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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:私のお仕事
私たちのデパートメントには何人かのマネージャーがいるのですが、以前は一人でした。その人、デパートメント・ヘッド(部長?)に当たる人が他の部署に引き抜かれることになりました。
十数年、ウチの部署で改革に次ぐ改革を繰り返し、デパートメントを大きくしてきた人です。警察畑から来た人で、軍隊や警察のような連絡システムを作り上げた人でした。 私自身もこの人に拾われ、育てられ、任されてきました。人材を登用するという点では大胆な抜擢をする人でもありました。そうでもなければ、私は職にありつけさえしたかどうか。
まさか、今頃ヨソに引き抜かれていくとは思いもしませんでした。 後釜に座るのは、デパートメント内の誰かとも、他所から来るとも言われていますが、彼ほどリーダーシップのある人が他においそれと見つかるのでしょうか。 DDがいなくなっただけでも、事務上の手続きの何もかもが変わりました。 よく変わったとばかりは言えません。すべてが簡略化されましたが、悪く言えばナアナアになりました。 「母親」がいない子供たちの集団がてんでに自分のことをしているような状態です。ちょうどコンピュータシステムの移行期でもあり、役割分担が不明瞭になってきているということもあります。 ここでまた「父親」を失う私たち...。 彼のリーダーシップの強さは、悪く言えばワンマンということにもなります。味方も多いけれど、それだけ敵も多い。でも誰かが、ハンコを押さなければ、物事前に進めないのです。 彼とDDは、「私が責任を取るから」と言える人でした。 DDは季節のデコレーションや、オフィス内の雑用的なことが大好きで、私はDDに「そろそろ仕事をしようよ」といつも声を掛けていたのですが、コトが起こった時にはDDは「私が責任を取るから、あなたにやりやすいようにしなさい」と言ってくれる人でした。そういう言質がなくとも、DDがそういう人だとわかっていたので失敗の心配をせずに仕事ができました。 マネージャーのRYも同様でした。 私はそうやって育てられ、鍛えられてきました。 私たちのデパートメントはいまや大所帯で、まとまりも悪くなっているのですが、人もシステムも何もかも変わる時期に来ているのでしょう。 さびしいな。 私は日本での社会人経験は4年しかなく、女だったということもあり、その当時の会社では「育てられた」というほどの経験はさせてもらえませんでした。 今の職場で10年、本当にゼロから叩き上げられ、自信も実力もつけさせてもらえたのは幸運でした。日本でもしてもらえなかったことを、外国人の身分で、しかも履歴もとるに足らないのにここまで育ててもらえました。 運にも恵まれましたが、それも任せて後押ししてくれるマネージャーや上司がいたからこそ、その運を掴みきれたのだとおもいます。 カナダは田舎で、人間もお人好し。それを地でいくような職場で、これまで働かせてもらっていました。 これからどうなっていくのか不安ですが、私もこの職場で10年の節目を過ぎ、尻込みしている時期を過ぎました。職場の「お父さん、お母さん」を失っても、独り立ちしていけるだけのじゅうぶんな経験を積んできていると自分を信じるしかありません。 マネージャーのRYは、見事にツルッぱげ。ちょっと太目の外見から「ハンプティー・ダンプティー(『不思議の国のアリス』の登場人物)」と陰で呼ばれていました。 私たちのオフィスは大所帯ですがアットホームで、我が家だけではなくどこの家族もオフィスや同僚の集まりに時折加わっています。娘もものごころつく前から、この「ハンプティー・ダンプティー」おじさんをよく知っています。 ハロウィーンに、娘がアリスのコスチュームでオフィスに来たときにいっしょに写真をとっておけばよかったなぁ。
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最終更新日
2011.11.05 19:20:36
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