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カテゴリ:文鮮明先生み言葉選集(講演文)
神様の主管世界を取り戻して差し上げよう
1856年6月27日 本部教会 祈祷(Ⅰ) 愛するお父様、哀れなこの群れたち、あなたの懐が恋しくて訪ねてきました。私たちの体と心を主管して下さい。私たちの全体を主管して下さい。私たちの心と体がお父様の喜ばれる心と体であることがわかるように導いて下さい。お父様の栄光と義を讃えることができる、恩恵に満たされるこの時間になるように許諾して下さい。 愛するお父様! お父様が恋しくて集まった子女たちを哀れみの愛で見つめて下さい。彼らにお父様がおられないとすればどれほど哀れな者たちであり、どれほど淋しい者たちであるでしょうか。お父様! 彼ら全部を主管して下さい。彼らの希望故、自ら満足できる主人公としてこの時間役事して下さることを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。 この一時、散り散りになった心を一つにして、あなたの貴き御前に供え物を捧げる為ひれ伏しました。最初から最後まで、あなたから許されることができないすべての要素を取り去って下さり、和動できる要素だけを残して下さい。全体の雰囲気を主管なさって、我々の心を動かして下さることを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。 今日、恵みを祈る為集まる群れが多いでしょう。集まる所々に聖三位神のような恵みとして役事して下さい。最後の日に与えられた全体的な使命を成し得る為、集まる所々に、あなたの栄光を讃える人々に、同じ恵みを受けることができるその時が、この民族の前に早く訪れるように許諾して下さることを、愛するお父様、切にお願い申しあげます。 今日、淋しい食口たちが所々に集まって、人の知らない祭壇の前で敬礼を捧げていますので、全体の生命の主人として、全体の復活の霊として現れて下さい。彼らの生命の役事、復活の役事が地上で留まらないように許諾して下さり、天の数千万聖徒たちと全被造万物まで和動して、その喜びを天の前にお返しすることができる栄光だけがこの場に満ちるように許諾して下さることを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。 最初から最後まで、サタンの侵入できない時間として勝利のお父様が導いて下さることを切にお願いしつつ、愛する主の御名を通してお祈り捧げ申し上げました。アーメン。 祈祷(Ⅱ) 愛するお父様! 何もない兄弟たちがお父様の前に出ました。彼らが感ずることが、自分自身を中心として感じることがないように導いて下さい。 天の為、お父様の為ではなく、自己を中心としては、何ものも持たないように分別して下さい。神様の摂理の為に全体が祭物として捧げられるように許諾して下さい。 我々は心も体も暗闇の中にいる哀れな者たちでございます。お父様、何の力もない手を天に向かって広げていますので、お父様、恵みの御手で取って下さい。サタンの前に引っ張られていった者たちが、天に向かって両手を開いて叫んでおりますから、お父様、彼らを抱きしめて下さい。 サタンの主管する険しい地上で生きていても、神様の永遠なる心情を持った天の盾として、戦いの勇士として、天の誇りになる子女として立てて下さい。愛するお父様、切にお願い申し上げます。 お父様、ただ今あなたの愛する子女たちが集まりました。集まった子女たちの心性はそれぞれ違うかもしれませんが、お父様の心性に 似ようとする切なる心を持っている者ですので、一つの心として受け入れて下さい。そうして、御命令に順応し、天の心情が証しできるように導いて下さい。 この時間、お父様が呼んで下さった子女たちが集まりましたので、全世界に広がっている怨讐サタンと闘うことができ、押し入ってくる苦難を勝利の盾で防ぐのに不足することなく導いて下さい。奪う者の立場よりは与える者の立場に立てるように、自分一人の価値を現してお父様の栄光の姿になれるように許諾して下さい。お父様、切にお願い申し上げます。 お父様、苦しみと患難の中におかれているあなたの愛する子女たち、今あなたが導いて下さらなければ、彼らより哀れな者はおりません。彼らの動き出す一つ一つの足取りに、彼らの処している環境ごとに、試練と患難と悲嘆がありますので、彼らを守って下さい。そして導いて下さい。 今日まで、お父様が共に苦労し心配して下さった故闘うことができました。彼らはお父様の苦難を受けており、お父様の涙を流しておりますので、お父様、永遠に守って下さい。最後に勝利の園で、勝利の喜びを持って全万物万象に代わってハレルヤ、ホサナの栄光をお父様の御前にお返しでき、感謝の敬拝を捧げることができるその日まで守って下さい。 この時間、許諾された御言を、お父様の代わりに伝えようとしますので、間違っている意識と観念を除いて下さい。またお父様の命ずる全体的な再創造の感動の役事が現れるように、和動の役事が現れるように許諾して下さい。 そうして、身も心もお父様の愛に浸って、感動せざるを得ない、敬拝を捧げざるを得ない、克服せざるを得ない、悔い改めざるを得なくなるこの時間になるように許諾して下さい。天の心情をそのまま受け入れることができるこの時間になるように許諾して下さい。切にお願いしつつ、愛なる主の御名を通してお祈りお捧げ申し上げました。ア-メン。 御言 拝読した聖書の本文を中心に 「神様の主管世界を取り戻して差し上げよう」という内容で話します。 主管主である神様を探すこと 神様が6日間で造られたすべての万物は、未だに神様を主管主として侍ることができないまま、悲しく苦しい立場に留まっています。これは我々が復帰路程で必ず解決すべき運命として残っています。したがって、我々一人一人が天の前に誓って、勝利できる祭物として立つことを願っているならば、神様が願っておられる主管性復帰を完結して捧げなければなりません。そのようにできなければ到底勝利の祭物として立つことができません。人間にこのような過程があるようになった理由は、堕落以降誰も願っていない、サタンの主管世界が現れたからです。 アダムとエバを通して喜びを得たくて被造万物を造られた神様は、アダムとエバの堕落によって、造られたすべてを失ってしまいました。アダムとエバも失い、万物も失ってしまいました。それゆえに、思ってもいなかったサタンが、創造主である神様の立場の代わりに万物を主管するようになったのです。これは神様の悲しみであり、今までの復帰歴史路程で神様の心情に似る為、天に向かって祈願してきた良心的な人々と聖徒たちの悲しみとして残っています。 もし、ある被造物に、彼の所願が何かを聞いたら、その被造物は何と答えるか。それは、いかなる存在物も「主管主である神様を探すこと」だと答えるはずです。このように、万物万象が探しているものが、真の主管主である神様であることを神様御自身も良く知っておられますが、神様は万物を直接主管しようとしても主管できない立場におられます。これが天の悲しみであることを皆さんはわからなければなりません。 では、主管主である神様を失った、被造物の中の一つである我々が、今日心身から願う所望は何であるか? 全被造万物が願って望んだ通り主管して下さった創造主神様、その神様が再び直接 主管して下さることでしょう。 今日我々には、この様な所望と御旨を成す使命があり、そのことを完遂するための召命を受けています。それゆえに、我々は神様の主管性を復帰し、また万物の主人としての主管性も復帰しなければなりません。そして、神様が主管して下さる恵みに対し、感謝の栄光をお返しすべきです。この様な責任が万物にあるのでもなく、天の天軍天使にあるのでもなく、今日何もないような我々にあるということを知らなければなりません。 それゆえに、我々が一度責任を果たさないと、天の全体の主管性を失うことになり、本然の天の姿が失われると万物の所望全部を失うことになります。それゆえに、我々が生活を通して、生命を通して、その歴史的な運命に代わった責任を果たすことができなければ、神様の前に出られないということであり、また万物の前に万物の霊長として現れることができないということです。 そして皆さんは、全被造世界の中心であり神様の創造性を持った、内的な世界の中心として創造された一人です。その私が歩んでいく路程は今日私個人のこととして終わることではないということを知らなければなりません。 皆さんが、天倫の為に生きる生活において、自分だけの為に生きる生活をするならば、神様の創造的な主管性は失われるようになります。皆さんが万物を主管できることを願われるその所望も切れるということを、皆さんはわからなければなりません。 それゆえに、皆さん自体が、天が全体を主管する立場に代わり、万物の主管主に代わるその価値を現わさなければなりません。そうして、自ら「あなたが探そうとする一つの存在、全体に代わる本来の主管主自体として、立てられた御旨を全部成し遂げましたので、お父様、命令して下さい」と言えるようにならなければなりません。この様な立場に立つことができる、その一つの存在が6千年間の摂理の中で、神様が探し求めておられる存在であるのです。したがって、神様の6千年の摂理歴史の中で、苦難と闘い、逆境と闘って、怨讐サタンを退けて人間を復帰させることが我々の全体的な義務なのです。 この様に、全体に代わった我々一人一人が取り戻すべき主管性の権限を思ってみる時、今日我々が具体的に何を探さなければならないのでしょうか。 人間は堕落によって、全体を主管する神様を失ってしまいました。全体を主管し、全体の根源になる神様を失ってしまったということです。したがって、今日我々が取り戻すべきものが何かといえば、天地万物を創造なさった神様だということです。それゆえに、皆さんは神様の主管物を自分のものに所有する人にならなければなりません。 神様を失ってしまった結果 では、今日の我々の悲しみは何か、我々の痛ましさは何で、嘆息は何か。今までの6千年間の復帰歴史の過程に隠れている懇切な所願は何だったのか。それは私と、万民と、全宇宙と、天と地が失ってしまった神様を取り戻すことでした。神様は我々が取り戻さなければならない所望の本体であると同時に、全体の価値を代表する栄光の本体であります。それゆえに、今日皆さんが、神様の全体の主管性を復帰する為には、皆さん自体が神様を所有できなければなりません。神様を迎えることができる人にならなければならないということです。 では、その神様はいかなる方であるか。万民を造られた神様であり、万物の全体主管の役事をなさる為に復帰の苦労をしておられる神様であることを、皆さんはわからなければなりません。したがって、皆さんが神様を所有できれば、その神様は皆さんの神様であるので、彼が永遠であれば皆さんも永遠になり、彼が全被造世界に対して主管性を持つようになれば、皆さん自体も実体の神様的な立場に立って、万物を主管できるようになるということです。この様になれる皆さん自体を立てることができなければ、皆さんは神様を所有したとは言えないでしょう。 今日、この地上に悲哀と死亡があるようになったすべての原因は、神様を失ったところにあります。そして、神様を失ったことによって、サタンが主人のごとく振舞うようになりました。人間は元来、創造原則を中心としてみると、 神様を一つの主人とすべき被造物だったが、堕落したことによって、神様の代わりにサタンを主人にするようになったのです。 今皆さんには、愛の神様を再び所有しなければならない運命的な責任が残っていますが、その道を遮っているものは誰なのか。造られたこの被造世界で、神様を一つの主人公とすべきその御意に反対している者は誰なのか。それは今日皆さんに罪悪を抱かせているサタンだということです。 それゆえに、今は皆さんが、自分の心に染み込んでいる罪悪の根を取り除き、万民に代わって、今日まで6千年間、天を裏切って闘ってきたサタンを屈伏させて、神の世界を成すことができなければ、この地上で神様の主管的な役事をすることができないということです。 では、皆さんは心から自由を求めているが、どんな自由を求めているのか。皆さんが神様を求めないとサタンの僕になるわけです。したがって、皆さんが神様を所有できなくなってサタンを所有するようになったら、皆さんは天理原則を敵にする逆族になるのです。皆さんはこれをわからなければなりません。 神様を所有しようとすれば では、神様が天倫の法道を教えて下さった理由はどこにあるのか? 神様を探すことができる方法、神様を知ることができる方法を教えて下さる為でした。そして、その方法を教えて下さる為の摂理路程が6千年歴史路程でした。 今日皆さんは、もっている信仰で、神様の実存と神様の本性が全被造万物の中心の性禀として現れているということを、誰も良く知っています。ところが、知っているその神様が皆さんのものにならなければいけないということです。皆さんが神様と永遠に、切ろうとしても切れない関係を結ぶべきだということです。 そうなったら、皆さんが東西南北のどっちに向かって走っても、またいかなる過程にいても、神様が変わらない以上、皆さんが 持っている神様に対する所有権は変更されません。皆さんがその様な立場に立つことができなければ、皆さんに対する神様の要求と所望はそのまま未完成の状態に止まり、不備の立場に処するようになるわけです。こうなれば、私によってサタンが讒訴できる条件が残り、神様の悲しみが残るということを皆さんは知らなければなりません。 この様な立場にいる我々人間が、今日成すべきことは何か。まず、サタンの讒訴から逃れることです。そうして、「本当にあなたは神様の子であり、神様を所有できる資格があり、神様と一体的な関係をなした神様の子」だと、イエス様のように証される一日を迎えなければなりません。そのような一日が復帰できなければ、すべての被造万物を主管する神様の前に、皆さんは万物の主人公として出られないということを知らなければなりません。 人間の堕落によって神様を失ったと同時に、また何を失ったかというと、創造本然の心性を失ってしまいました。そして自分自体を分析してみたら、神様を失ったと同時に本然の心を失ってしまいました。皆さんが頼るべきものは自分の心です。皆さんが自分自身の心を主管できなければ、皆さんは神様を所有できず、神様も皆さんとの関係を結ぶことができません。 皆さんの心が、神様と永遠な相対基準を造成する時、皆さんは神様を所有でき、神様は皆さんの心を自由に主管なさるようになります。それゆえに、神様とイエス様の心が一つになるように、今日皆さんは、イエス様の心と一つになった立場に入り、神様の心と一体的な関係をなした立場に立たなければなりません。もし、その様な立場に立つことができなければ、皆さんの心にはサタンの讒訴条件が残るのです。 もともと人間は、神様の要求される御旨の中で、自分の心が願う目的通りに生きて、神様の全体的な理念を代理にすることによって、第二の神様の立場に立つべきでした。しかし人間は、そうできる本性の心を堕落によって失った故、今日の人間は、悲しみつつこの本性の心を取り戻さなければならない条件、痛ましい運命の路程を歩む条件を 担うようになりました。 それゆえ、我々はイエス・キリストを通して自分の心を明らかにしなければなりません。そうして悲しみに捕われている心であっても、天倫に接する時、新しい心を持って暗闇を払いのけていける本性の心を立てなければならないということです。そうすることによって天上におられる神様の心情と通じ、死亡圏に包まれた人間の心とまでも関係を結んで、立ち起こすことができる心の形態を探すべきなのです。その様な皆さんになれないとすれば、皆さんは、神様を永遠に所有できる心を持っていないということをわかって、悔い改めをすべきなのです。 我々が、神様に代わって誠心を尽くすにおいては、ある特定な時期だけ精誠を尽くす生活になってはいけません。神様が変わらない以上、皆さん自身の生涯路程において、天に対して不変の心情を持たなければならないということ、即ち、サタンのいかなる条件も侵犯できない心の土台を立てなければなりません。それが今後には、不変の体系で立てられるべきであり、天倫の道に向かっていく根本的な原則にならなければなりません。 皆さんが、神様の誇ることができる心を持っていなかったとすれば、神様が皆さんを哀れに思われる立場に立てないということを知らなければなりません。 神様を所有されたイエス 人間が本心を取り戻すことによって、全体の主管圏が復帰される時は、万物の中のいかなる存在物に対してでも、その心の作用を通して命令できる権限が立てられるようになるが、今まで誰も、その様な心の主管性を完遂できなかったのです。 また未だに、神様の願われる通りに、人間が神様の代わりの体系的な権限を立てて行動できない悲しい立場に留まっています。そうだとすれば、人間が留まっている分だけサタンが楽しめる舞台を残す結果になります。ゆえに、神様が悲しみに処するようになる条件が残って しまいます。これを皆さんは知らなければなりません。 天地の法則は、二つが一緒にならない限り、一つになる原則を、または一つの新しいものを産み出すことはできません。 では、神様が4千年間準備され送られたイエス・キリストを通して成されようとした願いは何だったのか。4千年の歴史路程を経て、誰一人として、失った神様を所有した人がなかった故、人間がイエス様を通して、失った神様を所有できるように願われたのです。 それ故に、神様を所有した、完結されたものとして立てられた方が、即ちイエス様でした。また、人間世界において、人間の心に代わって、神様の心情の外的部分に代わった形態を備えた存在、霊界の無形世界と実体的な有形世界において、万物を主管できる存在として送られた方がイエス様だったのです。 イエス様が来られてから2千年がたちましたが、いかなる民族であろうが、種族、個人であろうが、彼らが栄光の条件として持つべきものは何か。それは神様を所有することです。その様な人が現れるのがイエス様の願われる要求であり、イエス様を送られた神様の要求であることを皆さんは知らなければなりません。 イエス様は地上に来られて神様を所有し、さらに彼の心が人間と相対基準を造成することによって、彼の体は神様の体を代理したということです。 神様の心を所有し、万物を所有できる基準を立てて現れたイエス様は、その体が原則的な所有権を持って現れた故、彼が現れた日は天倫に代わった神の日だったのです。 では、今日の聖徒たちがイエス様を信じ、神様がわかって、神様の全体的な所有権、不変な所有権を持っていたとすれば、どうすべきなのか。その所有権を中心とした価値的な基準と、皆さんの心が結合して、イエス・キリストが地上に残していかれた肉身を中心とした全体的な所有権の価値を全天上天下に現すべきです。そうできる一日が来るのを願うことが再臨思想だということを皆さんは知らなければなりません。 では、この地上に再臨主が来られ、成すべき使命は何か。終末のクリスチャンたちが成すべき最後の目的は何か。クリスチャンたちがいくら心から神様を所有し、皆さんが皆さん自身の心を所有したとしても、一つの条件が残っているが、それは体を自分のものとして所有できなかったことです。それゆえに、今の皆さんが体の所有権を全うして、神様の愛の実体、神様の本性を実証できる化身体として現れなければなりません。その様な存在がいつ現れるでしょうか。その様な存在を探す為に、イエス・キリストが来られたということを皆さんはわからなければなりません。 体の復帰と全体的な主管権復帰 そのために、イエス様が行かれた以降、この地上に聖霊を送られました。ゆえに皆さんは、イエス様が持たれた心の主管性と、神様の全体主管性と一つになり、自分の所有圏と神様の所有圏が一つになって現れることによって、自分の体が聖霊的な価値を現すべきです。ところが、霊の分離によって肉的な価値は現すことができなかったが、イエスの心的な部分と神様と一つになった聖霊が現れたということを皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、4千年の歴史が何だったかというと、人間が持てる心の所有圏を、因習的な圏内から自然的な所有圏に転換させる為の歴史でした。このことはそんなに難しくありません。しかし、その認識を通し体で完結させて、その認識の価値を相対的な価値に現そうとすることが摂理路程にあっての難しさだということを知らなければなりません。 このためにイエス様自身は、33年の生涯を通して、神様を所有し、その心を所有したけれど、2千年歴史の中で、未だにサタンの讒訴圏から逃れていないのです。まだサタンの試験のない完全な立場に立っていないということです。いくらイエス様、聖霊だといっても、イエス様は霊界で、聖霊は肉界でサタンから讒訴されているのです。 これは、人間が肉的な圏で創造の三段階基準を越えられなかった過程が残っているからです。それでサタンが今日までイエス様と闘うことができる条件を持っているのであり、神様と聖霊との闘いの条件を提示することができるということを、皆さんはわかるべきです。さらに皆さんは、イエス様が30年余りの生涯を通して、心的な面においては神様を所有しましたが、肉的な面では所有できなかった故、今までも我々の体を神様が主管できないということもわからなければなりません。 今日の人間たちは、信仰路程において自分の体を打たねばならない立場におかれています。では、体を打つのは何のためなのか? 体を打つのはサタンを取り除こうということです。体を打つことによって、その体は聖霊に占領されるようになります。故に、我々が体を打つことは、結果的にはサタンを撃つことになるから、自分の体を撃つことによってサタンを打ち、サタンを打つことによってサタンに占領された体を聖霊が占領するようにしなければならないのです。それ故に、神様を所有することができ、本然の良心と体を所有することができるのです。そうなる時、そこから初めて、天上天下のすべての万物に代った、永遠不変の一つの所有圏を完結したといえる価値を取り戻すようになるのです。 したがって、その様な境地を探すことができなければ、皆さんは自分の体を打ったといえません。それを探してこそ、皆さんは情的面において全体的な基準を立てて、神様に代って栄光を受けることができるのです。この様な御意があったので、イエス様は亡くなられてから今までも役事しておられるし、聖霊も役事もあるのです。故に、霊肉を持ったすべての人であっても、サタン圏の中にいる人であっても、聖霊が占領できる日を望みつつ来られたのが、イエス以降の神様の悲しい2千年摂理歴史だったのです。 今はこの様な内容を持って、我々の過去を振り返ってみなければなりません。皆さんに神様を所有すべき権限が残っている限り、自分に残された所有権がある限り、主管主としておられるお父様の悲しみが残っています。したがって、 神様と被造世界が抱えているその悲しみは、皆さんが与えたものだということを考えると、今日皆さんは、自分の罪を悔い改めなければなりません。 自分が犯した罪を悔い改めることは、自分の心的な価値を探す為です。全体の主管主である神様を所有したといえる、その様な内容の悔い改めが必要です。 自分の罪を悔い改めなければならない理由 そして、今までの信徒たちは自分の体を打つ生活をしてきましたが、永遠にそうしてはいけないということを皆さんはわかるべきです。体を打つ目的は、その体が聖霊から占領されるようになって、神様の愛を受けようとするところにあります。こうせねばならぬ責任があるということを、今日のクリスチャンたちは忘却しています。2千年間にこれを忘却しています。肉の愛が度外視された中で、霊の愛が完全であるはずがないのです。 なぜなら、神様と心が一つになり、心と体が一つになれば、体は自然に動かされ、心と体が神様を中心にして完全に授受するところから発展するのが天理原則であるからです。相対的な基準を立てて、お互いに一つになり、良く授け良く受ける授受作用が成されるところでは、実証的な一つの実体が創造されるのが創造の法度であり、そうしてこそ完全なものです。 神様が万物を創造された原因が何かというと、神様御自身が喜ぶ為でした。人間の心と神様の心が一つになる、その関係性を果たす為の実践を成す時は、神様と一つになり、さらに地上の人間と一つになる基準が持たれた時なので、地上に天の摂理が新しく展開されるのです。したがって、今日皆さん一身においても、心と体が一つになって聖霊と因縁が結ばれた時、神様の勝利的な全体主管性を復帰しうるということを知るべきです。 今になってみると、神様の御旨に向かっていくには一つの方向だけではありませんでした。それは前後左右にあります。ところが、今日の人間にはサタンに向かった方向だけが残されています。故に、皆さんが 心と体を探そうとしても、心と体が縦的な面を備え、横的な面を備えようとしても、サタンが前後左右上下の6方向で暗闇の幕を張り巡らしているのです。ですから、今や皆さんはサタンの幕を壊して自分一身を立てて、「神様は永遠の私の所有である。私の心は神様の所有であり、私の体も神様の所有である。彼であり私、私であり彼」であるという価値を万物の前に現しうるようにならねばなりません。天上と地上で三位神が合同に探し求めている一つの実体が早く出なければならないのです。 この様な一つの価値的存在、聖霊と、イエス様と、神様が臨まれる一つの価値的存在が、この被造世界のどこにあるのか。この一つの存在が、神様が6千年間切なく所望された実体であり、探そうとされた復帰の理想の実体であることを皆さんは知るべきです。 神様が6千年間切なく探し求めこられた実体 それゆえに、その様な価値が地上に現れるなら、神様は彼に対していかなる条件の不備も許されません。サタンまでも神様までも、彼を引止めて慰めの涙を流すはずです。したがって、今日我々は、私という固体がいかなる環境におかれているかを知らねばなりません。皆さんは、全体的な責任圏内に立てられた自分自身を無視してはいけないし、その様な大きな責任を痛感すべきです。 皆さんが心から神様を所有したといえる時、永遠な中心として立てられる皆さん自体の心を所有するようになったのです。さらに、皆さんの体を、永遠な生命をなすことができる実体として完結して所有したとするならば、皆さんが東西南北どこへ行っても、その方向は問題ではありません。皆さん自体が留まるところがどこであれ、そこでは勝利のホサナの凱歌が上げられるでしょう。すべての被造万物が、「なるほど、あなたは栄光の神の子である」と言いながら、自然屈伏できる状況になるということです。これを皆さんは知るべきです。 しかし、今日その様なことが一部だけではなく、全体に現れなければなりません。ところが、まだ全体の主管権に代った人間として、原則的な所有の問題を全部終結して、その価値の栄光を備えて万物万象の前に現れた存在がなかったので、そのような一つの存在になることが、皆さんの所望として残っているのです。 この様な立場におかれた人間に対して、私も、あなたも、神様も悲しむのです。 今日我々が、その様な価値を持った立場で、万物万象、全体の代りになって、天の栄光を備えて、神様の御前にホサナの凱歌を返さねばなりません。そうする時初めて、天上にいる天君天使と千々万聖徒が、喜びのひととき、楽しみのひとときを迎えるようになり、さらに我々は、神様の御前に栄光をお返しするようになるのです。この様なことが完結されないと、このための道を人間たちは億兆万年にかけてでも行かねばならないのです。 今までそれを完結していません。では、それは誰の為にそうなったのか。勿論、私が不完全で、私自身が悪い為でもありますが、私よりも天に対して讒訴するサタンがあってその様になったということを知らねばなりません。 全体の主人、全体の主管主である一人がおられたとして、その方によって宇宙万象を主管することができたなら、彼が全体の復帰を完成できなかったとしてもかまわないのです。全体的な力を利用して集中的に新しいことをしうるということです。このように神様は、全体の歴史が一つの方向へと進むようにされました。しかしサタンがあったので完結できなかったのです。 それで、神様はサタンを無条件屈伏させる為、また完成せず霊界に行った天上の全霊人が完成のところまで行ける恵みを与える為、一人の方を送って下さることを約束しました。その方がイエス様なのです。 では、皆さんが神様の栄光を追及すべき立場に立っているのがわかった時、今自分が持つべきものは何なのか。元来、人間に対する天の 理想は天の所有権、心の所有権、体の所有権を持つことでした。故に、皆さんがそのような理想圏に入れなかったとすれば、皆さんは悪の所有権と善の所有権が区別できる目を持つ必要があることになります。さらに、そのような目を持ったとすれば、次は善の所有権と悪の所有権を分別して聞くことのできる耳を持つべきです。その様な五官を全部持つべきです。 皆さんの生活において、サタンの讒訴を防ぐことができる自分にならないと、皆さんは再臨主が来られてもわからなくなります。 分別できる信仰 皆さんたちは「再臨主」と言えば、すぐいい気になって喜びますが、いったい何がいいのですか? イエス様をイスラエル民族、即ちパリサイ人、祭司長たちは真の意味では見られませんでした。ローマ兵士が彼を見られなかったし、反対した人たちは彼を見ようとしても見られなかったのです。自分の心性で、心と体を通じて、全体に代った価値の基準が立てられた人だけがイエスを見たのです。見たり聞いたりするのは人間自身の心性による面があるのです。 それゆえに、皆さんは全人間の前に良き善の価値を持つべきです。ところで、体がそれを反対します。これがサタンの本質です。 では、隠れて現れない中で、人の知らない中で神様を所有した人、人の知らない中で本然の心を所有した人、この様な人がどこにいるのか。この様な人を探す人は永遠なる神様が共にいるでしょう。 それゆえに、今日我々がその様なところまで行けなかったとすれば、悪の主管圏と善の主管圏でも分別できるべきです。それらが心と体で分別できるべきであり、深く考えなくても分別できねばなりません。皆さんが神様の価値がわからないとすればイエス様とは何の関係もありません。だから、サタンのすべてが分別できねばならないのです。天上天下に残された悪のすべての主管的な要素が分別できる人でなければ、神様の御前で勝利的な完結条件を立てる ことができないのです。 もし皆さんがその様な条件を立てることができるならば、皆さんはこの地上で苦痛なしに生きられます。神様を所有した人として心はキリストに、体は聖霊に捕えられるようになるからです。 今までは心の世界に対する摂理過程であった故、体の苦痛が並存しました。体が苦しみを覚えました。心と体が分裂されたのです。 ところが、今はそれが一緒になって、霊界は肉界に、肉界は霊界に行って互いに合同して役事しています。さらに、聖父、聖母、聖霊が共に役事しています。ですから皆さんはこの様な時、イエスと聖霊の前だけではなく、神様の前で敬拝できる自分にならねばなりません。 さらに、皆さんが生涯を通して体恤的な信仰をするにおいて,分別的な原則の路程を歩み、万物万象の前で永遠を代身した不変の勝利者であると誇ることができる基準を立てるべきです。その様な基準を皆さんが立てないと、この地上に悲しみの条件が残ります。この悲しみの条件が残っている限り、天上に行っても神様の内的心情を探すのが難しくなります。故に、皆さんが心的なイエス、肉的な聖霊を通した生命体として、神様の栄光の実体として現れねばなりません。そうなる時初めて皆さんは信仰の実体になります。 ですから、皆さんが三位神の協助なしに栄光の自我を復帰したならば、この天地が運行する法度と同じく、喜びの心が皆さんのすべてを主管するようになります。その様な生活は瞬間的ではなく永遠のものにすべきです。そうして、「お父様が私のもの、主が私のもの、聖霊が私のもの、私も私のもの」と言いながら、万物の前に堂々と主管者として出なければなりません。天に対しても「ああ、お父様! 感謝します」と言えるべきです。 天地運勢の法度において相争う存在はありません。人間は創造主の全体理念を代身し、創造主の主管性が代身できる存在として立てられた故、心と体がある限り、この二つの関係からはずれては存在できません。それゆえに、皆さんがこの地上で,天上天下のすべての ものと関係を持つことができる主管世界をなす時こそ、主の栄光を現すことができるということを忘れてはいけません。 祈祷 愛するお父様、我々に残された運命の道がこんなに重畳山中、泰山峻嶺であるのに、今日我々が信じている範囲が余りにも小さかったということを知るものでございます。余りにも狭く、消極的に、不備なまま御旨の道を歩んできた我々であったことを、お父様の御前に告げざるを得ません。 お父様、今日この時間から、天倫の全摂理を担っていかれるお父様から主管されるように許諾して下さい。お父様の形状が見られるように、お父様、哀れみを許諾して下さり、イエスよ、聖霊よ、立てて下さい。地上の万物を代身するのに不足のない姿として、自然的に善悪が分別できる本然の実体として作って下さることを、私のお父様、切にお願い申し上げます。 今日夜集まったあなたの子女たち、お父様、もう自己という観念を忘れるように許諾して下さり、我々の体からサタンの所有権を除くように許諾して下さい。そうして、我々の心が神様だけを所有し、神様だけを呼び、神様だけを誇ることができる、万物に対する不変の個性体として復帰されるように導いて下さい。 そうして、我々がお父様に栄光をお返しするようになると、万物も和動し、天の千々万聖徒も和動して、一つの泣き声、一つの叫び、感謝、ハレルヤが天地に一律的に現れます。その時、サタンが自然屈伏したことを知るようになりますが、そのようにお父様、導いて下さい。 お父様の全体の主管性を我々の体で終結するように許諾して下さり、全体の代身として立てられた我々が、勝利のホサナの凱歌をお父様の御前で奏することができるように許諾して下さい。万物万象が和動する中で、天に代わった勝利の子女、許しの主人公たちになるように許諾して下さることを、お父様、切にお願いしつつ、すべてのことを主の御名を通して申し上げました。アーメン。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2021.01.09 17:00:05
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