|
カテゴリ:文鮮明先生み言葉選集(講演文)
「1800双祝福記念日に」
1977年2月8日 アメリカ本部にて 私たちの結婚の素晴らしさ 人間は何かことがある場合ずっと記憶に残るものであるが、一年二年と段々薄らいでいく。二年前の奨忠の大講堂で式を挙げた時についても唯もが想いだす一つのことは、とにかくものすごく寒かったということである。韓国服を着て寒い所でふるえている姿は本当に寒そうでみな忘れられないことだろう。一番最後に入った者はどんなに寒かっただろうか、そういう者たちは寒い所で結婚を願うより暖かい所で早く休んだ方が余程いい、とそう思ったかもしれない。 その後一年九ヵ月の間ずっと別居しながらしつも手紙を書いなり、いつ会うかと指折り数えて待っているその期間は、どんなことよりも忘れられないものである。しかし別れていることは大したことではなくかえってともに住むよりいいものである。 女性は女性なりに一つの世界を持っているし、男は男の別の世界を持っているから、それが一つになろうというのはなかなか簡単なものではない。結婚生活の経験のある者はそれがいかに難しいかということが分かるであろう。しかしあなたがたはそれに対する理論と夢を持っているのである。他の人たちと違う点の一つとして彼らに勝る理想を持っているのである。 つまり君たちには理想の結婚観があるが、そういうものがない世の人々は、この世の中が信じられないということをつくづく感ずることだろう。それ程この世の中の結婚は実に考えられない程保証がなく、長続きしないですぐ別れる。 たった一言で別れるようなことがいくらでもある。多くの言葉ではなくたったひと言が原因で。 夫婦が実際一緒に生活してみると互いに全く違った世界を見いだして、その二つの異なった者たちがともに住むということは事実難しいことである。事実誰が心を惹きつけてくれるかが、この世では難しい問題なのである。しかしわれわれは同じ目的、信仰理念を持っているから、間違えば先生とか神とか原理観とかそういうものが打ってくるのを感ずることができる。 あなたがたは先生がいることを本当に有難いと思っているだろうか。かえって先生がいるのは厄介と思ったかもしれないが、その厄介な先生が必要なのである。そういうふうに考えれば本当に感謝である。 あなたがたは千八百双であるが、祝福の同祝生というか同じ時に祝福された者たち同志の同情の世界というものは実に素晴らしいものである。あなたがたの知っている友達とか知り合いのあの男はどうだ、とか韓国ではどうだ、アメリカの兄弟はどういう生活をするとか考えてみた場合、自分がビリになった場合覚醒せざるを得ない。自分に立ち返って考えた場合、そのようにして覚醒するような立場は実に素晴らしい。もしまったく一人でいたら刺激がないが、沢山いたらもし自分が遅れていたら追いつかねばならない。こう考えてみた場合、この結婚は他のこの世の中で結婚するより実に素晴らしいものである。 結婚の秩序 あなあがたは口喧嘩でもやっただろうが、アメリカの女性は強くて女の方が負けないから大変であろう。アメリカの女性は男性と平等な立場で怒ったりするようだが、原理の世界ではそうではない。原理では主体が男性で相対が女性という観念がちゃんとはっきりきまっているから、女性が先に怒った場合は法的にかかる。 割合からみたら男より女性が怒る方が多く、三分の二は女性らしい。それはそのように原理によってみれば間違っている。エデンの園においてエバが強制的にアダムに引き寄って堕落したということを考えた場合、エバが反対の方に絶対服従という条件を立てねばならない。反対の方で責め寄るようでは原理的に許されないことでありまさに原理にあらざることである。 男があお向けになって空をあおいで見ているのに女性がすぐ下を向くような態度は別な行動と表現に変えていかなければならない。われわれはいつも統一原理的な女性であるように考えなければならないのである。 東洋の方は結婚すれば夫に服従するという規則がはっきりしているからその心配はない。だから一般のアメリカの男性は東洋の女性を慕うようになり、アメリカの女性はみな嫌になってくる。アメリカの女性が嫌いになればなる程日本の女性が好きになってくる。アメリカの男性は分からないから反対するのであって、先生がこういう主体対象の原理を持っていると知ったら先生に非常に賛同するであろう。 これから結婚しようとしている今のアメリカの青年たちに、彼らが結婚しようとしている女性が本当に従順で信用できる女、自分だけ愛して一生過ごすような女になると思うか、と聞いてみたらみな自信がないに違いない。 たった一つの言葉で口喧嘩しても、ああ彼女の、彼の背後には何があるのだろうか、といつも気になる。それは非常に悲惨なものである。そういう感情を持つようになってしまった場合には、その後の二人の関係というものはどういうふうな結果になっていくだろうか。そういう立場で子供を持った場合には、あの子供を生まなければよかったのに、と親としての無礼な心情、心理的な罪悪感はそれは許されないものである。 従順な子供に対して親としての立場を保つことができないということは大変なことである。それを思うと口喧嘩してもすぐなおることのできる統一教会の夫婦はとても幸福で、今日喧嘩しても明日また同じ仕事に出るとか、伝道に出るとか次の日はきれいに洗ってすませるから、祝福の理念というものは実に素晴らしいものである。 そしてあなたがた同志で問題があった場合は、友達同志でああいうことがあった、と言えばすぐその友達に忠告する。そういう男女が他のどこにあるだろうか。そう見れば実にわれわれは幸福である。そういうふうに考えなければいけない。そう考えないと幸福感を感じないのである。 東洋と西洋を結ぶ道 アメリカの男性が日本の女性と祝福された場合、あの女は強い女だから自分がその心の中に気ままに自由に入れないからといって、日本の女性よりアメリカの女性と結婚した方がよかったと内心考える時がある。そのように比較対照しがちなものであるが、自分の習慣性によってアメリカの女性がよかった、という考えがくるかもしれない。習慣性というものがあるからそういうように考える、という所が国際結婚の夫婦にとって難しい所である。 そう考えるとそういうことを理解できるような夫婦になるということは、人格的に立派な女性、立派な男性になることである。そういう結婚の場合最初の三年間は非常にぶつかる所が多いが、三年たてばいろいろな方面で美しい所を発見し始め、深い所の情で結ばれるそういう世界が生まれてくるのではないだろうか。またそういう夫婦から生まれてくる子供は非常に頭がいいし、天の恵みを大きく受けると思う。 西洋人と東洋人は愛し方なども違ってまったく反対であるから、そういうことを理解してコントロールすればうまく一体化できるのである。 夫婦は、結婚した場合自分の一生だけでなく先祖以来ずうっと後孫まで考えて結婚するというふうに考えていかねばならないのであるが、アメリカの男性と結婚した日本の女性の口から、「絶対国際結婚するものではない」と言うようなことが起こった場合は、アメリカに対しても世界に対しても大変なことで、アメリカは祝福の道が完全に塞がれてしまうのである。 アメリカ人はアメリカ人同志、東洋人は東洋人同志という結果になってしまえば、み旨は東洋的なものになってしまい、そうすれば西洋人は、いかにも霊界に不適になってしまうのである。 先生は三十六家庭から千八百双にまでもう既に八回にわたって祝福したが、八回で千八百双まで入って、これはもう随分西洋は東洋に負けている。にもかかわらずそういうふうな風潮になった場合、先祖に対してすまないし、現在未来に対して祝福の圏が完全に東洋に偏ってしまうのである。 あなたがたは地上でそういう環境を持ったら霊界に行っても理想の霊界には通じない。霊界に行っても霊界の白人同志で住みたい、といってニグロや東洋人が来たら逃げてしまうような霊界は決して理想の霊界ではない。 統一教会の今後の使命はなにかというと、世界を一つに作る、一つの統一親族圏を作ることであると考えれば、国際結婚はこれは奨励するどころではすまないのだから、国際結婚した家庭はとくに模範的な家庭を作らなければならない。 手紙作戦 (海外宣教の相対者の、手紙だけでは相対者をはっきり理解できずどういうことを書くべきか分からなくなるのですが、という質問に対して) 男性は手紙を書くのがそう好きではなくて、仕事に追われた時は妻とか自分の愛する者に、女性みたいにいちいち報告したりする気はしないものである。異なる様々な環境にある相対者から便りがないのは不安だろうが、手紙を出さないからひどく心情が遠くなるとは男性は思わないのである。そういう者もいるかもしれないが皆がそうではない。 だから女性の方から手紙を出す時には、相対者にとってあなたが先生みたいな立場に立って、仕事にもっと熱心に働きかけるようにして、もっと実績を上げるように励ますような方向に書くよう注意する必要がある。 たとえばアメリカの有名な景色のいい所を紹介しながら、アメリカで有名な本とか、アメリカ国内ではこういう思想をもっている、こういう国であるとか紹介したりして、高尚な作戦をしてやるのである。 アメリカの景色のいい所を紹介した本を送って、自分がこの本を読んだ時はこういうふうに感じました。とその内容を紹介して送った場合、相対者の方もその本を送ってもらって読んだら自分もそう感じたというふうにして、自分の相対者は高尚な理想の女性であり、自分が思いもしないようなものを持っているというふうに感じさせるようにするのである。 あの人は自分に対して心情がないから一カ月にたった一本しか手紙くれないのだろうというので、そういうことを書いて送ったりするようではいけない。 たとえ手紙を一度も書かなくても男を励まして、そんなにも日々宣教師の使命に追われて星を眺める意志もないような忙しさを想っております。手紙のないのはかえって自分の内心で感謝していますがしかしあなたもこういうふうに考えるでしょう、というふうに書いたり、ずうっと海の遠い所を眺めていてそこに希望の旦那さんがいたら素晴らしいと思うような、美しくほほえんだプロフィールの写真をとって送ったりして心情を誘動するのである。 手紙がこないといっては涙を流しながら、誰々の消息によるとこうだそうですが、というようなことを書いたりしないで、そのように日本の書物を送ってあげたり、素晴らしい夫婦関係の証しをもつ人のことを紹介したりして、やはりこの女性は何か自分と違う。自分だったらこうするにもかかわらず、彼女はこういうような高尚な心情でもって自分で努力していくし、自分の高い理想と心情をもってくる、と考えさせるようにしたら人は誰でも考えるものである。こういう所に深い面があるものである。そうすると自然と自分から、ああ便りもしないですみませんでした、と告白してくるような作戦をするのである。 互いに研究して 男一人を自分の理想相対としてかかえて一生を過ごすということは、天下をかかえて過ごすことよりも難しいことである。先生でも同じでお母様は今でも先生のことを研究される。 こういうセンスがあればああいうセンスがあるし、ここを押せばこういうふうになるし、ここを押せばこうなるし、というように研究していく所に、夫婦がともに心情の深い所の世界を探っていくことができるのである。 女性の方が一線を引いてしまって分からないでしょう。と決めつけてしまっていては発展も何もない。男もそうで男の世界は女には分からないだろう。それは男と女は百八十度違うのである。考え方も何もまるっきり違うし、同じ所を出ても方向はまるっきり違うのだから、いつもそれを認識して注意する必要がある。 それにまだ会っていない旦那さんに対して自分のことばかり考えてくれというような女性はまるで泥棒のようなものだと思う。 (他の海外宣教者の相対者の、十日に一度は手紙を書かないと天法にひっかかるそうですが、という質問に答えて) 天法にひっかからないように一生懸命書くのもいいが旦那さんの心にひっかからないように書く必要がある。相対者からは十日に一度どころか何カ月に一回しかこなくてもいい、自分の方だけそのようにやればよい。 男性は主体性の秘密を持たねばならないという原理的立場からも手紙を書いていちいち報告するのは好きでないものである。 天運を読む (姉妹の相対者の写真を見られて) 人には自分の運命の道がある。人には分からない運命の道があるのであり、例えば先生の人相を見ると世界的な仕事をやれる立派な人相を持っていると人はいう。あなたがたは知らないだろうけれど。 西洋文明はそういう易などの東洋文明をそう即座には分からないのだが、そういうものを知らないと世界情勢等の判断等にも困る。先生は世界の運勢ではなく、天運がどういうふうにくるか、という天の運勢を判断しているのである。一社会の問題ではない。一国の運命ではない。天運の流れを判定しようとしているのである。そういう話はあなたがたには理解できないであろう。 (アメリカの兄弟の、自分自身と妻の間にあまりに多くの共通点を見いだすので、恐らく天の父が二年前既に誰と結婚させる、と決定していたのではないかと思う、というのに対して) 実際地上に生きている誰も先生を正確な姿で見てはいない。少なくとも祝福の組み合わせをしている時は、他のいかなる時よりも神のみ業の最高潮である。与えてみなさい、あなたの生涯と子孫を。もし一個の人間の生命が全天宙よりもっと尊いということを知る時に、いかに重要であるか。 K君が結婚した時もその結婚生活は、まさに典型的で三年間は葛藤のみだった。しかし今はどうして表わしていいか分からない程感謝している。絶対的必然的に彼等は天の内情を今知ったからである。 先生は絶対確信がある いく組かの結婚は事情がとても難しく彼等も頑なだった。先生はそれがお好きでなくて、それらの結婚については満足できなかったし、その結果もよくなかった。しかしそうであっても先生は確信をもっている。真理に基づいているのだから。 たとえば先生の忠告にもかかわらず彼等が自分の意見を主張する時、先生はさらに希望を持って余計に祈ってみて組み合わせてみるが、通常それは役に立たないということが分かった。組み合わせに関して先生の考えは常に明確である。 あなたがた二人の間に仲が合わない者同志をどうして組んだのかと思うだろうが、それは立派な子供を生ませる天の計画があるのかもしれない。とんでもない男、とんでもない女があったにもかかわらず、その中からとんでもない素晴しい子供が生まれるかもしれないのである。 (ある典型的なカップルに) あなたは旦那さんを勇気づけて引っぱってくるのだ。そして常に彼を勇気づけ自信を与える。あなたは表面的で彼は内面的で、性格は実に反対である。女性の方は時代的な感覚に敏感な女で男はそういう方面では無感覚だ。 しかし一つ正しいことをやっていくという方面では、正義感においてはあなたよりずっと先に立っている。 そういう極端なものがあって生まれる所にそれは素晴らしい後孫が生まれる。間違ってはいない。あなたに好きな男性がいて結婚したら長くて半年といかない。あなたがたはそういう話を聞いたことはないだろうけれども。 三代をみる 霊界に行けば皆同じだと思うんだがそうではなく質が違う。霊界の先祖の天国の基準は皆違うのだからその反映としてみな千差万別である。先生がそういう方面に専門的に考えていったら君達の心が何を考えているかすっと分かる。 それを皆考えないで平々凡々な人間と同じように自分も考えて、そういう生活をしようとするのはいけない。先生はそういうような鋭いものを持っている。 そういう方面からみてあなたがたはまだまだ訓練されなければいけないし、まだまだ発展しなければいけない。先生は人相学を勉強しているのでなく、人相を観るよりもっと強い性相観をしているのである。功労の相は、人相よりもっと正確である。 先生は八歳の時から結婚の相手を組んであげるようなことをやってきた。先生がいいと言った組み合わせはみな実際いいし、悪いといった組み合わせは実際悪くなる。そういうふうに有名な先生である。先生はそういう組んであげた人たち皆の写真を持っている。だから先生の親戚は全部あの男は有名になると考えていた。 だから今年は旱魃になるとか雨が降るとか、かえっていい年になるとかみなわかる。今はそういうことは言えないから分かりながらわからないふりをしているのである。平凡な人間が一番安全で心に負担がない。あなたがたの誇りとすべきは、なにしろ世界的な代表的な結婚の仲介者として、世界的な記録を持った男により結婚したということである。多分、皆闘いがあるだろうが、その事情の中でどうしたらいいか、いかに改善すべきかが問題なのである。 結婚は三代を見て批判しないといけない。自分たち夫婦と子供と後孫と三代をみて、いいか悪いかを判断してみる。子供だけでなく孫までみなければいけない。三代みたらその家族が発展するか下がるかすぐわかる。三代である。 海外で家庭的勝利をなすには (世界宣教の相対者のもとに行く日本の姉妹の質問に答えて) 相対者と任地の食口たちと教会に通ってくる人たちとすべてうまくやって教会を発展させるためにはどうすればよいか、それは簡単である。 寝るのを食口より少なくし、食べるのを食口より悪いのを食べるし、着るものも食口より悪いものを着ればよい。 そして働くことにおいては先頭に立てばそれでいいのである。人より余計に活動し、余計悪いような立場に立てば、自然と逆のような立場に立ってくるもので、食口たちも、そういうような姿をみてみな変わってきて、自分たちが先頭に立ってやってくれるようになる。 だから責任者の奥さんとして、みなが働いているのに教会の中に坐っているのでなく、先頭を切ってみな押しやって忙しく働いていれば不平を言う者がいないから、皆とうまくやっていけるのである。 (お母さまも質問に答えて) 私が一番的確に表わせる言葉は、夫のように、ということです。言いかえれば、先生が何を言おうが何をしようが、夫に従うということですが、そうすれば主体者の完全な対象になるのであり、それがまさに秘訣なのですが、誰しもそれを実行するのは本当に難しいことだと知っていることです。 お母さまは先生に絶対に従おうとされるのである。そしてそうすれば夫の心は完全に相対の方に向けられ、彼の心は相対のものとなるのである。そうすることによって彼はまっすぐ相対の所に帰ってくるようになるし、そうでなければ帰ってくる者はいないのである。それがお母さまの秘訣中の秘訣であり、お母さまの秘密である。 (よき母になるためには、というアメリカの姉妹に答える) あなたがたはまずよき女性にならなければならない。それからよき母になる動機ができてくるのです。 子女には、女、お母さんが絶対影響するのである。父と母はまさに土地と種子のようなもので、父親は種子で母親は土地のようなものである。どんなに種子が素晴らしくても土がひどく貧しければ誰が結果に期待できるでしょうか。母は絶対必要である。 一番の家庭になろう 先生が、この機会に最後に言っておきたいことは、いつも次のことを認識し、意識してほしい、ということである。すなわち千八百双の中でどの位の位置に自分がランクされているかということです。一番目か二番目か三番目かということです。なぜなら天から見た場合一人とはみないで一双とみるのだから、天が祝福されるのだったら千八百双の中で一番の家庭をめざして祝福されることを考えなければならない。世界的になり、天宙的に考えなければならない。 一等になれる家庭にはそういう基準にあたる祝福を与え、立派な後孫を与え立派な先祖として立たせることを考えている。天は平面的個人的な一双との考えでは見ないのである。霊界では千八百双を代表して何番何番という順序的に考えているから、そういう天に向けて自分は何番目の家庭になるか、といつも考えなければならない。 そういうように天運から見られる恵みの分配を受けるということを考えなければならない。今から千八百双の伝統を立てられるその家庭が中心である。天はそれを見ているのである。 あなたがたは自分たちの祝福を千八百双のうちの一双というような考え方をするのだけれども、その一双はイエス様の一双と同じだというのである。自分たちがそういう歴史的使命を持っているのだ、ということをあなたがたは考えないだろうが、ようやく祝福されるに必要な三年が近づき、しかし他に何も大してしないで、何の功労もなくして祝福されたから、その位の価値にしか考えられないのである。 あなたがたは、自分たちの時代に真の父母にならねばならない。あなたがたを中心として真の先祖にならなければならない。そういう原理によれば喧嘩などというものは、絶対あなたがたの家庭にあってはならない。絶対に。 喧嘩などするような家庭では、子供を§孕はら§んではならない。独身でそのまま続けて、喧嘩しなくなるまで待つことである。そういう家庭は、だから霊界とこの地上と後孫と直線で三点を引きつないで、先祖もひっかかるし、現在のあなた方の氏族も未来の後孫も全部ひっかかってくる。そういうことをあなた方は知らないだろうが。 だから相対がなかった場合は祝福を受けることはできないことを思えば感謝しなければいけない。人類の歴史のヒモは、この引きこんだ祝福である。だから旦那さんが眼玉がなくても、鼻がなくてもそれが問題ではない。価値からみたら結果は問題ないのである。千八百双の中で何番目になるか、千八百双から脱落する者となるか、問題である。 祝福は国と国をつなぐ ではどのような基準に従って互いに順位をつけるかというと、日本社会の一人のメンバーとして参席したならばその国の運命のすべてがうまく連結されている。一旦死ねばただちに分かることである。 祝福には全体運命がかかっている。全体の運命が。 今先生がやっているのは、個人的なあなたがた個人個人単位の問題をやっているのではない。国家単位、世界単位の問題を扱っているのである。あなたがたの祝福も個人の祝福ではなく、国としてのものであり、国と国との連結のためである。 霊界統合、地上統合する、すなわち霊界と地上が分解されたのを統合するためにこういうことをやったのである。そのように祝福が立体性の内容を持っているということをあなたがたは分からないのである。霊界に行ったらその時分かる。われわれはサタンさえわれわれを審こうとするような難しい位置にあることが分かるのである。 血統を守る あなたがたが失敗したら救いがない。失敗したらそれ程低い霊界に落ちていって救いがない、祝福された家庭で自分たちが勝手に流れた者は完全に救いの道がないのである。われわれの世界ではそういう者は絶対に見られない。あなたがたが勝手に離れた場合、先祖が七十代までもひっかかるのである。 結婚は自分のためにしたらいけない。全体のための結婚である。だからあなたがた二人のうちで一人が犯した場合その一人は除外されて残った方はみな新しく今度祝福する。 原理的にそうなのである。アダムが堕落しなかった場合にはエバはいくらでも創られたし、エバが堕落しなかったらアダムはいくらでも創られたのである。 先生が聖進さんのお母さんと別れなければならなかったのもそうである。先生はなに一つ悪いことはなく、天に讒訴されることはなかった。 その間様々な迫害を受けながらもそれに対抗しないでそのままずっとその蕩減をして乗り越えてきた。原理はそうなっている。 エバがアダムを強制的に屈服させようというような非原理的なことをしたのだから、世界的な使命を持っている先生に対しても、サタンはそれと同じようなことをやるのである。先生はそれに絶対巻きこまれてはならない。巻きこまれないで屈服させなければならないのである。そうして自然屈服させるまで蕩減を越えていかねばならない。蕩減を越えた場合には反対の方向にやらねばならない。それを聞かなかった場合にはどうしようもないからそこまで待たなければならないのである。だからこの世の中で女に責められ迫害された男のうちで先生は代表的な男である。 先生は原理的にそういう条件を立たせたから、あなたがたも原理に違反した者は切ってしまって、いくらでも残った方を祝福する。しかしそういう者同志を再び祝福することはできない。 今から男女関係問題は生死の問題にかかわってくる。そういう境地におかれた場合、そういう気持ちの悪い女は、かえって死んだ方がいい、生命と代えるべきである。 歴史を通して血統を清めるために今まで戦って犠牲を払ってきたにもかかわらず、先生が地上に生まれてきて苦労して祝福した条件の立場に立ったのにそれを再び犯すというような罪は許されないことである。 だから女の貞操より男の貞操が必要とされる時代に入ってきたのである。エデンにおいてエバによってアダムが貞操を破られて天宙的な貞操の秩序を立たすべきアダムが、それを失ったのだから、そういう歴史を繰り返すようなことは許されない。それをあなたたちは今は分からないけれども霊界に行ったら分かるのである。 先生は遊びでこういうことをやるのではなく、霊界の方程式を解くためにやるのである。だから朝食を食べる時も昼食、夕食を食べる時も三食する時にいつも相対者のことを思ってともに食べるような気持ちで食べるとかしてみなければならない。今迄あなたたちはそういうふうにやってきただろうか。 今はそういうことは関係ないかもしれないけれども今後もし失敗したらその悲惨さはあなたたちには決して分からない。これは実に悲惨なものである。そのような大きな問題になるとは思わないで犯したとした場合には、その心理的にいかに悲惨で恐ろしいかは喩えようもないものである。創造のアダム・エバが堕落した地獄より以上の恐ろしい所である。あなたたちはそれが守れるだろうか。 今からは霊界で見るのは誰の血統が一番清い血統を維持するか、ということであり、今からその競争である。今から数千代をいかに純潔な血統を維持するかどうか、ということが今からの問題である。 それは肌の色が問題ではなく世界中、国をあげて競争したいものだ。だからあなたがたは千八百双のうちで何等になるか、というそういう観念を持たねばならない。神が願うならみなが一等になるという気持ちを持たなければならない。そのようにこの道を感謝しながら誠を尽くしながら行かなければならないのである。だから祝福家庭は大変な立場である。そういうことに自信がなかった場合はかえって祝福を受けなかった方がよい。 祝福家庭は天民である あなたがたはもうアメリカ人でもなければ日本人でも韓国人でもない。もう国家は既に超越しているのである。もしも先生が今死んでいったとするなら、世界はどういう伝統を受け継いだ者が支配するかというと、民族性を完全に超越し世界的な心情を持ったそういう立場に立ってそういう伝統を受け継いだ者でなければ世界を動かすことはできないのである。 あなたがたが伝道に行って国籍を聞かれたりしたらただちに「天国だ」と答えなさい。アメリカだとか日本だとかそういう観念が先に出たらいけない。アメリカは旅程であってあなた方はただアメリカを旅行しているだけなのだから。 子供にもそういう教育をしなければならないのであり、愛する子供を本当に教育するには自分が本当にそういう者にならなければならない。 今後祝福家庭はみな一つの組織にする。日本も韓国もアメリカもない。あなたがたは何も知らない。三十六家庭でさえ今から十六年前、いや十八年前結婚させてやる時、なぜああいうふうにやったかということを今になってやっと分かるようになっているのだから、あなたがたにはとてもそれは分からない。 分からない者が分からないままにこういう立場に立ってこういうように祝福されていけば、分かったという一つの世界にいくのだから恐ろしいものである。 こういうことにしてやるのは霊界の基準に相対的基準を合わせて、やるだけのことである。地上において統一教会が全身全霊をかけて一つになるのだから霊界は一つになっていく。だから先生は、宗教者としては近代にない飛躍的な位置に立つことになるのである。 あなたがたがこういう風にして組み合わせられることによってすべての霊界がみな奮起する。垣根がみな取りはずされてみな統合される。恐ろしいものである。何十万何億万の人々があなたたちのために一体化できる。何千倍何万倍になるか考えてみなさい。そして霊界の人数はどれくらいあるかを。 歴史のピーク、ワシントン大会 今度のワシントン大会はそういう意味において全世界を統一して、先生の家庭を初め、三十六家庭、七十二家庭、全祝福家庭、統一教会の全部が総攻撃したのだからこれにより霊界全部が連結する。そうして霊界と地上をつなぐそういうような条件でアメリカにいなくとも皆世界の食口は一つになっている。 だから先生は、宗教指導者としては近代にない最高の位置に飛躍するのであり、だからアメリカも韓国も日本も全世界が反対せざるをえないのである。 われわれが主体の位置に立ってどんどん反対すれば向こうは段々増えてくる。反対を受けていけば段々崩れていく。これまではいつもカイン・アベルの戦いでカインが先に立って上がりながらやってきたが、ワシントン大会の後、最高点を中心としてカインが先に立ってアベルと闘った場合、カインが勝利して同じ立場に立ってからこの絶頂点を越えた場合、誰が上に立つであろうか。アベルが上に立ってカインが落ちて反対になるのである。 今まではだからアベルが蕩減してきたのだけれど、将来はカインが蕩減しなければならなくなってくる。それを個人的から家庭的、氏族的、民族的、世界的から霊界までそういうように蕩減していくのである。 絶頂を越える今 だから今、世界的な善なる先祖の後孫とか世界の主権者、最高クラスの者の背後では霊界でそういう人たちの先祖が全部動員されて、自分の後孫を霊界伝道するのである。 サタンが今まで天に行こうとするのを迫害してきたと同じように、統一教会に行こうとするのを反対するサタンの方を逆に打つようになるのである。だから遠からずこの世界は統一世界になる。 ユダヤ民族がエジプトからカナンにわたる時、六十万移動したと同じように、われわれの統一教会も、その百倍の六千万人の食口がいたら世界はすぐ復帰される。霊界は総動員して押しかける。だから遠くない、遠くない。 二月十七日までが陰暦の十二月末でこの時期は、カインとアベルのアベルが経済的損害をしなければならない。そして様々な問題が一通りやってくる。蕩減原則は一寸も動かすことができないからである。 そこを乗り越えていけば段々蕩減条件も小さくなっていく。だからあなたたちが、こういう観点から祈る心情を持たねばならない。 アベルの権限が蕩減されて、アベルの権限を正したこの時代においては、アベルの方が蕩減するのでなくして、カインの方で蕩減させて、今までの何倍か弁償受けて、神に讒訴したサタンを追い出すような時期になってきたのではないだろうか。 全世界の善なる先祖をすべて動員して総動員するように祈らなければならない。 サタンがどんどん下がって、こちらは上がってまた、会うんだけれども、そういう時が今である。そういう傾向が今年と来年まで続くのではないか、と先生は思っている。心配する必要はない。統一教会はもう滅びない、そういう基盤を既に造ったのである。 一つに結ぶ世界の家庭 それで今から将来は家庭が中心である。将来統一教会の祝福家庭は、自分たちの国境を越えてどこの国へ行って泊っても、百二十日間は歓迎しなければならない。 将来は自分の家庭に、世界の食口たちが何人訪問してくるかが誇りである。将来本当にそうなる。自分の家を世界的に各国で祝福された食口たちの家庭が何人訪問してくれるか、その準備をしなければならない。もし訪問してくれなければその通りがかりの道の道端でいつも待ちながら、そういう標示をするのである。 そういうことから見ると、道端でも真心を尽くして侍ってあげて関係を持つようなそういうことの競争の世界になるのである。 そういう家庭は国家が保障するし、何人以上になった場合は国家で何倍の保障で報いてやるのである。 そういう時代に入っているのであるが、そういうことを話したら、みな頭のネジが反対に回されたようになって何もできなくなるから、先生はそういう話をしてあげるのである。 だから模範的夫婦になって伝統を正すには、あなたがたは先生に、あるいは統一教会の歴史に何か貢献しなければならないという重大な使命がある、ということをいつも忘れてはならないのである。だから何番目になるかということが問題なのである。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.09.22 17:49:57
コメント(0) | コメントを書く
[文鮮明先生み言葉選集(講演文)] カテゴリの最新記事
|