である。しかし、”ラ”の音しか聞かないで育ったネズミは、”ラ”の音を聞く大脳皮質の領域が拡大するらしいのだが、そのほかの音階の音と区別できないと言う話であった。つまり、いろいろな音を聞かないと、音の違いが分かるネズミにはならないわけだ。人間でも同じ。いろいろなものを聞いたり感じたりして比較するトレーニングを積むことによって、はじめて「違いの分かる人」になれるのである。だがしかし、寿司なら”松”、うな重なら”特上”、フランス料理なら”三ツ星レストラン”ばかりで幼少期から食事してきた人は、おいしい料理を”おいしい”と感じないのだろうか?そんな人がいるかどうか分からないが、やはりまずいものを食ったら”まずい”と思うのではないかという気がする。やはりこれまで感じたことのない感覚が走った場合は、違和感を感じると思う。その違和感を”違いが分かる”ところまで研ぎ澄ますのが、人生の目標なのかもしれない。つまり、違いの分かる男になるためには、とにかく多くの経験をすることが大切なのだと言う結論になる。自分はもとより、自分の家内や息子たちにも”違いの分かるひと”になってもらいたい。でも、我が家ではできるだけお金のかからない方法で経験値を積めるよう頭をひねる必要があるのが...少し悩みのタネである。