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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:私のお仕事
私たち海外に住む日本人は、親の死に目に会えないかもしれないという不安を抱えています。何かの折にふと、思い出しては不安になるのですが、今日、こればかりは日本人だからとか海外に住んでいるからといって特別なことではないのだと感じるような出来事がありました。
同僚のECのお母さんが先日亡くなり、彼女はお葬式に行かないという選択をしました。 親子で不和だったから葬式に参列しないというわけではありません。 ECは来月仕事を辞めて、お母さんの住む東海岸の街に引っ越す予定でした。 お葬式に行かないのは、そのために休暇を使う代わりに、お母さんの息のあるうちに故郷を訪れるということを選択したからです。お母さんと最後の時を過ごし、バンクーバーに戻って間もなく訃報を受け取ったのです。 お葬式には参列しないけれど、予定通り来月故郷に帰るそうです。 似たような話を数ヶ月前に別の同僚からも聞きました。 やはり遠くに住む家族が明日をも知れぬ病状で、限られた休暇と旅費を生きて会うために費やしたのです。 その結果、お葬式には出席できなくなりました。 家族が外国に住んでいるのでなくとも、大きな北米大陸の端と端では親の死に目に会えるのは幸運です。死に目に会えないことは珍しいことではないので、普段の会話にも上りませんし、『親の死に目に会えない』というような慣用的な言い回しもありません。 死に目に間に合うかどうかということよりも、まだ意識がハッキリしているうちに会って最後のお別れを言うというのは、文化的に日本人にはできるかどうかわかりません。死期を宣告されていなければそういう状況は起こりえないからです。 最後の最後に何が大切なのか、ちょっとわからないですが、息を引き取るのを見守ることはできなかったとしても、意識があるうちに最後の会話をするのも大事なことなのじゃないかと思います。 縁起がよくないので、こういうことはあまり考えたくないのですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.10 04:39:54
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