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テーマ:海外生活(7772)
カテゴリ:私のお仕事
私の自宅から職場は目と鼻の先です。1ブロックの距離、斜め向かい合ったビルで、オフィスのバルコニーからウチのバルコニーのテーブルに置かれた客用灰皿が見えるような距離です。
通勤時間は多く見積もってエレベーターを上下する時間まで含めても片道5分。 子どもがいると職場と家庭は近ければ近いだけ便利です。プライバシーはないけれど、小さな会社というわけでもないので、こちらが気にするほど誰も私たちの生活になんか関心ありません。 そのオフィスが来年移転します。 20年リースが切れるのが来夏で、リースを更新せずに引っ越し先を探しているという噂を聞いたのが昨年。最近、引越し先が内定しました。 移転先は、ダウンタウンの商店街の賑やかなエリアで、歩いて通勤できる場所です。徒歩15分というところでしょうか。そのくらいの距離になれば今より30分ぐらい早く家を出て余裕を持って行動するようになると思います。 実は候補地に悪名高い「ダウンタウン・イーストサイド」の某所があり、ずっとヒヤヒヤしていました。歩いて通えないばかりでなく、物騒だし、ランチに行くような小洒落たレストランもない場所だったからです。そこに決まっていたら最悪でした。そこ以外なら実際どこでも嬉しかったのですが、決まった場所は私好みで、しかも便利な場所です。 新しいオフィスから2ブロック圏内にショッピングセンターがあり、ラーメン屋があり、その他日系の軽食レストランがあり、スーパーマーケットも3軒もあり…と、ランチの時間は楽しいことになります。 日系の店以外にも北米のチェーン店はもちろん、韓国・中国・インド・タイ・中東系などなど多国籍の小さなレストランが並ぶエリアです。 職場と家が近いということは、仕事を掛け持ちしていた頃にも便利でした。ランチ時間は家でお昼を食べ、夜仕事の仕度をすることもできました。家が遠かったらとてもできない芸当でした。 子どもが小さい時、病気で学校を休んだ日は、ダーリンと二人でランチ休憩を挟んで午前・午後交代に休みを取り看病をしました。 ここ数年間は、ランチ休憩に自宅ビルのジムでトレッドミルでウォーキングをしていました。 ダーリンが欝で仕事を休んでいる期間も、お昼休みに家に帰って様子を見たりなど近くに職場がある利を存分に利用しました。 ダーリンの鬱はともかくとして、もう夜バイトもしていないし、子どももティーンエイジャーになったので多少通勤時間が長くなっても文句はありません。長くなったといっても徒歩通勤の距離ですし。 物事がうまく運ぶ時、後になって考えれば「そのとき・その場所で・そういう状況でなければ、できなかった」ということがあるものですが、私の職業人生を考えてみるとまさにそれで、この10年余りオフィスがもし他の場所にあったなら、今の私はなかったと思います。 オフィスがこの場所にあって、家もこの場所にあったからこそ、働き始められたのだし、働き続けられたのだと思います。 私の場合は、子どもを産んだ後にさしたる経験もなく現在の仕事を始めたので、オフィスのロケーションというのは重大なことでした。 オフィスのある建物のスーパーインテンダント(ケアテイカー)は、私が仕事を始めた2001年から同じ人ですが(それも珍しいことだと思いますが)、オフィスが移転しても私は毎朝、新しいロケーションに通勤する途上、現在のオフィスの建物の前で「おはよう」と言うことになるでしょう。 この国、この街に来て歴史が浅い私には、大切な知人のひとりです。 オフィスが移転するのは楽しみでもあり、不安でもあり。私としてはこれまでよりも多少不便になるけれど、時期的にそういう変化を受け入れられる体勢はできているかな。 新しいロケーションは5年契約でその後はまた引越しがあるようですが、その頃には娘も高校を卒業しているので親元を離れているかもしれないです。 新しいロケーションは現在の私たち家族の生活にはある意味勝手がいいです。 仕事から家に帰る通り道にスーパーマーケットがあるし、周りにレストランやファーストフードもたくさんあります。夕食を作るのが面倒な時には、娘と待ち合わせるのにも便利。もう少し前だったら、娘の年齢からして繁華街で待ち合わせなんてできませんでしたけど、考えてみれば絶妙なタイミングです。 私たちよりもひと足早く別の部署がそのロケーションに移動します。 これまでは、私たち距離的には独立した1部署としてどこともオフィスを共用せずにやってきました。今後は、見知らぬ別の仲間たちとスペースを共用するわけです。 シングルだったら、ワクワクするようなことかもしれませんね。きっとまた新しいロマンスの噂を聞くことになるのでしょう。 歳をとると、変化を好まなくなるものです。何もかも同じ方が心地よいのですが、ここは腹を括って慣れなければなりません。 私には不安があります。 私がアジア人(外見)であることと英語が堪能ではないことです。 新人が入ってくる度、私は最初、軽く扱われます。しばらく経つと、私に対する周囲からの評価を聞き、あるいはその人たち自身がそれなりの評価を私につけてくれるためか、軽々しい態度はなくなります。 私たちがデパートメントごと、新しい環境に飛び込むなら、私自身もまた値踏みされる不愉快さを味わわなければならないことになります。贅沢な悩みなのですけれど、試されるというのはあまりいい気分ではありません。 試される時というのはまた、別の人たちからチャンスをもらえる好機でもあります。私はそこまで鍛えられているのでしょうか。 今秋にも別の部署は移転になりますが、私たちがそこに入居するのは来春です。 それまでにまた打たれるための心づもりをしておかなければなりません。怯む気持ちもあるけれど、伊達に何年も鎧を着てきたわけではないと思ってみたり...。 他の同僚たちにはただ物理的にオフィスが移転するというだけなのでしょうが、私には別の葛藤があります。これは誰にも理解してもらえないし、私の不安を誰かに話したとしても一笑に付されるだけなんでしょうけど。こういう気持ちは、同じ立場に人にしか絶対わからないだろうと思います。誰かにわかってもらえたとしても、助けてもらえるわけではないから、言わないでおいたほうがカッコイイのでしょうね。 この引越しを終えたら、私はまた強くなっているだろうな。きっと、無敵だろうな、と思います。 私生活だったら逃げちゃうけど、仕事だと逃げられない。逃げられなくて、もがきながら何とかやり過ごすような時が本当に力がつく時なのですが、またそんな時を経験しなければなりません。…あまり有難くないことなのですが、自分が成長するためには必要なことなのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.30 01:09:04
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