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奇   知   外   記

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2023.09.28
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自分の名前で祈祷する時代

一九九九年九月十四日、アメリカ・イーストガーデンで朝の訓読会の時間、真のご子女様と教会の指導者ら約二十名が参加した中で、真のご父母様はすぺての祝福家庭に自分の名前で祈祷する時代を開いてくださった。二〇〇〇年十月二十七日、第四十回「真の子女の日」を迎えて、家庭で祈祷する際の形式を新たに定められた。二〇〇一年の元旦を期して、祈祷ではなく、報告の形式を取るように新しく定めてくださった。


祈祷の結び

(1) 一般的な集会などで代表祈祷するとき、
「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ、祝福家庭○○○の名でお祈りします」
(一九九九年九月十四日)

(2)家庭で祈祷するときは、
「祝福の中心家庭○○○の名でお祈りします」(二〇〇〇年十月二十七日)

(3) 一般的な集会や家庭で祈祷するときは、
「祝福の中心家庭○○○の名で報告します」(二〇〇一年元旦)

   み言

 祈祷について言いますと、これまで皆さんたちが祈祷するときは、「何かをしてください、成就させてください」と言いました。今やすべて成就しました。そのように成就したものを皆さんが受け継ぎました。先生が今まで肉的な体をもってサタン世界と闘って勝利してきたように……皆さんもすべてが分かるのに、どんな祈祷をするというのですか? その権限をみな与えたではありませんか。ですから、そのような祈祷をする時代は過ぎ去ったのです。「私がこのようなことを知ったので、私がやります」という自己責任時代として祈祷しなければなりません。そして真の父母の御名ではなく、「真の父母の御名によって祝福を受けた某の名前で祈祷します」と、このように祈祷しなければならないのです。

 「真の父母の息子となり、真の父母の功労によって真の息子、娘になった某の名前でお祈りいたします」と祈祷しなければなりません。祈祷するというよりは、「報告いたします」と祈祷をしなければならないのです。先生も二十年余りの間、祈祷しなかったのです、完全に知っているからです。天が協助する私自身がサタンに勝って、サタン世界を屈服させ、天が願う基盤を整えたのです。整えてきたのです。何を祈祷し、何を下さいと言いますか? そのような祈祷の時代はすべて過ぎ去るのです。すべてを皆さんに与えました。

 今や真の父母の勝利的基盤を知り、私もそのような実績をもって、息子になった責任を果たそうというのです。そのようにするには、個人において、家庭において、氏族、民族、国家において、息子の責任を果たすのです。そして孝子と忠臣の家庭にならなければならないのです。みな与えたのです。みな与えました。ですから、接ぎ木をせよというのです。

 それは空中に浮かんでいるものではありません。しきりに「下さい、下さい」と言って……。そのような声を聞けば、私の気分が良くありません。「私がすべて成就します」と言わなければなりません。自信満々と責任を担う祈祷をしなさい。神様の前になす報告の祈祷です。それをきょうから教育するように。この時間から教育するのです。そうした時が来ました。そうでなければ、奪われてしまいます。「下さい」と言えばみな壊れてしまいます。み旨が分からなければ祈祷しなさいというのです。

 息子、娘よりは「家庭」というみ旨が入らなければなりません。そうすればみな受けるのです。真の愛はみな相続できるのです。祈祷が変わらなければなりません。自分の息子、娘がどうこうという祈祷は、統一教会ではだめなのです。何がどうこうとか……。私たちの教会がどうこうとか……。

 地上天国、天上天国です、何もかもが。個人的な地上天国、家庭的な地上天国、国家的な地上天国、このようになるのです。そのように祈祷することで、民族の境界線、国家の境界線がなくなるのです。それが神様の願うところではありませんか?

 自分の名前で祈祷するというよりは、自分のことを報告しなければなりません。「何々をやります!」と言って実践してから、報告しなければなりません。報告すべきことがなければ、ひざまづいて皆悔い改めなければなりません。悔い改めです! 否定したことまで悔い改めなければなりません。自分が約束するのではありませんか? 「これだけやりました」と報告し、約束しなければなりません。

 アメリカに来てから私は祈祷をしませんでした。祈祷よりは行動です。実践です。昨年の一九九八年から祈祷を始めたのです。その祈祷は、神様に侍り得る生活的な面において、いかに教えを受け、そのすべてを守っていくべきか、といった内容です。

 既成教会では、すべて自分の子や自分の教会が良くなるように祈祷しています。すべて泥棒たちです。

 家庭の誰それと言わなければなりません。真の父母の子女ですが、家庭的な概念が入らなければならないのです。祈祷できません。実践しなければ祈祷できません。完成してさしあげなければならないのです。完成してさしあげるべきでしょう? 生活するのは、生まれたのは、神様のみ旨を成就してさしあげるために生まれたのであって、祈ってすがるために生まれたのではありません。

 「祈祷するときに『何々を下さい』と祈るのはいやだ!」と思えてくるような時が来ました。みな知っているのに、何を助けるというのですか? そのような祈祷をしてはいけません。自分自身が知っているのです。真の父母として完成したすべてを神様が知っており、真の父母が築いた完成の基準を受け継いだ立場なのに、すべてを知っているのに、何を下さいというのですか? すべてを与えられたというのです。違いますか?

 天宙的なすべての相続権までみな与えたのに、何を下さいというのですか? 実践すること、いかに自分が相対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をするかというのです。そうでなければ合わせることができません。ですから、なさなければ、自分の家庭基準とか氏族基盤、民族基盤を連結できなければ、祈祷もできないのです。自分自身が知っています。

 責任時代、責任時代に入ってくるのです。「福を下さい」と請う時代はみな過ぎ去るのです。家庭、氏族、民族、国家、天地、天宙まで門が連結されたので、願うものがないのです。ですから、地上で精誠を尽くさないわけにはいきません。

 天は毎日のように新しくなっていくのです。発展していくので、毎日のようにプラスしなければならないのです。これまで、統一教会で遊んで食べている者が多いじゃないですか。自分が祈祷するときに分かるのです。何を報告しますか? み言を聞くたびに問題が大きいのです。

 公席においても皆そうです。真の父母から祝福を受けたこの教会ならば、教会某の名前によって、教会牧師の名前によってなすのです。教会も公的な機関ではないですか?それゆえに縦的に代表した機関なのです。活動しなければ祈祷ができません。「アーメン」と言えません。「アーメン」とは請い願うという意味ではありません。賛美にならなければなりません。賛美がみ言の答弁です。

 イエス様はどんな名前で祈祷しましたか? 考えてみなさい。イエス様は何の名前で祈祷しますか?息子の名前で祈祷したではないですか?独り子なる息子です。家庭を築かなければならないのです。家庭の名前を抜くことはできません。家庭というものは、夫と共に一族が入るのです。

 簡単なのです。先生が尋ねたら、イエス様はどんな名前で祈祷するのでしょうか? これは(板書されながら)家庭と国と世界ではないですか? それを完成するためのものですが、真の父母が来られて、みな完成したことを知っているのですが、それをみな合わせさえすればよいのです。それには絶対信仰が必要です。「個人でこうしなさい」と言えば、他の何かがありません。絶対信仰です。「家庭で妻を動員せよ」と言えば妻を動員して、「息子を動員せよ」と言えば息子を動員して、「娘を動員せよ」と言えば娘を動員するのです。その動員については異義がありません。絶対信仰です。氏族も同様であり、国も同様なのです。「皆さんの国をアフリカからこの国に移せ」と言えば、交換できるというのです。

 先生は祈祷するとき、どのような祈祷をしたでしょうか? イエス様が築かれたキリスト教文化圏においては、主の御名によって祈祷します、主です。イエス様よりも主、中心なのです。これを真の父母が築いたその基盤において、連結しなければならないのです。真の父母の基盤に乗らなければ、完成しません。関連性がないので、先生も真の父母の名前で祈祷するのです。すべて成就したからです。

 国があるので、忠臣になることもでき、孝子になることもできますが、それは自分の努力に応じてなされるのです。孝子ならば孝子、忠臣ならば忠臣、天宙まで、聖子のすべての道理が完成し得る道が開かれているのです。自分の努力において、どれぐらいになるかが決定されるのです。嘘をつきながら生きられません。報告した内容は、すべて記録されるので、そのまま自叙伝になるのです。それが間違っていてはいけません。心と体が一つになって第三対象が立ってこそ、先祖の立場に立つのです。先祖、王の立場です。あざ笑っていた牧師や主教は皆、脱落してしまうのです。

 アメリカは自分たちでやらなければなりません。人々の中でキリスト教徒たち、現在私たちと連結した人々を、なんとかして活用して用いなければなりません。キリスト教会を動かさなければならないのです。個人よりも教会を動かさなければなりません。全世界が超宗派、超教派、統一連合教会をつくらなければなりません。一つの教会ではありません。一つの教派、これを経なければならないのです。

 このように祈祷すれば、なんとすてきなことでしょう。統一教会は理論によって、このように唱えていきますが、既成教会は盲目的にやるのです。私たち統一教会の食口たちは、祈祷が難しいでしょう? 活動しなければ、口がくっ付いて祈祷できません。先生のように毎日動かなければなりません。

 ですから、遊ぶことができません。これからは、夫が動かなければ女性が忠告することができ、女性が動かなければ夫が忠告することができ、父母が動かなければ息子や娘が忠告できるのです。恐ろしいことです。家庭が完全に中心となるので、このように伝道しなければいけないことが分かるのです。個人中心ではありません。家庭が宇宙の中心にならなければならないのです。それがはっきりと分かるので、伝道しないわけにいきません。(三〇四-二八、九九年九月十四日)

 すべての家庭が、天地父母、神様の伝統の思想を抱いて家庭を求め、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の真なる愛の理念的国家観を形成しなければなりません。真の父母の理念となるこの国家観を完成するのは、祝福を受けた皆さんの家庭の責任なので、きょうからは祈祷の内容が変わります。これまでは、真の父母の勝利圏を祝福で受け継いで祈祷しました。祝福がなければ真の父母の勝利圏に同参できません。祝福によって、真の父母と血縁的な関係を結び、血統が切れていたのを新たに連結したので、真の父母の子女としての因縁につながっているのです。

 皆さんの祝福を考えてみなさい。祝福を受けるには、再臨主が来なければなりません。アダムが失ったものを創造するのに六千年かかりました。先生が現れなければ、どうにもならないのです。真の父母が現れなければアダムの理想、神様のみ旨、祝福完成の道を越える道理がありません。千辛万苦の峠を越えて譲与してあげたにもかかわらず、何の功労もなしにぶらぶらと遊び、賭博場で遊び、王宮で祝宴を開くと聞いて、王の前で箸を持って待っているのです。準備された祝宴のごちそうが、どれほど貴いかも知らずに勝手に食べたならば、毒薬を飲むよりも恐ろしい審判の舞台に流れていくのです。そのことを知らなければなりません。勝手に生きてきた雑種犬のような人たちが、この環境を汚しているという事実を知りません。自分の家庭の生き様が、統一教会の主流思想を代身した家庭の代表ではないということを知らなければなりません。そのように生きてきたとしても、今までは祈祷しても少しは面目が立ったでしょう?

 真の父母の勝利圏を何によって受け継ぎましたか? 祝福によって受け継ぎました。それは皆さんの功労ではありません。十年、四十年と断食祈祷をしてもだめなのです。祝福によって血統転換できる特恵権を与えてあげましたが、その価値をどれほど理解しましたか? 神様の数百分の一、先生の数百分の一しか理解していないのに何ですか? 神様の失った王権を取り戻し、神様の即位と権限を取り戻してさしあげなければなりません。すべて失ってしまったので、民もなく、国もなく、国土もなく、主権もない世界で、主権を取り戻すために、神様が主権を取るまで、その間隔を狭めて……。アダムとエバは家庭的な時代であって、国家的な時代でも、世界的な時代でもありません。家庭的な時代を越えて、世界的な時代において、すべて天国が完成したという条件基盤を満たせる立場に立ち、勝利の覇権基盤を築いたことを中心として、皆さんに譲ってあげたのです。

 今や救援摂理時代は過ぎ去るのです。救援摂理の歴史が過ぎ去り、「第四次アダム心情圏時代」に突入するのです。ですから、祈祷するにあたっては真の父母の勝利圏ではありません。すべてを引き継ぎました。ですから、真の父母に代わって、深刻な立場で世界を中心として身もだえしてきたのと同様に、代行的な機関を引き継いだのが私の家庭なので、祝福の中心家庭、某の名前で祈祷しなければならないのです。そのようにできないときは、入籍が取り消されなければなりません。驚くべき入籍であるということを考えるとき、恥ずかしくない立場に立って、一日一日の生活でみ旨の前にプラスとなる実績を持たなければならないのです。そうでなければ祈祷もできないのです。そのような時代になるのです。

 祈祷の時代は過ぎ去りました。メシアがいてこそ、救世主がいてこそ、祈祷も通じるのですが、その救世主から解放圏をすべて引き継いで、解放圏に送られたのですから、今日の課題は、「解放された天地父母と解放された子女が、心身一体となり、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠なるみ旨を完成しよう!」ということです。共に協力するのです。ですから、うまく協力して報告できたか、できなかったか? このような問題を中心として、うまくできなかったときには、それを挽回するまでは祈祷もできません。報告もできません。祈祷ではありません。「祈祷」という言葉をなくしてしまうのです。「報告」です。良い報告を持っていない者は、このような集まりの場に来られません。

 これからはチェックしなければなりません。誰でも連れてくるというわけにはいきません。実績がなければならないのです。報告する内容がなければ、あいさつもするなというのです。あいさつも受けないようにしようと思います。あいさつされて何をするのですか? すべてを相続しました。先生はみ旨をすべて知っているので祈祷しません。二十四年間、祈祷をしませんでした。知っているのにどうして祈祷をするのですか? すべてを許諾してくださったのに、何を下さいと言うのですか?

 お父様の前に相対的な立場に立って、すべてを喜びをもって報告できる時代が来るので、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ某の名前で祈祷する」という時代が過ぎ去ります。ですから、「祝福の中心家庭、某の名前で報告いたします」と言わなければなりません。これは祈祷ではありません。「報告いたします」です。報告する時が来ました。報告するには善の結果がなければなりません。乞食のようにいつも「下さい、下さい」と言って、ノラ犬のように糞をつけていてはだめなのです。誇るために報告しなければなりません。実績がなければ祈祷もできません。

 新千年、新しい三千年が始まる日が近づいてきます。これからは、私たちの世界になるのです。正月から「いかに拍車をかけて頂上の基準を天宙と連結させるか」という責任が各自にあります。

 今や、先生が皆さんの家庭に対して関係を結ぼうとする時代は過ぎ去りました。皆さんが先生と関係を結び、皆さんが神様と関係を結ばなければならない時となったのです。これが「第四次アダム心情圏時代」です。真の愛も私が主人となり、真の生命も私が主人となり、真の血統も私が主人とならなければならないのです。

 今や新年の正月の一日から祈祷が変わります。「祝福の中心家庭、某の名前で祈祷いたします」となるのです。すべてを蕩減して、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰を成したのです。そうして、アダムとエバが堕落の因縁のなかった解放的時代に入るその立場に立って、主体的な自らの家庭をすべて練磨させないことには、脱落するのです。アダムとエバが堕落したとき、即刻に処断しました。

 皆さんもそうです。夫が誤まれば即刻に、妻が誤まれば即刻に自分と関係を断つことのできる時代に入っていくのです。男女問題においてはとりわけそうです。(二〇〇〇年十二月二十四日、漢南国際研修院)

 今や、今年(二〇〇一年)一月十三日から、一日から祈祷の内容が変わりました。「祝福の中心家庭某の名前」で祈祷するのです。それをはっきりと知らなければなりません。それ以前には何と祈りましたか?「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、某の名でお祈りします」と祈りました。

 真の父母の祝福を受けた某の家庭です。その家庭はサタン世界と区別されます。サタン世界とは合わさりません。真の父母に祝福された某というのは、サタン世界と区別されるということです。以前は「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ」と祈りましたが、そのとき、その「祝福」が何かというと、サタン世界と隔離されているのです。そのことを知らなければなりません。そのように考えて祈祷する者が、どれほどいたでしょうか? それが問題なのです。

 堕落以降のサタン圏との関係が完全に整理されたのです。それを知らなければなりません。その前には何の名前で祈りましたか? 「真の父母の御名」で祈りました。自分の名前で祈祷できず、自分の主体性がありませんでした。そこで、「真のご父母様の勝利圏を祝福で受け継いだ某の名前」で祈ったのです。変わるのです。それはサタン側と完全に断絶されたということです。内的だけでなく、外的にも何も関連がありません。

 その次は何ですか? 「祝福の中心家庭」です。「祝福の中心家庭」は堕落世界と何も関連がありません。アダムとエバが堕落する以前に、神様の心情世界と連結されていた、そのような立場なのです。それが「祝福の中心家庭」です。神様の創造理想が完成した家庭として、堕落しないアダム家庭を代身するのです。

 そのような立場では、祈祷の代わりに「報告」を捧げるのです。完成したアダム家庭では、祈祷をする必要がなく、報告をすればよいのです。毎日、報告をしながら理想世界を築いていくのが、完成したアダム家庭が歩む道です。ですから、新しい何かがなければ報告できないのです。

 そこではメシアも必要なく、宗教も必要ありません。なぜならば、すべてのことを知っているからです。皆さんもすべて知っているでしょう?真の父母がすべてを教えてあげました。毎朝、訓読会をしているでしょう? その時間を過して、すべてのことを理解するようになるのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙そして神様の心情世界まで、すべてを知ることができます。すべてのことが分かるのです。(二〇〇一年一月十六日、イーストガーデン)

 今や伝道する時代は過ぎ去るのです。先生が皆さんを祝福する時は過ぎ去りました。今や過ぎ去ったのです。「第四次アダム圏時代」に入ったので、家庭的に……。最近はどのように祈祷しますか?「祝福の中心家庭某の名前」で祈祷するでしよう?しかし、皆さんにはそのような祈祷をする資格がありません。神様もまた祈祷をさせるには、「私の名前で祈祷しなさい」とは言えないようになっています。救世主の名前で、族長の名前で祈祷しなければなりません。

 皆さんは、その時代を過ぎたでしょう?「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、誰々の名でお祈りします」と、このように祈祷したでしょう? そのような祈祷の時代が、すべて過ぎ去りました。第四次アダム圏、心情圏時代に入り、堕落していないアダムとエバが、祝福されて天宙の中心となった家庭圏内に入ったので、「祝福の中心家庭」なのです。「祝福」とは何ですか? 結婚式をすることではないですか? 旧約の約束というのは、結婚することですが、その約束を台無しにしてしまいました。それで、新たに約束したのが新約時代ですが、それも完成できませんでした。

 再臨時代、成約時代には祝福をしたのです。結果主管圏内と直接主管圏内に分かれていた、そのすべてのものを、責任分担を果たした祝福的基準を成立させることによって、アダムとエバが堕落しないで祝福を受けた中心の場に立つのです。そのような家庭に立ち返ることによって、自分の家庭を中心として、祈祷、報告しなければなりません。

 善なることをなさなければ祈祷ができません。皆さんが今そうでしょう? 世界に自分が行くべき道が残っており、生まれた以上、国を世界へと連結させ、天の国に連結させるべき責任がありますが、その膨大な責任を放り出しておいて……。やるべきことが山ほどあるのに、そこに一粒の砂でもプラスするようにしなければならないのです。そうでなければ、報告できないのです。報告です。祈祷ではありません。「祝福の中心家庭某の名前」で切に報告しなければなりません。切に祈祷する時代は過ぎ去ったのです。そのため、毎日のように報告する内容が必要となります。

 ご飯を食べるとき、兄弟同士で、一さじでも多く食べようとして争ったとすれば、どんな報告になりますか? おしにならなければなりません。兄弟たちの前で、逆に自分が食べられるご飯の量を一さじでも譲るのです。また学校に行けば、教室を掃除しなければなりませんが、学生たちは皆、掃除を嫌がるでしょう? それならば、嫌がる学生たちのために、私がぞうきんがけを一度でもやってあげるのです。そのようにしなければなりません。

 そのようにしてこそ報告できるのであり、やらないで遊んで、ぶらぶらしていて何の報告ですか?目やすべての五官を閉じなければなりません。五官が死んだも同然にならなければならないのです。そのような即決時代に入ったのです。(二〇〇一年一月十二日、天宙清平修錬苑)




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
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世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.09.28 21:55:35
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