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カテゴリ:文鮮明先生み言葉選集(講演文)
愛の主人となるために 1999年6月4日 統一神学校を卒業した教会員(約二百五十名)をイーストガーデンに集められ、六月三日から三日間、訓読会を中心とした修練会をもたれ、六月四日に語られた御言。 愛は相対から来るもの 神様、アダム・エバです(図1を書きながら説明される)。子女として育つのです。三歳までです。これは三歳から七歳まで、七歳から十四歳、十四歳から二十一歳です。このようにして、すくすくと上がっていくのです。神様一人では愛の主人になることはできません。なぜ、創造したのかというと、神様が愛の主人になるためです。 赤ん坊を生んで育てることによって、子女に対する愛、子女の主人になるのです。その次に兄弟です。兄弟時代です。子女の愛、兄弟として育つのです。女性が行く道、男性が行く道をそれぞれ行き、十四の時まで兄弟同士愛すれば、兄弟の主人になるのです。 これは夫婦です。夫婦の愛の主人です。その次に無限な世界である霊界と一つにならなければなりません。これは何かというと、父母です。父母の愛の主人です。この四大主人になるのです。子女を愛する神様は、父母の立場で子女を愛する主人にならなければなりません。先祖にならなければならず、兄弟を愛する先祖にもならなければなりません。夫婦を愛する最初の先祖にならなければならず、父母になって、子女を愛する最初の愛の主人にならなければならないのです。 それでは、なぜアダムをつくったのかというと、四大心情圏の主人となるためです。何のことか分かりますか? (「はい」)。これがなければ、いくら神様でも主人になることはできません。愛を感じることができません。しかし、そうだといって、神様が愛することのできる素性がないわけではありません。相対が現れれば作用するのです。しかし、そうでなければできません。 女性にも愛があります。あなたは愛をもっていますか? (「はい」)。(笑)もっているのです。生命があります。血統があります。良心があります。しかし、一人でいくら努力したとしても、愛と生命と血統の主人の資格をもつことはできません。だれのゆえにもつことができるかといえば、夫ゆえです。夫を愛することによって、この女性が、愛に対する主人になることができ、生命に対する主人になることができ、血統に対する主人になることができ、良心の主人になることができるのです。男性も、女性ゆえに主人になることができるのです。 切ってしまってはいけません! 離婚するということは、切ってしまうということであり、それはすべてを否定することです。初愛の主人になることができ、生命の主人になることができ、血統の主人、良心の主人になることができるのは、最初に結婚した夫です。美人の女性が、どのようにして愛を知り、生命と血統を感じるようになるのですか? どのようにして相対を感じることができるようになるのですか? それは、必ず初愛を通してなのです。これほど、初愛は貴いのです。 母親が子女を育て愛しながら、この過程(図1)を経ていくのです。神様が感じることができなかったその愛を感じることができるようにするために、相対になっているのです。そのことを知らなければなりません。 それでは、愛というものはどこから来るのでしょうか? 相対からです。相対から来たので、とても貴いのです。もちろん、神様から来たのですが……。とても貴いので、その貴いもののために生きなければならないのです。相対から愛の所有権を受けるのです。それはとても貴いものなので、受ける時は頭を下げるのです。貴いからです。そうしなければ、愛の所有権は得られません。連結できないのです。 これは原理的です。今まで美人は結婚したとしても、たくさんの男性に相対してきました。これは泥棒です。自分の愛の主人をめちゃくちゃに蹂躙することなのです。それは、霊界に行って立つ場がありません。万物がつばを吐きます。何のことか分かりますね? 神様もこのような主人になろうとするので、創造しなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「しなければなりません」)。アダム・エバ、夫婦が一つになれば二性性相です。プラス・マイナスです。それで、相対が絶対に必要だということを知らなければなりません。その愛が永遠の愛になり、不変の愛になろうとすれば、最初から永遠に一つにならなければならないのです。離婚できますか? (「できません」)。絶対できません! 自分のすべて、存在の根源から創造理想まで、すべてを掃き捨ててしまうことになるのです。ですから、地獄に行かなければなりません。存在する所がありません。地獄に行かなければならないのです。これを知らなければなりません。 神様が赤ん坊を愛することのできる永遠の主人になり、兄弟の愛を感じることのできる永遠の主人になり、夫婦の愛を感じることのできる永遠の主人になり、父母の愛を感じることのできる永遠の主人になるために、アダム・エバをつくったというのです。そのことをはっきりと知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。愛は自分のものではありません。息子・娘、相対から訪ねてくるのです。それゆえ、為に生きなければなりません。ですから、最高に価値あるものの為に生きなければならないというのです。為に生きれば生きるほど、より大きい神様の愛を受けることができるのです。分かりますか? 子供をたくさん生みなさい 自分勝手に暮らしてきたでしょう。あなたはドイツの女性が好きですか? (「はい」)。あなたはどこですか? (「米国です」)。あなたは米国人なので、ドイツは怨讐ではないですか? あなたたち二人は一つになり、「ドイツと米国をもらっても取り替えない」と言わなければなりません。絶対に取り替えないと言わなければなりません。あなたがたカップルは、それよりも重要なのです。分かりますか? それで、私たち統一教会は、霊界で十六歳以下で祝福してあげる者たちは、すべて怨讐同士なのです。自分の国の怨讐、自分の家庭の怨讐、父、母、兄弟の怨讐にあたる人同士、結ぶのです。そのようにしました。それで、霊界には怨讐がないというのです。真の愛を中心として偽りの愛を越えるのです。これ(図1)を分かりましたか? このコンセプト(概念)が分かりますか? (「はい」)。 さあ、赤ん坊がいなければならないでしょうか、いてはならないでしょうか? (「いなければなりません」)。なぜですか? 神様に似るためです。息子・娘は父母に似るでしょう。同じことです。子供が成長して祝福を受ければ、四位基台が成されるのです。 ここで、赤ん坊を生むのが嫌な人、手を挙げなさい。西洋の人は滅びます。赤ん坊を生まないようにするので、どんどん減っていくのです。赤ん坊をたくさん生んだ人が世界を支配します。中共を恐れるでしょう。たくさんの赤ん坊を生まなければなりません。今から始めても勝つことのできる、そのような運動、そのような国、そのような民族は、統一教会しかないということを知らなければなりません。(拍手)将来は(祝福二世が)大半を占めます。自動的に人口の大半を占めるようになるのです。 では、赤ん坊を二人生みますか? (「いいえ」)。それでは、後孫が二人しかいません。それはどれほど悲惨ですか? ですから、二人以上生まなければなりません。二人ならば南北にしかなりません。二点では、すべてなくなるのです。線もなくなります。 赤ん坊を二人願いますか、何人願いますか? 東西南北、東西になれば平面にしかなりません。ここに兄弟が入らなければなりません。それで、六数が生じるのです。神様の創造が六日まであり、七日には休むのです。白人は赤ん坊を生むのを嫌うのですが、生むことができれば、どんどん生むのです。そうでなければ、あなたがたの国がなくなります。赤ん坊をたくさん生んで北極に行かなければなりません。(笑) なぜ、目が真っ青になったのですか? 白人の目が真っ青なのは、保護色です。白い雪があり、そこに水さえあれば、それを思慕するのです。どれほどそれを慕って、目が真っ青になったのでしょうか? 熱帯地方の人々、黒人を見てください。保護色になっています。地に陰が必要です。それで、そこに合う色になったのです。それを悪いと言っていいでしょうか?黄色人種は何ですか? なぜ、背が低いのですか? 座って祈祷するのです。農作業をしなければなりません。洪水になれば大変なことになるので、それで祈祷するのです。それゆえ、アジアでは夜も昼も、一生の間、神様のことを考えるのです。それで、聖人は東洋から出ました。そうでしょう。(「はい」)。インドのような所では、洞窟に入っていき、そのような生活をするのです。 狩りをする人、農作業をする人、暑いので陰になった所で農作業せずに踊りを踊り、実を取って食べて暮らす人、いろいろな人がいます。それは環境に合わせて暮らしているのに、なぜ差別が起きるのでしょうか? 私は南米のパンタナールに行って魚を釣るのですが、一番大きくて保護色が強いのがパクです。パクは釣りあげた時は黄色いのですが、置いておくとまだらになるのです。環境に合うようになっているのです。それを知らなければなりません。 そのような魚は、本当においしい魚です。すべての動物が捕まえて食べようとするので、保護色をもって自分の体を保護するのです。そのようなことを知れば、自然の食物連鎖というものが、どれほど驚くべきことか分かりません。ここで子供のいない男性、手を挙げなさい。何人ですか? (「二人です」)。 先生が(マッチングをする時に)一番問題にすることは、赤ん坊を生むことができるように結んであげるということです。それを知らなければなりません。原理が、息子・娘を生むことができなければならないようになっているのです。いくら美人であっても、劣った男性とでも赤ん坊を生みたいと思うのです。 女性のお尻は、男性よりも大きいのが原則です。お尻が小さい女性は、赤ん坊をたくさん生めません。(笑)そのような人には、お尻の大きい男性を与えてあげるのです。そして、死ぬほどの力を出し、愛し合うのです。女性が死ぬぐらい力を出すことによって、赤ん坊を生むことができるのです。(笑)そうなのです。赤ん坊のいない人は、帰ってやってみてください。これ(図1)を理解できますか? (「はい」)。 あなたたちも愛の主人になりたいですか? 夫をもちたいですか、赤ん坊をもちたいですか? (「はい」)。女性の思いはそうです。夫をもつことができなくても、赤ん坊はもたなければならないと思うのです。 しかし、赤ん坊だけ愛してはいけません。自分が大きい人(夫)に対して愛し侍り、そして、私に侍る赤ん坊を愛することによって、バランスがとれるのです。息子・娘がいることによって、父親が娘を引っ張り、母親が息子を引っ張り、回るのです。そうしてこそ、円満なのです。水がよく回るのと同じです。ですから、息子が必要であり、娘が必要なのです。 尊敬心をもち、美しく愛し合う 赤ん坊を生もうと、自分たちがけんかしながらでも愛することは罪ではありません。女性が「赤ん坊を生まない」と言い、男性が「いつも愛し合い、赤ん坊を生もう」と言えば、それは女性が悪いのです。強制的に捕まえ愛しても、罪ではないというのです。(笑)分かりますか? (「はい」)。罪ではありません。 男性は女性よりも強いのです。男性は五十一分に一度ずつ、女性を抱きたいと考えるのです。五十一分です。(笑)そうなのです。このように太った人は一度抱いて、休まずに三回までしようとするのです。待っていれば、一時間後にそれが来るのです。(笑) 女性は男性よりも遅いのです。この者たち、なぜ笑うのですか? 二倍遅いのです。そうであってこそ、合うのです。それを感じることができなければ、一生の間かわいそうな女性になるのです。分かりますか? けだもののように飛び込んでくる、ライオンのような男性がナンバーワンなのです。 寝床で愛し合うことを男性が嫌がりますか、女性が嫌がりますか? 平均的に考えてみてください。(「女性です」)。「一週間前にしたのに、何! と言いながら、大騒ぎするのです。(笑)男性の世界を知らないので、そうなのです。神様がそのようにつくられたのです。女性がそれをうれしく思い、喜び、「もっとすればよい」と言うことができる位置で赤ん坊を宿してこそ、健康な赤ん坊が生まれるのです。(笑)これが原理です。皆、これを知らないので、そのように言うのです。 きょう、このようなことを聞き、統一教会の祝福を受けた男性たちは喜びますね。(笑)そのようにすることができる強い余裕があってこそ、丈夫な赤ん坊を生むことができるのです。「ああ、嫌だ、嫌だ! と言いながら赤ん坊を生めば、赤ん坊はどうなるでしょうか? (やせ細って)飛んでいってしまいます。統一教会の教主がそのようなことまですべて話しているので、世の中から見れば教主の資格がないですね。(「いいえ! )。(拍手)知っているということが勝利です。あなたたち、そのように愛し合い、生んでみなさいというのです。昔よりも立派な赤ん坊が生まれます。嫌だと思いながら赤ん坊を宿したら、その赤ん坊はよくありません。 ここにいる女性たちは皆、そのような素質があります。ここ(あご)がとがっている人、口が小さい人は、そこが小さいのです。赤ん坊をたくさん生むことはできません。口の大きい人は、そこも大きいのです。それは関連しているのです。 男性たちは、自分の妻がどのくらいの時間でクライマックスになるのか、何分かかるのか……。時計を置いて準備をしなければなりません。そして、始めるのです。(笑) 性生活を上手にしなければならないというのです。そうしなければ、問題が起きます。尊敬心をもち、美しく愛し合わなければなりません。それなのになぜ、笑うのですか? 三百巻の御言選集を出版 さあ、きょうの訓読会は終わりです。たくさん学んだでしょう。(「はい! )。(拍手)今年、先生の御言集が三百巻以上出ます。それをいつ全部、読むのですか? 三百巻までためておいたものを、「今年、出版しなさい」と、お金をすべて支払ってきました。先生を愛しているのならば、それを一度読んでみなければならないでしょうか、読んでみてはならないでしょうか? それを読めば、世界のどこに行っても王宮です。 皆さんがそれをすべて読めば、霊界でも勝る人はいません。先生を見てください。韓国の村の農夫の息子として生まれて、世界を私の手で溶かすのです。そのようになっていくと思いますか、なっていかないと思いますか? (「なっていきます」)。御言でです。真の愛の力でです。 このようなすべてのもの(板書しながら語られた内容)も、初めて聞くことです。歴史にこのような言葉は、ないではないですか。(「はい」)。今まで知らなかったことです。知ったので、米国の女性たちも「堕落しろ! と言ってもしないのです。では、あなたたちだけ「神様、感謝です! と、言わなければならないでしょうか、米国人、西洋人が全員言わなければならないでしょうか? (「全員言わなければなりません」)。それでは、あなたたちの怨讐である昔の同窓生たち、昔は自分よりも勉強もできなかったような人が豊かに暮らし、その息子を見ると自分の息子よりももっと立派だという時は、そのような同窓生に冷遇されたとしても、行って伝道しなければなりません。それが米国を愛することです。 そして、自分の息子・娘が立派でなければ、立派でない息子・娘が生きることのできる垣根をつくるために、昔嫌いだった人を伝道することによって保護することができる、と考えなければなりません。分かりますか? (「はい」)。 統一神学校を出た人は修士学位をもっている人ですが、ここで博士は手を挙げなさい。立ってください。統一神学校を卒業した人が千名ほどになるのですが、その中で博士が三十五名です。ここで博士は何名ですか? (「十五名です」)。博士になって変わったことは、何ですか? 原理に対してより切実ですか、自分が学んだ専門分野に対してもっと切実ですか? (「原理です」)。言葉だけ、そう言うのでしょう。博士が乞食のようになって、もらい食いをしながら世界を巡り、米国五十か州を彷徨し、御言を伝えようと考えてみましたか? 考えてみましたか、考えていませんか? 答えなさい。 先生は何ですか? 船乗りであり、炭焼きの人です。農村の農夫です。できないことがありません。山に行けば、炭を焼くことも知っています。そのような舞台で賞を受けた人なのです。仕事場や工場に行けば、すべてできるのです。多くのことを専門的にしていったので、さっと見れば分かるのです。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.09.10 19:29:50
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