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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:私のお仕事
先月亡くなった同僚(享年80歳)のお葬式に行ってきました。
当初の予定では午前中の式だったので1日休みを取っていました。その後、午後の式だとわかったので仕事に行くなら半日行けたのですが、病み上がりでもあるので予定通り全休にしてゆっくりしました。 教会での式で、約2時間の長いサービスでした。その後のレセプションまで含めると3時間です。 途中で故人とのエピソードなどを自由形式でスピーチする場が設けられたのですが、いろいろな面白いエピソードが飛び出し笑わせてもらいました。 日本のお葬式もそうですが、寿命を生きたと思われる年齢に達した人を見送る式には涙ばかりではなく、笑いもあります。 故人は高齢であるばかりでなく、独身で、近い親戚ももうこの世にはいないようです。いわゆる天涯孤独のような身の上ではありますが、スピーチを聞いていて、近い間柄の長年の友達に見送られて逝った幸せな人生だったのじゃないかと思いました。 私には日本にきょうだいや甥姪がいますが、私が高齢になった頃、海外に住んでいてお付き合いが続けられるかどうかわかりません。その頃にはきょうだいも高齢になっていますので、私の葬式には日本からの参列があるかどうかわかったものじゃありません。 身寄りはあってよい関係であったとしても、距離的に無理なものは無理です。 これからは社会も高齢化が進むので、天涯孤独というような人も増えるのではないかと思います。ウチの娘だって、年の近いいとこは日本で、カナダのいとこは私の世代です。配偶者がいなければ完全な天涯孤独になるでしょう。 天涯孤独という言葉には、胸が痛くなるほどの孤独のイメージがあったのですが、今日のお葬式に参列し、自分次第なんだなぁといいイメージで考えられるようになりました。 私の同僚は、病院で、家族に囲まれるのではなく、数十年来の友人に看取られて「オレも、もうすぐ行くからな!」と声を掛けられ励まされ、苦笑いのような微笑を浮かべながら旅立ったということでした。 やはりヨボヨボした友人がそうスピーチして爆笑されながら、ああ、彼もここで笑ってる他の友人たちと同様、「ホント、冗談じゃないぞ、お前もすぐだな」と思いながら旅立ったのでしょうか? 高齢の人のスピーチでは、死ぬということは「あちらの世界へのジャーニー」と表現され、なんだか死ぬのも怖くない、お気軽にあっち側に行けるような気がしてきます。 そして彼がどう生きたのかがそのままギュッと詰まったお葬式だと感じました。 お葬式を締めくくる最後の音楽は、ジャズの"Let The Good Time Roll" でした。 参列者が楽しめるようなお葬式を希望していたという彼自身の選曲だそうで、最後は大合唱になり、ほんわか温かい気分で式が終わりました。 ↑ 画像クリックで YOU TUBE, Louis Jordan "Let The Good Time Roll" へ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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