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カテゴリ:文鮮明先生み言葉選集(講演文)
真の愛は誰もが願う この講演文は、1999年3月14日、アメリカ・ニューヨークのベルベディア修練所で語られた文鮮明先生のみ言であり、2000年2月13日、「世界文化体育大典2000」の勝利祝賀晩餐会の時にもう一度宣布されたものです。 尊敬する内外の貴賓の皆様! 公私共にお忙しい中を、第四回「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。 理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として推進してきました。分裂と藤の一世紀が終わり、和解と統一を模索して出発した新千年の希望は、漠然と成就するのではありません。 神様の創造理想を中心として全世界が、一つの神様のもとに一つの世界を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。 私は、十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、ただひたすら神様のみ旨成就に全身全霊を尽くしてきました。 知ってみると、神様のみ旨は、地上と天上に自由と平和と解放の天国を建設することでした。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。 堕落は、その断絶を意味し、復帰は、父母と子女の因縁を回復することを言います。 私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、一人の神様のもとの一つの世界を構想してこられた神様の、み旨成就のための一環です。 特に、皆さんが参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和して、真の兄弟、真の夫婦として出会うことは、一人の神様のもとの一つの世界を追求する聖なる理想の現実化なのです。 きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」を記念する歴史的大会を終えながら、皆様と共に考えてみようとするみ言の題目は「真の愛は誰もが願う」です。 皆様、人間に一番重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力や知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりももっと必要なものとは真の愛です。真の愛が私たちにこれほどに貴く、重要なのは、何のためでしょうか。 人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいと願われるのです。ところで、人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいと言われれば、おそらく互いに不平を言うことでしょう。 ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ一番に立てれば、男性と女性が一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で一番貴いものがあるとすれば、男性と女性が互いに先に所有しようと争うでしょうが、それが愛だということが分かれば、二人が互いに一つになって所有しようとするのです。 このように愛は誰もが好むだけでなく、愛のみが、人間の欲望をみな均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。 愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有することができません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、あるいは女性一人だけをもってしては、愛は成立しないのです。ですから男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。 ゆえに、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラス(+)とマイナス(-)の対になっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もみなペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。この宇宙の中で絶対に一人では所有することができないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。 同じように、子女がいなければ子女を愛することのできる父母の愛が現れないし、子女に対する父母の愛の主人にもなれません。ですから神様も、真の愛を成されるために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。 このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛すべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象として一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるならば、真の愛が破壊されるのです。ですから離婚という概念はあり得ないのです。 男性が愛を感じるからといって、それが自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもやはり自分によるものではなく、相対である男性から来たものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、「ため」に生きてあげなければなりません。 これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が互いに「ため」に生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統は完全に根絶されるのです。 真の愛の縦的な垂直関係 真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成されるのです。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、この場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。この場では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛化され、そして花咲くことができるからです。 ですから宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生きて、愛のために死ぬということになります。 真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから万物の霊長である人間は、神様が造られた傑作品を抱いて愛するだけでなく、すべての万物に愛することを教えてあげなければならない責任があることを知らなければなりません。万物たちはこのような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。 宇宙にいっぱいに満ちたすべての存在は、自分のレベルで相対と共に存在しますが、結局より高い愛の次元に吸収されて上昇するという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。 ですからすべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、より高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける立場まで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質だというのです。 ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再び解釈されなければなりません。それゆえ、蟻や微生物までも真の愛を願うのみならず、自分を愛する主人のところに行って死のうとするのです。 このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物をみな食べたり、もったりすることのできる立場にいるのです。このすべてのものをみな食べて、もちますが、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べ、もたなければなりません。 万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや魚が好きなみみずのようなものは、大体薬剤として使われるのです。どのレベルにおいてもみな、捕って食べられるようになっています。もしそうでなければ、宇宙は存立することができないのです。 神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというのものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って、繁殖されるのです。 私の理論とチャールズ・ダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の理論に従って成されるのです。なぜならば、これが創造理想を成す根本原理だからです。進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には既に創造主であられる神様がいらっしゃることを認定する意味が前提となっているのです。 神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるだけでなく、結局、すべて消えてなくならざるを得ないのです。神様が主体と対象を通じてつくられた創造には、方向性と目的観が内在していますが、唯物論をパターンとした共産主義理論には、何の方向性も目的観もあり得ないのです。 人間において最も重要な器官は愛の器官 すべての万物の中でも一番貴い存在が人間、すなわち、男性と女性なのです。その中でも一番重要な部分は、鼻でも、目でも、手でも、そして頭脳でもなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてのものが再創造されるのです。 植物も動物もこの生殖器によって繁殖し、拡散していくのです。一番価値があり、一つとなった素晴らしい家庭もそれが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まるのです。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結するとてつもない価値のある場なのです。 神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すのです。ところで、この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、その相対が二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければなりません。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバも二人造ったのではありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。 ところが、今日世の中を見ると、義理の父が十人もいるケースを見ることができます。いかに偽りのごみ箱のような世の中でしょうか! 女性や男性が貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。 ですからこれを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は一人です。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つであり、絶対に一人なのです。 「真の愛」とは、誰でも言うことができる言葉ではありません。唯一神様のみが、本当の真の愛をなすことができ、真の愛の絶対主人となられるのです。ゆえに、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本となる本質は、真の愛です。 またこの真の愛と因縁を結ぶには、神様と関係を結ばなければなりません。うちのお母さんとお父さんがけんかしないで、豊かに暮らすからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。 恋愛している若い未婚男女が、互いに命を懸けて愛し合うからといって、それが真の愛ではありません。神様が介在していないので、真の愛ではありません。 真の愛は必ず神様を中心にしなければなりません。神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければならないのです。 権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界で歓迎されません。 愛とは相手のためにしてあげることで可能 真の愛は、誰もが願うものですが、愛とは「ため」に生きることによって可能だという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていくのです。 このような利己的な個人主義はサタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですからその結果は地獄以外の何ものでもありません。全体のために生きなければなりません。人のために全体のために犠牲になり奉仕すれば、みんなが来て、私を愛してくれるのです。 子女として造られた人間が兄弟になり、夫婦となり、父母の立場に進む過程ごとに、神様はそのすべての真の愛の主人になるのです。 すなわち、人間が育つのを見ながら、神様はそのすべての段階の愛の主人として、定着されるのです。それゆえ、神様をしてすべての愛の主人となるようにした人間こそ、神様よりも貴い存在だとも見ることができるのです。ちょうど自分が愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があり、貴く思うようにです。 ですからもっと貴いもののために、神様は投入され、忘れられ、また投入され、忘れられるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセント忘れられるので、続けてさらに投入することができるのです。自分の夫が素晴らしくなるのを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させるのと同じです。 投入して忘れることを続けるならば、その愛の段階を高め、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を成して、永生するのです。 みんなが天国に行きたがるのですが、「私のために生きろ」という思いだけをもっては天国に行けないのです。真の愛は神様が造られたすべての傑作品を抱いて、「ため」に生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様にまで「ため」に生きることによって、天国に至るようにするのです。 一生に三回以上生命を捧げて、「ため」に生きようとしなければなりません。アダム家庭の堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。 神様に出会うには、三回死に、再び復活したのちにも、神様に私のことを分かってほしいと願うよりも、神様のためにもっと尽くそうとしなければなりません。そのような人々が生きる世の中がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっていっているのです。 すべての愛の関係は球形を成す 子供はお母さん、お父さんの愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって成されるものであることを知らなければなりません。 子供たちが「自分のもの」を主張しますが、私のものの出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母に連結された愛のはしごを切ってしまえば、生きることができないのです。 真の愛の起源であられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。 父子の関係が縦的な垂直関係なのに比べて、夫婦関係は横的な水平関係です。ですから父子関係と夫婦関係は互いに直角(九〇度)を成して、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係は球形を成します。 それで、愛によって成されたすべての存在は球形です。宇宙全体が球形になっているのです。このように成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着しますが、この場に神様がいらっしゃるのです。 すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として男性の愛と生命と血統が右側に位置するならば、左側は女性の愛と生命と血統が定着するのです。ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、このすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになりますが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にしてみれば、愛の一番の根っこに、生命の一番の根っこに、血統の一番の根っこに、そして良心の一番の根っこに神様がいらっしゃるのです。 このように神様を中心とした家庭では縦と横、そして前後の愛が一つになりますが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していきますが、その根本中心は常にお一人、神様であられるのです。 全人類は真の父母を通して祝福を受けてこそ アダムとエバが堕落しなかったならば、真の夫婦の愛のモデルが出てきていたはずです。彼らから愛の教育、すなわち、愛することを学んでいたはずです。 彼らが子供をもてば、誰がその子供を結婚させてあげるでしょうか。それは父母です。それでは果たして今日、この社会で父母がどれほど子供たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。 統一教会では真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で結婚させてあげています。ここには、人種の違いを超えるだけでなく、聖人も悪人も一緒に結婚させているのです。 真の父母は、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を接ぎ木して勝利し、否定させることによって、アベルを殺したカインを除去してしまわないで、みな同じ立場で祝福してあげるのです。 潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出合い、水平を成した時のように、歴史的に救援摂理(蕩減復帰)が終結する善悪の転換期において、善人と悪人を一緒にみな祝福してあげることによって、サタンは完全に追放されるのです。 エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。 こうして神様の創造理想である八段階の真の愛のモデルの主人を完成するようになるのです。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。 真の神様の愛と生命と血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変の真の愛を中心としたモデルとして相続するのです。真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。 父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟なのです。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。 真の愛の主人になるためには、相対を自分よりも高め、「ため」に生きなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成し、八段階の理想のモデルである愛圏を完成するのです。 そうして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家がみなこのような真の愛を中心に八段階のモデルである主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここで永遠の世界的標準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。 今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で定着した祝福家庭たちが、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新たな家庭革命、世界的道徳革命を主導することによって、地上と天上すべてに永遠の平和と統一の理想天国を創建することを願うのが、神様の願いなのです。 私たちみんながこの聖業に同参し、神様の真の愛圏を相続する主人になることを願います。皆様の家庭に神様の祝福があることを祈ります。ありがとうございました。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.08.20 20:33:16
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