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2023.09.29
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第十二回「世界統一国開天日」の御言

1999年10月3日
ベルベディア
 
第十二回「世界統一国開天日」の式典が、ベルベディアで開かれ、二時間の訓読会の後、世界各国から集った四千人の教会員に、四時間にわたって御言を韓国語で語られました。途中英語で語られ、(英)と記した。


 二人が一つにならなければならない

 きょうは開天節です。(「開天節」と板書される)これは「門」のことを意味するのです。「天」を通してこそ、門が開かれるというのです。「天」は何かというと、二人です。ですから、二人で入っていけば、門が開かれるのです。米国の人々は、一人で暮らしている人が多いのですが、一人で暮らす人はどこに行っても合格できません。二人で入っていかなければならないのです。

 きょう、話すことは、カイン・アベル問題です。二人が一つにならなければならないのです。主体と対象が一つにならなければならないのです。このカイン・アベルが一つになっていません。一つになっていないので、問題なのです。堕落は何かというと、神様と人間と万物が水平にならなければならないのに、それがなっていないという問題なのです。これらがすべて分かれているのです。

 皆さんも、朝起きて洗面しようとして顔を見れば、一番最初に見えるのは何ですか? (「目です」)。次に何ですか? (「鼻です」)。次に何ですか? (「口です」)。次に何ですか? (「耳です」)。次に何ですか?。手です。このように見れば、五官がすべて集まるのです。

 それでは、目は一つですか、二つですか? (「二つです」)。鼻の穴は一つですか、二つですか? (「二つです」)。 唇 は一つですか、二つですか?。耳は一つですか、二つですか?。手も一つですか、二つですか?。すべてが相対になっています。顔がすべてそのようになっているように、心と体も相対になっており、この宇宙もそうなのです。

 鉱物世界も主体・対象、植物世界も主体・対象、動物世界もオス・メス、人間世界も男性・女性、すべて相対になっているのです。家庭を見れば、父子関係、夫婦関係、兄弟関係、親戚関係も、主体・対象になっています。国家関係も大きいものを中心として、主体・対象になっているのです。ですから、二つが一つにならなければ完成できないのです。幸福も、一人では成し遂げることはできません。

 「自由」という言葉もそうです。「自由」と言えば、自分を中心として考えるのですが、自由というものは絶対に一人ではなすことができません。体と一つになることができなければ、自由をなすことはできないのです。男性と女性が一つになることなくして、自由はあり得ないのです。天と地が一つになる中で成し遂げられなければならないのです。神様は、二つが一つになった真ん中にいるのです。生命も、二つが一つになった真ん中にあるのです。

 開天節、この「節」というのは、「多い」ということを意味します。「門」というのは地球を意味します。どのような都市に入っていくにも門があり、天国にも門があります。門を通るためには、二人が一つにならなければなりません。

 開天節とは何ですか?。何を開いたというのですか?。天を開いたというのです。天とは宇宙のことを意味します。大きいものを意味するのです。偉大だというのです。広い世の中を思いのままに通ることができるのが天です。とても広い天も、二つが一つにならなければならないのです。

  一つになるためには、お互いに授け受けする

 皆さん、男性でも女性でも、みな自分が一等になりたいでしょう。女性は男性に負けたくないし、男性は女性に負けたくないでしょう。(「はい」)。それでは、二人とも高くなりたいのに、どのようにして一つになるのですか?。それが問題です。力で、知識で、お金で、そのようなもので一つにすることができますか? (「できません」)。

 一番の問題は何かというと、どのようにして男性と女性を一つにするか、ということです。世の中のすべての手段方法、何かの財産を用いたとしても、一つにすることはできません。それは愛です。

 男性と女性の容姿が違うので、近くに行って顔をのぞき込んで見たり、お互いに触れてみたいのですが、なぜ、そのような作用が起きるのでしょうか?。近づいて「私は好きだ」と言う言葉も、何を中心として好きなのですか?。ご飯を食べても好きで、何を食べても好きで、このすべて「好きだ」という、その言葉の根は何かというのです。

 「ご飯を食べることが好きだ」。なぜ、好きなのですか?。私と一つになるからです。すいたおなかを満たして一つになるからです。それを満たしてくれるのです。それは何かというと、二つが一つになる時に「好きだ」と言うのです。このようなことに満たされていれば、よいですか、よくないですか? (それだけでは)百パーセントにはなりません。

 さあ、自分が生きる中で「好きだ」と言う時はいつかというと、自分の生命を中心として一つになることのできる位置に立つ時です。生命が喜ぶことというのは、一体、何ですか?。その根は何でしょうか?。愛なのです。見えませんが、結局、その根は、生命よりももっと深い位置の愛の根につながり、生命を中心としてここで、男性と女性を中心として「好きだ」という運動が起こるのです。

 「好きだ」ということも、生命と愛が根になっているということを、私たちは考えなかったというのです。深刻に分析すれば、その位置まで行くのです。「うれしい」ということの根源は、どこから起きてくるのかというと、生命が維持され得る根源的愛の根にプラスになることができてこそ、起きてくるのです。そうであってこそ、それがオーケーと言うのです。

 それでは、なぜ二つでなければならないのでしょうか?。一人ならもっとよいのではないですか?。一人ならば二点になるのですが、二点では運動が起きません。直線は何かというと、二点を連結させるものです。二点では運動がありません。それゆえ、二点、三点が必要であり、これが多ければ多いほど、だんだん球形になるのです。縦的なものを中心として地球を見たとしても、中心を中心として磁力線が運動しているのです。

 それでは、なぜ二つが必要なのでしょうか?。一つになるためなのです。左目と右目は(お互いに)見えませんが、これは運動しているのです。皆さんの目は、横に行ったり来たりし、上がっていったり下がっていったりするのです。顔にある目は神様を象徴するのです。横的な世界の果てを見ることができ、縦的な果てを見ることができるので、目は神様を象徴するのです。

 目も白い所、黒い所、瞳孔の三段階になっています。三段階です。それゆえ、鼻も一と二、ここで一つになります。空気が二つの鼻の穴から入っていき、ここで一つになるのです。完全に水平にならなければなりません。耳も、中に入っていくと鼓膜があるのですが、すべて水平になっています。これ自体が四方を通して、横的運動、縦的運動をするのです。ですから、縦的にも上中下、横的にも上中下、このようにして球形が展開するのです。

 私たちの家の中を見れば、父子関係は何を中心にしているのでしょうか?。三点です。夫婦関係も何を中心としているのでしょうか?。三点です。子女関係も何を中心としているのでしょうか?。三点です。それは何を中心として一つになるのですか?。二つが一つになってです。二つが完全に一つになれば、中心が生じるのです。

 その中心をつくる力は何でしょうか?。それが愛なのです。愛なのですが、どのような愛ですか?。自分を愛するのではありません。相対を愛するのです。それゆえ、愛という存在は本来、自分のために生きるところから生じるのではなく、相対のために生きなさいという、相対的愛なのです。

 それでは、男性と女性は、一体どのような存在なのでしょうか?。男性はなぜ生まれたのでしょうか?。自分のために生まれたのでしょうか、相対のために生まれたのでしょうか?。米国の人々はどうですか?

 存在の主体・対象関係において、主体という存在は、主体のために生じたものは一つもなく、対象という存在も、対象のために生じたのではありません。主体は絶対的に対象のために生まれたのであり、対象は絶対的に主体のために生まれたのです。ところで、なぜ、そのように生じたのでしょうか?

 父子関係の中心は何ですか?。愛です。それは見えません。夫婦関係の中心は何ですか?。愛です。兄弟関係の中心は何ですか?。見えない愛なのです。見えない愛ゆえに、このすべての球形が展開するのです。上が父ならば、下は息子です。これが男性ならば、これは女性です。これが兄ならば、これは弟です。(図1を書きながら語られる)



 この二つを一つにして、全体が拍子を合わせるようにするものが何かというと、兄弟間の愛であり、父子関係の愛であり、夫婦間の愛なのです。愛はこのような力をもっているのです。そして、すべての中心がここ( )です。中心はどこかという時、球形の中心というものは、永遠に変わりません。いくら大きくても、これは一つしかありません。地球が大きくても、中心は同じです。この宇宙が運動する中心も同じです。

 球形の運動は、上下、前後、左右関係が、必ず中心を中心として、同居、同位、同等の価値を備えていなければならない、という結論が出てくるのです。それで、十字を中心として八段階になっています。(図2を書かれる)家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様。中心とは何ですか?。球形世界形成のためには、この枠を外れては形成できないのです。

 愛の主人になり得る資格をだれが与えてくれるか

 男性は何をもちたいですか?。男性が、最ももちたいものは何ですか?。お金。知識。権力 何ですか? (「愛です」)。何ですか? (「真の愛です」)。神様を分からずして、真の愛は分かりません。愛でなければならないことは、決定的な結論です。愛を好むのですが、好むその愛が完全ではないので、「真」をつけて真の愛というのです。

 父子関係において、真の愛というものはこの点(図1の )だというのです。父子関係や夫婦同士で愛しても、この位置(図1の )に来てこそ、真の愛になるのです。分かりますか? このように父子関係として確定され、夫婦として確定され、兄弟として確定されるのです。

 天も二人です。二人が一つにならなければなりません。二人は何を中心として一つになるのでしょうか?。力でもなく、他の何でもありません。愛を中心としてです。その愛は、父の側に行かなければならないでしょうか、息子の側に行かなければならないでしょうか? (「中央です」)。では、父が見る時、息子は自分よりも小さいのに、中央だということを好みますか?。嫌うというのです。それでは、愛が父のほうに近く、息子のほうから遠くなるのですが、これでは一つになれないではないですか?。不平が起きるのです。これを知らなければなりません。

 一体、愛の主人は、だれが決定してくれるのでしょうか?。上になる、下になる、ということはすべてほうり出し、愛というものの主人はだれが決定してくれるのか、ということが問題なのです。

 父母の愛の主人になり得る資格を、だれがつくってくれるのでしょうか?。父母だけでは永遠になせません。子女がいることによってなされるのです。父母がいくら優れていたとしても、子女がいなければ、父母として主人になり得る資格、愛を中心として主人になり得る道は、永遠にないのです。愛の主人にしてくれるのは子女なのです。

 主人にしてくれるのですが、独裁的ではありません。感謝です。二人を主人にしてくれたので、立派な父母が、鼻水を垂らした子女に口づけするのです。それは何ですか? 「私がおまえよりも下になろう」と言うのです。愛には、そのような力があるのです。偉大だというのです。なぜ、そうなのでしょうか? 「あなたが私を愛の主人にしてくれたので、感謝だ」ということです。

 米国の女性たちは、子供を生むことを好みません。赤ん坊を生んで、その赤ん坊を愛することができないでしょう。(「愛します」)。毎日のように、一日に何度も大小便を漏らすのを見る時、「ぺっぺっ、ああ」と言いますか、それとも大小便であれ、何であれ、喜んでおしめを取り替えますか?

 母親は、おならの臭いが少し違えば、「これは、何かの病気にかかったのではないか?」と心配するのです。臭いが違うでしょう。(「赤ん坊の大小便の臭いですか? (通訳者)」)。そうです。毎日のように違うのです。同じではありません。少し違えば、「ああ、大変なことになった」と言いながら、くんくんと臭いを嗅ぐのです。それはなぜですか? 「あなたが私を愛の母の資格の看板を付けてくれる主人だ」と思うからです。主人に侍らなければならないのです。分かりますか?

 いくら美男子、美女でも、息子・娘がいなければ、「ああ、私は愛の主人だ。子女を愛することのできる資格者になった」と言うことはできないのです。子女がどれほど貴いか、ということを知らなければなりません。永遠に、母の愛の主人になることはできないのです。

 先生は、美男子ですか、醜男ですか? (「美男子です」)。美男子になって、何をしようというのですか?。ハンサムは使い道がありません。何に使うのですか?。夫になり得る資格者の可能性があるので、女性たちが「ハンサムだ」と言うのです。

 男性が「ハンサムマンだ」と言いますか、女性が「ハンサムマンだ」と言いますか? (「女性です」)。しかし、いくら美男子でも、男性は妻を愛することのできる主人になることはできません。主人にしてくれるのは、男性ではありません。いくら醜い女性でも、女性が主人にしてあげることができるのです。

 ここにいる男性たちは、女性が好きですか? (「はい」)。どうしてですか? (笑)男性として女性を守ってあげることのできる愛の主人になるので、好むというのです。それを知らなければなりません。では、女性はどうですか? (「はい」)。女性が男性を愛し得る主人になれるのは、男性がいるからです。男性がいなければ、永遠になれません。それは正しい話ですか、間違った話ですか? (「正しい話です」)。

 愛の主人になろう

 では、「私は幸福だ。世界の女性の中で私が一番だ」と言う妻がいたとするならば、その夫はどんな夫でしょうか。町内に多くの家庭がありますが、その中でも自分の夫が一番好まれるならば、その妻は町内で最も幸せな妻です。町内の人々が「あの女性は幸福だ」と言うようになるのです。他の女性たちまでも、その男性を「よい男性だ」と言うのです。そのような夫は、すべての家で歓迎されるのです。どこであってもつまることなく、通過できるのです。

 夫婦で暮らしていて、夫が「妻のために先に死のう」、妻が「夫のために先に死のう」と、競争するならば、そこで先に死のうという人が、一番の妻、一番の夫になるのです。遊びにいく夫が多いのに、彼は汗を流して妻のために死ぬほど働くのです。バカンスシーズンでもバカンスに行かずに、働いてお金を稼ぎ、何をするのでしょうか?。妻のためにダイヤモンドのイヤリング、ダイヤモンドの首飾り、ダイヤモンドの鼻輪、すべて買ってあげようというのです。分かりますか?。自分が死ぬほどに、妻を貴くしてあげよう、という人がナンバーワンの夫なのです。

 世の中の人々は結婚する時、愛するために行きますか、愛を受けるために行きますか?。どちらですか?。米国の女性たちはどちらですか? (「与えるために行きます。受けるために行きます」)。与えるために行けば、上がっていきますか、下がっていきますか? (「上がっていきます」)。下がっていくのです。(「上がっていきます」)。それは間違いありません。原則を知らなければいけません。

 神様は愛の王です。神様を愛する人が、神様の前に引かれていく時に、感謝しなければならないでしょうか、足で蹴らなければならないでしょうか?。神様を愛する人が、自分の耳を引っ張られることを、喜ぶでしょうか、気分を悪くするでしょうか? (「喜ばなければなりません」)。

 一人で暮らす女性は悲惨です。愛が分かりません。その胸もだれも触ってくれず、自分の愛の五官もだれも必要としないので、どれほどかわいそうですか?。女性同士でキスをしますか?。女性が女性に胸を差し出して、「触ってくれ」と言うのですか? (「いいえ」)。そのような人は、幸福ですか、不幸ですか? (「不幸です」)。そのような人は、愛が分かりません。男性を愛することのできる、永遠の主人になることができないのです。

 そのように愛して何をするのか、というのです。神様は、男性の完成した人格、女性の完成した人格、二つの人格を完成しているのです。それゆえ、男性を愛することのできる主人、女性を愛することのできる主人が一つになってこそ、神様を愛することができるようになるというのです。このようになるのです。

 そのようにして神様を愛さなければならないのです。神様もそこで、初めて「私があなたたちの愛の主人になったのだなあ」と言うのです。絶対的な神様でも、一人では愛の主人になることはできません。

 このような御言を教えてあげているのですが、月謝をどれくらい出しますか?。このようなことは今、初めて聞きました。この世界のどんな図書館にもありません。天の国にもないのです。レバレンド・ムーンが語ることによって、天の国にもあるようになり、この地上の図書館にもあるようになったのです。

 これは米国を与えても買うことはできす、天地を与えても買うことのできない内容だということを知らなければなりません。どれほど貴いかということを知らなければならないというのです。愛の主人になろう。永遠に、絶対的な愛の主人になるとすれば、不幸な人がいますか? (「いません」)。

 個人、家庭、氏族、宇宙全体の、愛の主人になろう。なぜ、「主人になろう」と言うのですか?。そうしてこそ、私が神様を引っ張ることができるのです。(「アーメン」)。(拍手)私が韓国語で話しているのに、なぜ、そのように拍手するのですか?。なぜ、そうするのですか? 「韓国語以外は話さない」と言ったのに、英語で話したようですね。「公的な場で英語は話さない」と言ったので、「ああ」と言わなければなりません。(笑)

 英語は水平言語です。父親にも「You(あなた)」、母親にも「You(あなた)」、おばあさんにもおじいさんにも「You(あなた)」です。すべてそうなのです。中心がなく、上下がありません。それゆえ、個人主義になり、自分勝手に生きるのです。

 私がこのようなことを言うので、米国では「レバレンド・ムーンは嫌いだ」と言っています。では、そのように迫害している米国人が滅びるでしょうか、迫害されているレバレンド・ムーンが滅びるでしょうか?。神様はだれを保護するのでしょうか?。世界でナンバーワンの、為に生きる愛のキングになっているので、レバレンド・ムーンがいなければ神様が悲しいので、保護しようとされるのです。真の愛の中心なのです。

 それゆえ、神様はレバレンド・ムーンを保護せざるを得ないのです。保護しなければ、神様が死ななければなりません。神様がなくならなければならないのです。そうすることができますか?ですから、そのような人は永遠に滅びないのです。愛をなすことのできる位置で、愛することのできる対象もいなければ、神様もいなくなるのです。完全なプラスがあれば、完全なマイナスが生じるようになるのです。それが創造の原則です。完全なプラスもなく、完全なマイナスもなければ、これもなくなるのです。

 犠牲になりなさい、投入しなさい、奉仕しなさい

 ついて言ってください。私は、(「私は」)。父と息子が必要だ。(「父と息子が必要だ」)。私は男性と女性、夫婦が必要だ。(「私は男性と女性、夫婦が必要だ」)。私は兄弟が必要だ。(「私は兄弟が必要だ」)。すべて同じ価値の内容をもった食口が必要だ。(「すべて同じ価値の内容をもった食口が必要だ」)。家庭です。分かりますか?

 ここで一つでも欠けてはいけません。父がいなければ宇宙の公式に不合格なので、いなければならず、息子がいなければならないのであり、夫がいなければならないのであり、妻がいなければならないのであり、兄弟がいなければなりません。

 では、皆さんが妻(や夫)を迎えるとすれば、どのような家から迎えますか?。このように、上下の父子関係、夫婦関係が円満な家の息子・娘を迎えますか? (「円満な家の息子・娘です」)。それは一代だけですか、永遠にですか? (「永遠にです」)。皆、「永遠に」と答えるでしょう。

 それはどういうことかというと、宇宙全体が家庭を中心として、このようになっているということです。家庭の父子関係は父親と息子であり、国の父子関係は国王と国民であり、世界的父子関係は神様と聖子であり、宇宙は神様と天子だというのです。

 国のすべての男性・女性の家庭は横的であり、すべての家の息子・娘は兄弟なのです。それがモデルになっています。大きいだけで、内容は同じです。世界がいくら広くても、おじいさん・おばあさん、父親・母親、自分たち夫婦、息子・娘、この四段階なのです。個人でも、国でも同じだというのです。

 それでは、あなたたちは家庭に入って暮らしますか、国に入って暮らしますか? (「国です」)。世界、天地、天宙に入って暮らすのですか? (「はい」)。なぜですか?。このすべてのものが私のものになるからです。家庭で国を愛し、家庭を愛する以上に国を愛するので、その国が私の懐に入ってくるのです。国よりも世界をもっと愛するので、世界が私の懐に入ってくるのであり、天地よりももっと愛するので、神様が私の懐に入ってくるのです。 アベルという存在が犠牲にならなければなりません。

 皆さんの心と体を見れば、体がカインです。先に出てきたのです。良心は後から出てきたので、後から出てきた良心が、体を保護しなければならない責任があるのです。このように考えるとき、皆さんどうですか?。心が強いですか、体が強いですか? (「体が強いです」)。それは堕落したからです。

 それでは、「自分は男性になろう」と願って生まれた人がいますか? (「いません」)。「願って生まれてきた」という人は、手を挙げてください。(「いません」)。自分が願って生まれたのではないのに生まれ、願うことがありますか、ありませんか?。生まれたのは、自分のために生まれたのではありません。相対を要求するのです。それを知らなければなりません。為に生きるために生まれたのではない人は、相対理想の世界とは関係がありません。永遠に、男性は女性のために生まれたのです。女性はどうですか? (「男性のためです」)。

 それでは、一日、二日、自分の思い通りに生きたら、関係世界に引っかかりますか、引っかかりませんか? (「引っかかります」)。ですから、家庭に入っていって、一時間も自分のために生きることなく、家庭全体のために生きる人がナンバーワンの孝子です。それを知らなければなりません。また、忠臣とは何ですか?。国全体のために生き、その国の民族だけでなく、水、空気、木までもすべて、国王以上に愛する人です。木も水も保護し、主人のように愛するのです。

 米国に、そのような愛国者がいますか?。この者たち、なぜ、答えないのですか?。恥ずかしさを感じる前に、先に答える人は正直なので、今後希望的であり、教育して使い道がありますが、座り込んで話さない人は、教育も受けることができません。教育を受けることができないので、地獄に行くのです。それゆえ、米国が滅びるのです。「神のもとの一つの国」ではありません。「神のもとの一つの世界」、「神のもとの一つの宇宙」。そのようなコンセプト(概念)がないのです。

 権力を握ったので、世界を思い通りにしようとしていますが、それはできません。政治の力、経済の力、科学技術の力をもってしてもできないのです。レバレンド・ムーンが警告します。「神のもとの一つの国」よりも「神のもとの一つの世界」です。世界を守ることのできる国が必要です。この宇宙を保護するものが必要なのです。なぜですか?。神様が宇宙を支配しているからです。宇宙を支配する方の相対になろうとするので、不可避的に、その位置まで上がっていかなければ、神様の相対に立つことはできません。永遠な存在と相対基準を結べないので、不幸なのです。そこには、平和、幸福、何もあり得ない、という結論が出てくるのです。理論的なことです。

 レバレンド・ムーンは悪い人ですか、善い人ですか? (「善い人です」)。神様は善い方ですか、悪い方ですか? (「善い方です」)。どうして分かるのですか?。神様を見ましたか?。見ることはできませんが、レバレンド・ムーンが展開した論理の内容を見れば、宇宙がすべて喜ぶことのできる王のような位置に立っているので、「善い方、善い神様」という言葉は自動的な結論なのです。(「アーメン」)。

 皆さん、善い人になりたいでしょう。自分のために生きる人は悪い人になります。それは間違いなく知っていることでしょう。(「はい」)。それゆえ、レバレンド・ムーンがはっきりと教えてあげるのです。八人の家族が暮らしていれば、八人の家族のために犠牲になりなさい、投入しなさい、奉仕しなさい、というのです。そのようにすれば、滅びますか、発展しますか? (「発展します」)。何が発展するのですか?。犠牲になって助けようと、すべてをはたいてなくし、裸で奉仕するのに、何が発展するのですか? (「発展します」)。そのような話がどこにありますか?。

 なぜですか?。残るものは一つもありません。滅びるはずなのに、発展するというのですか?。なぜ、そのように言うのですか?。ただ一つの結論です。中心存在になるということです。何の中心ですか?。愛の中心です。

 それゆえ、家庭で犠牲になれば、家庭の主人の位置が相続できるのです。国においてそれ以上にすれば国の相続者になり、世界において聖人の道理以上にすれば世界の相続者になり、神様の息子・娘、イエス様の聖子の道理以上にすれば神様までも相続できるのです。

 「そのような話はやめろ。レバレンド・ムーンは間違っている。異端だ。異端だ。キリスト教が天下を占領し、レバレンド・ムーンは滅んで、すべてなくなるのだ。見ていろ」と言いながら、四十年反対して、だれが滅びましたか? (「お父様が勝ちました」)。なぜですか? 中心なのです。中心になり、下りていくのではなく、上がっていくのです。

 この世界をすべて犠牲にしたとしても、神様のために生きれば、神様も私の言うことを聞かなければなりません。先生が縦的に行けば、神様がついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか?。大きい岩穴に逆さまに打ち込まれていたら、神様が来て、お尻を引っ張り出してくれるでしょうか、くれないでしょうか? (「引っ張り出してくれます」)。本当にそうですか? (「はい」)。

 (英)信じるというのではなく、理解できましたか?。信じるということは概念であって、理解するというのが本物です。さあ、信じますか、分かりましたか? (「分かりました」。)分かったということは、実践するということです。実践、実践、実践です。信じても実践できません。概念だからです。(英)

 すべて分かったので、「神様、私を助けてください」と言わなければならないでしょうか、「分かりましたので、助けてくれなくてもよいです。私は仕事をすればよいのです」と言わなければならないでしょうか? (英)なぜ、もっと教えてもらおうとしたり、恵みを受けようとするのですか?(英)

 模範的な姿を見せる

 四億双祝福は問題ありますか、ありませんか? (「問題ありません」)。あなたの町内に、未婚の女性、男性がいれば、強制的に連れて来ますか、それとも「来るな」と言っても、ついて来るようにしますか?。問題はそこにあるのです。模範的な姿を見せなければなりません。(「はい」)。あなたたちには、そのような歴史がありますか?。何か、見せてあげるものがなければいけません。

 家で妻と暮らしていても神様が行ったり来たりするような、「世界の王も来なさい」と言うことのできるカップルになるように、私が教えてあげていますが、そのように一度なってみますか? (「はい」)。男性と女性が生まれたのは、そのようなことをするために生まれたのです。あなたたちのように、結婚して何も理解せず暮らし、ただなるがままに、天も知らず、人類も知らず、世界も知らずに死ぬのではありません。

 基本的に、人はどのように生まれたのか、根本がこうなっていて夫婦になった、ということをはっきりと教えてあげなければなりません。それを知りたいですか? (「はい」)。どこから生まれたのですか?。愛から生まれたのです。愛とはだれですか?。父親と母親ですか? 父親と母親の愛が一時間あればよいですか、永遠で宇宙的であればよいですか? (「永遠で宇宙的であればよいです」)。

 では、アダムが生まれた歴史を話します。アダムにへそがあったでしょうか、なかったでしょうか? (「ありました」)。そのことから知らなければなりません。へそがなければ、どこから生まれたのですか? (笑)アダムにはへその緒があったので、母親がいたのです。母親の腹中にいなければならないではないですか。へその緒を見ましたか? (「はい」)。アダムには、見えないコードもあり、見えるものもあり、二つともあったのです。

 では、神様はどのようにして生まれたのでしょうか?。神様も、この世の中の万事が生まれた天地の理知による存在法則に従って生まれたのであって、突然、ドッと生まれたのではありません。神様にもへそがあるでしょうか? (笑)(「ありません」)。それゆえ、これが問題なのです。どのようになっているのか、というのです。見えないへそと見えるへそ、その二つをもっているのです。それならよいのです。見えるものを実際に人間の前に差し出したので、アダム・エバには間違いなく、見えるへそがあるのです。

 それでは、神様が生まれる時、初めから、天地を創造した神様として生まれたでしょうか、赤ん坊のように生まれたでしょうか? (「アダムですか?」)。神様のことです。神様が生まれる時、宇宙を一度に創造することのできる存在として生まれたでしょうか、赤ん坊のように生まれたのでしょうか?。神様が生まれるのに、何億万年かかったでしょうか?。神様が先にいたでしょうか、愛が先にあったでしょうか? (「愛です」)。(「神様です」)。(笑)愛が先でしょうか、神様が先でしょうか? (「愛です」)。

 さあ、目が二つになったのは、目のために二つになったのでしょうか、愛のために二つになったのでしょうか? (「愛のためです」)。神様も心と体の二性性相としていらっしゃるのなら、その二性性相が一つになることのできる位置に立つとすれば、何が先ですか?。愛が先でしょうか、二性性相が先でしょうか? (「愛です」)。そうでしょう。愛なのです。

 神様の目には、愛が見えるでしょうか、見えないでしょうか?。あなたたちは、神様が見えますか?。生命が見えますか、愛が見えますか?。見えないでしょう。深い所に入って行けば、どんどん真っ暗になっていきますか、明るくなっていきますか? (「真っ暗になります」)。真っ暗になるので、見ることができますか、できませんか? (「できません」)。

 神様も、深い所に愛が見えたら、そこにしがみついて離れません。神様は出てきません。見えない底に愛があれば、その底で愛を見て喜ぶのであって、何をしにここに出てくるでしょうか?。神様も深い愛の根源を知らない、という論理が展開するのです。力がどれほどあるでしょうか?。暗い世界は、無限と通じています。明るい世界も無限と通じていますが、暗い世界も無限と通じるのです。

 さあ、暗いものが先でしょうか、明るいものが先でしょうか? (「暗いものです」)。なぜですか?。熱が出るためには、二つがこすれなければなりません。運動をしなければなりません。熱が出れば、光が出ますか、出ませんか? (「出ます」)。ですから、神様自体、二つが授け受けして喜び、この空間に水平をなしてとどまることのできる位置にいたということなのです。

 神様も、暗いものを好んだでしょうか、嫌ったでしょうか? (「好みました」)。何が、そこに光を照らしたでしょうか?。愛の力です。電気もプラス・マイナスが引き合う力があり、その愛の力を発揮するので光が出るのです。この次に原理講義をする時に、ひっきりなしに質問されて分からなくて困ったら、私に聞いてみてください。

 町内の若い者たち、「私の言うことを聞けば王になり、天地をすべて動かすことができる」という内容を教えてあげれば、お尻にしがみついて、離れずに走ってくるでしょう。コンセプトであれ現実であれ、私という存在は、父親と母親の腹中で、へその緒をもって子宮に宿されたのは事実です。

 では、父親と母親が「今度は娘を生む」、あるいは「息子を生む」と決定をしたでしょうか? (「していません」)。それはだれが決定するのですか? (「神様です」)。神様は見えもしないのに、どうして分かるのですか?。それは分からなくても、原因があって結果が出たのは事実です。その原因が神様であるならば、神様が願ってそのようになったということです。そのような論理的結論は、だれも否定することはできません。「そうだ」と言うのです。

 男性として生まれるか、女性として生まれるかという動機は、父親、母親でなく、主人の資格をもつ、根本である神様であらざるを得ない、という結論が出てくるのです。
郭錠煥 (「はい」)。立ちなさい。この人を知っている人は多いでしょう。(「はい」)。顔を回してください。美男子ですか、醜男ですか? (拍手)米国人の中では美男子にはなれません。アジアでは三番以内に入るかもしれませんが、この西洋人の中では三等にもなれず、びりから少し前かもしれません。(笑)

 それでも、米国の未婚の美女が御旨の道を知り、「米国人の美男子のところに嫁に行きますか、それとも、アジア人でびりかもしれないレバレンド・郭のところに嫁に行きますか?」と言えば、「レバレンド・郭です」と言うのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。

 「自分の息子・娘は米国で最高だ」と言っていた母親が、自分の息子が韓国人の女性と結婚したので、「レバレンド・ムーンをたたき殺したい」と言っていたのですが、最近では、韓国の嫁をもらったことを誇ろうと、町内の親戚を訪ね回っているというのです。それで、周囲では「ムーニー以上に狂った」と言っているのです。(笑)どこの国に行ってもそうです。

 今、宗教世界の人々が超宗教的に結婚しようと言えば、皆「統一教会の教会員ならばする」と言うのです。それは善い知らせですか、悪い知らせですか?。善い知らせならば、拍手しなければならないでしょう。(拍手)

 家庭の完成は宇宙全体の完成のモデル

 ミスター・郭は、母親の子宮から生まれる時に、言葉を話すことができたでしょうか?。父親と母親の生命の血がすべて連結されているのです。それで大きくなるのです。それゆえ、赤ん坊をおなかに宿したら、胎教が必要です。父親と母親が突然驚いたり、罪を犯して良心的に苦痛を受ければ、赤ん坊が苦痛を受けるのです。それは放送局の放送塔と同じです。夫婦が愛を中心として放送をすれば、電波で連結されるように、赤ん坊に伝わるのです。

 それでは、妊娠して、夫婦でけんかしなければならないでしょうか、してはならないでしょうか? (「してはなりません」)。女性の赤ん坊を宿せば、その女性の赤ん坊は男性の赤ん坊を相対的に考えて育つのです。マイナスが生じれば、プラスが生じるのです。

 腹中時代に、完全な赤ん坊として育たなければなりません。神様は胎教の王です。腹中に赤ん坊を宿している時、どれほど神聖で、どれほど貴い心をもっただろうか、それを考えなさいというのです。

 人として生まれるうえで、女性ならば「女性として腹中世界の女王として生まれる」と、そのように考えるのです。「最高の王の中の王にならなければならない」と考えるのです。男性たちが願う欲望は、そうなのです。

 なぜ、そうなのでしょうか?。男性もそのようにしたい、女性もそのようにしたいという事実は、神様がそのような愛の王の主人の位置を所有しなければならないので、「神様がそのように願ったから、そのようになった」と考えざるを得ないのです。

 腹中時代、それから生まれて母親のひざの上では赤ん坊時代、それから、二歳、三歳になれば歩き始めて兄弟時代です。自分が娘なのか、息子なのか、分かるのです。三歳になれば、男の子が男の子を好きにはなりません。女の子が男の子を好きになり、男の子が女の子を好きになるのです。

 腹中時代、赤ん坊時代、兄弟時代です。(図3を書かれる)女性は女性で大きくなり、男性は男性で大きくなります。幼稚園、小学校と大きくなっていくのです。腹中時代、赤ん坊時代、兄弟時代、ティーンエイジャー時代・約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王・女王時代です。これは何段階ですか?。八段階です。




 腹中から生まれた時、どのような願いをもって生まれたのかというと、八段階の女王として男性の王に侍ることを願い、そのために生まれたというのです。では、なぜ八段階の位置が必要なのでしょうか?。神様が人間存在の起源から完成する時まで、すべての内容を中心として主人になり得る資格の位置を必要とするので、そのようにされたのです。そして、天国に行くようになっています。神様の世界に行って、一緒に暮らすことのできる一人息子・一人娘になるのです。家族になるというのです。

 では、なぜ男性は生まれたのでしょうか?。女性のために生まれたのですが、それとともに、腹中時代の主人として、赤ん坊時代の主人として、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王の時代の主人として生まれたというのです。神様をそのような主人にするために、男性と女性が生まれたというのです。そのような事実を知らなければなりません。このような八段階の基準を経て育つというのです。縦的な基準です。一段階、一段階、このように上がっていくのです。

 皆さんは、とめどなく高くなりたいでしょう。大きい木があれば、その木は東西南北に伸びているのですが、大きい枝を巡り巡って一番高い芽の位置を通り、根に帰っていくのです。神様に帰っていくために、それは不可避だというのです。その芽は根に帰っていくのです。いくら大きくてもそうです。これを連結させて、すべてが動くのです。

 それはどういうことかというと、縦的な神様、愛の主人が、愛の家庭的王の主人、氏族的王の主人、八段階の主人、このような世界を拡大した主人の位置を決定するために、腹中から生まれた赤ん坊は、希望的な愛の相対のために育つというのです。そのことを知らなければなりません。

 皆さんの家庭がそのようにならなければなりません。いい加減に暮らすことはできません。一つのものを分けることはできません。枝一つでも思い通りに切ることはできません。米国では、縦的な八段階の道をすべて否定してしまい、離婚してしまうというのです。家庭の中心がありません。

 それゆえ、あなたたちは家庭のために自分を投入し、忘れてしまわなければなりません。その次に氏族を育てなければなりません。氏族は民族を育てなければなりません。民族は世界を育てなければなりません。世界は天地を育て、天地、神様までも、愛を育てなければならないのです。愛のために生まれたので、神様も愛を育てなければなりません。愛を大きくしなければならないのです。

 それは何かというと、真なる愛の前には、神様も絶対服従しなければならないということです。その愛を占領してこそ、地獄まで解放されるのです。神様もそのような愛に絶対服従することのできる位置に立ってこそ、この暗い世界、光の世界、内外を自分の相対世界として完成させることができるのです。そうすれば、この軸は永遠に回っていくのです。そこには地獄はなくなります。回っていくので、明るい地上天上天国になるのです。

 腹中から慕わしくて訪ねてくるのが夫です。それでは、赤ん坊時代の願いは何かというと、結婚して神様と一つになる位置です。兄弟時代の中心も結婚であり、ティーンエイジャー時代の中心も結婚なのです。家庭なのです。家庭の完成というのは、宇宙全体の完成のモデルなのです。その事実を知らなければなりません。

 もっと大きい真の愛を訪ねていく

 神様が愛を中心として被造世界をつくった時、先に何から愛したでしょうか?。微生物です。そこのプラス・マイナスイオンを愛したのです。すべてのものは、何をするために存在するのですか?。愛の因縁を結ぶためです。これを知らなければなりません。愛の関係でつくられたので、より大きい愛の世界に行こうとするのです。それゆえ、鉱物世界は、もう少し次元の高い植物に吸収されるのです。植物世界は、鉱物世界のプラス・マイナスを吸収するのです。

 それは、存在世界の愛の理想を形成するために、為に生きて、投入し、犠牲になる法なのです。それを知らなければなりません。そして、もっと大きい真の愛を訪ねていくのです。自分は小さいのですが、もっと大きい真の愛の中心の目的地に行こうとするのです。

 植物は動物を訪ねていきます。植物にも二重目的があります。昆虫に食べられるのはつらいけれども、自分が生まれてきたのは、人間の世界、人間の生命圏まで行くためなのです。希望が大きいのです。大きい目的のために進んでいくので、希望があるのです。

 自分は、ほんの一、二年生きて死ぬかもしれないが、大きい希望圏内にいれば、十年、百年生きることができ、もっと大きいところに行くので、現在の苦痛は消化して越えていくというのです。喜びだと思わなければならないのです。

 人間が王ですか?。王の王はだれですか?。神様です。神様は、どのような王ですか?。愛の大王陛下です。神様の細胞に入っていけば、植物細胞、動物細胞、昆虫細胞、人間細胞、すべてに接することができます。最高の位置です。博物館の展示品と同じように、最高の展示品があるのです。鉱物の細胞、植物の細胞が誇るのです。

 皆さん、女性たちは鶏を捕まえて食べたことがありますか?。血を流さずに、殺さずに、食べることができますか?。そのようにする時はかわいそうです。殺す前に「ああ、どれほどおいしいか?」と、おいしいことが先立ちますか、かわいそうだということが先立ちますか?。どちらですか?。どちらでなければなりませんか?

 愛しなさいというのです。申し訳ないのです。「おまえが私の息子の細胞になり、私の重要な子宮の細胞になる。それを吸収するためにほふるのだ。申し訳ない」と考えるのです。死んで私が得ることになるので、あいさつしてありがたく思わなければなりません。

 「神様を愛する息子となり、王子・王女となり、天地の大主宰の愛の体の、そのような細胞にしてあげよう」と言う時、「嫌だ」と言うでしょうか、「早くしてください」と言うでしょうか?。心で「ああ、頭が痛い」と叫ぶ前に、「ああ、よくなれ」と思って殺せば、神様の愛が、その死の位置までいくのです。

 先生はパンタナールに行って、そのような論理で釣りをします。明け方出ていって、夜暗くなって帰ってくるのです。また、アラスカでは、二時、三時まで寝ずに釣りをするのです。では、捕まえて何をするのですか?。私が捕まえた魚は、自分では食べません。最初に捕まえた魚は、そのまま祭物として捧げます。今まで、神様の前に、旧約時代、新約時代には、すべて半分に裂いて捧げましたが、先生はそのまま丸ごと捧げるのです。

 そして、「私があなたたち(お父様が行った地域)にとって、最も貴いパク、ドラド、ピンタードを捕まえるのは、神様の息子・娘である祝福を受けた家庭、天の国の皇族になり得る息子・娘たちが、ここにあなたたちを訪ねてきたら、あなたたちが食べさせてあげるべき責任があるではないか?。それでは、だれが捕まえてあげたらよいか?。王の中の王になることのできる真の父母が捕まえてあげれば、善いのか、悪いのか?」と言えば、魚の世界で「はい」と言うのです。(拍手)

 のらりくらりとはしません。私がすべて精誠を尽くすのです。あなたたちよりも私が精誠を尽くし、食べる人はもっと精誠を尽くすので、天下のすべてが私の側になるのです。そのような立場で捕まえて、あなたたち(魚)を殺したとしても、あなたたちを愛したということが残って残って残る、そのような基盤を通して、天の国の王子が生まれることができ、王子・王女の細胞になることができるというのです。どれほど幸福でしょうか?ですから、釣りをすることは罪ですか、それとも、神様の愛を地に連結することですか?。

 先生は堕落した世界の上に上がっていき、釣りをするのです。これが真の父母です。かみつきたければかみつけというのです。きょう捕まえた小さい魚が、神様が愛する人々の肉となり、血となり、細胞となって、栄光を返すことのできる立場になるならば、動物世界で、これ以上幸福なことがどこにあるのかというのです。

 あなたたちも、「神様の息子・娘になる」と本当に分かったならば、死の道を感謝しますか、恨みますか?。愛のゆえに生まれたので、愛のために、もっと高い価値のために投入することが、神様のために生きることであり、神様の前に近づいていく道なのです。それゆえ、避けることのできない道であるというのです。

 神様が愛する代わりに愛する

 なぜ、先生がパンタナールに行って四年間、このようなことをしたのでしょうか。多くのさまざまな動物を育てているのです。魚だけではありません。そこには、植物も動物も、すべてのものが、神様がつくった原初的なものが、そのまま残っています。水草を見ても、初めて見るものがあり、動物、昆虫を見てもそうです。昆虫がどれほど多いか分かりません。

 そのようなすべてのものを、神様が人類のために、全体理想の愛を完成させるための一部分としてつくっておいたのです。それをチェックしてみて、私が愛さなければならないと思うのです。

 地中に隠れている小さい動物まで、神様の愛のゆえにつくられたので、主人の立場で考えだけでもしてあげなければならず、「実際に神様が愛する代わりに愛してあげなければならない」という心をもって見るのです。自然は掲示板なのです。すべては、神様が霊的に教えてくれる教材です。博物館なのです。愛の博物館です。

 それゆえ、百年かけてもできず、何百年かけてもできません。新しいものを見たら、神様が千個に対して愛する、そういう心をもって接してあげれば、そこに復活が起きるのです。アダム・エバの後孫たちが愛することができなかったことを、代表として愛する伝統を立てなければなりません。

 今回、「七・八節」「九・九節」「三・十節」を通して、今からはすべてのことをやめ、釣りもやめて、愛することだけをするべき時になったので、釣りをしにいっても、魚がかみつきません。不思議なくらいです。魚を愛する時が過ぎ、今からは動物世界、植物世界を訪ねていかなければなりません。陸地に上陸です。ですから今からは、世界のどこか一か所に制限されるのではなく、世界の舞台でハンティングをして歩かなければならないのです。

 すべてを経たものが愛の主人になるのです。今からは、経ていない植物、動物世界が限界圏内にあるので、それを訪ねていかなければなりません。そのようにしようとするので、「一日に十か国、一日に二十か国、五十か国行けば、どれほどよいか」と思うのです。

 百八十五か国の国の境界を越えて、地球星に境界線がなく、先生が飛んでいって狩りをすることができるように、その国家全体が動員され「レバレンド・ムーンが来て、国家の一番の公園

地帯で狩りをしてください」と言えば、その国が福を受けるのです。招待する国は福を受けるというのです。(拍手)

 百八十五か国に行って、ハンティングしたすべての万物は、展示品として写真を撮ってくるのです。その国に行って狩りをして撮った写真に、「いつ、どこで捕まえた」という記録を残せば、その地域は有名な名所になります。そこは、聖地になるというのです。レバレンド・ムーンの名ではありません。真の父母の名です。真の父母は永遠に一人のお方です。絶対、唯一、不変、永遠に一人のお方なのです。ハンティングの聖地になり、世界的な名勝地になるのです。

 先生は八十歳になった老人でも、このように健康でよく歩き回るのですが、歩いていきますか、飛んでいきますか? (拍手)(「飛んでいきます」)。何に乗って行かなければなりませんか?。雲に乗って行くのでしょう。

 再臨主は、「雲に乗って来る」と言いましたか? (「雲に乗ってくると言いました」)。その名は何ですか?。飛行機です。(笑)(拍手)そうなのです。二千年前に飛行機のことが分かりましたか? 分かりませんでした。ですから、うまく表現したでしょう。(「アーメン」)(拍手)

 米国を出発したとすると、その進む航路のすべての人々が、「どこを何時に通り過ぎる」と、目を見開いて待つでしょうか、待たないでしょうか?。考えてみてください。真の父母が来るのです。皆が見て、大騒ぎするのです。その時、寝ていた動物、居眠りしていた植物、すべてがゆらゆらと踊りを踊りながら、一緒に拍手をするでしょうか、しないでしょうか? (「拍手」)。すべてのものを愛した大王陛下が出動するので、すべての存在がそこに同参したいと思うのが、自然の理知なのです。

 もう、レバレンド・ムーンの性格を知りましたね。海に行って釣りをする時、雷が鳴ろうと台風が吹こうと、気にかけずに進んでいくのです。では、だれが海を一番愛し、台風をだれが一番愛し、稲光をだれが一番愛しましたか?。レバレンド・ムーンだというのです。

 神様の前では永遠に平準、平和、平等

 嘆息しているすべての万物を、境界線なく思い通りに解放圏に立てるために、開天節が必要なのです。すべてが上がっていくのです。それで、聖人と殺人魔を一緒に解放し、地獄の門とと天国の門をすべて開いておいたのです。それゆえ、どこのだれであっても、優れた者もなく、劣っている者もなく、共に同等な愛の権威に接することのできる、地上天上天国に属することができるのです。

 真の父母の夫婦であれ、私の夫婦であれ、同じなのです。蕩減が必要ないというのです。罪を犯せば、直ちに処分する時が来たということです。それを知らなければなりません。自分の一族が処断するのです。

 一次、二次、三次のアダム時代は、蕩減が必要であり、解放が必要でした。しかし、解放圏世界での第四次アダムは、祝福圏内に入っているので、神様が提示した原理的な型についていけば、永遠解放圏内に入って行き、万世が祝福を受ける祝福の主人になるのです。この時まで十一年かかりました。祝福の世界化時代は九二年です。祝福世界化です。上がっていく世界化時代です。九五年には三十六万双、長成を越え、解放圏に移っていくのです。「七・八節」は二〇〇〇年に第四回を迎えます。

 その次に「九・九節」です。それから「三・十節」です。九月十日です。九月十日、十時十分です。蘇生、長成、完成です。これは旧約時代、新約時代、成約時代です。これに一を加えれば二〇〇〇になります。一九九九から二〇〇〇になるのです。これを二回すれば三〇〇〇になり、三回すれば四〇〇〇です。それで、摂理歴史の四〇〇〇年歴史をすべて蕩減するのです。それゆえ、平等化です。そして、「九・九節」「三・十節」で、すべて終わりました。

 先進国、強大国が一つになって弱小民族を打つ日には、天罰を受けます。思い通りにはできません。国連が新しい形態を備えて、世界に平等な国家権利を主張することのできる時代に越えていくのです。

 本来、キリスト教を中心として旧教と新教、カインとアベルが一つになっていたならば、先生と一つになっていたならば、その時から七年路程、一九五一年に地上天上天国を完成していたのですが、キリスト教と天主教が反対することによって、全世界が反対したのです。

 モーセは四十年間家庭を率い、民族を復帰し故郷を復帰するために帰っていく道に四十年かけましたが、先生は家庭を中心として地球星統一と世界平和の天国基地をつくるために四十年間巡回し、完全に、個人的国境、家庭的国境、氏族的国境、民族的国境をすべて撤廃させたのです。

 結婚して、真の愛で崩してしまうのです。怨讐の国同士、国境を超越して結婚しなければなりません。怨讐同士、結婚し一つになって、自分の国よりも幸福に暮らすことのできる解放的家庭をなすことによって、そこから地上天上天国が連結されるのです。アーメン これを知らなければなりません。

 その時、そのようにしていたなら、共産党は出てきません。共産党はなくなっていたのです。先生が家庭を率いて四十年間、どれほど迫害されましたか? 「レバレンド・ムーンは、妻泥棒、夫泥棒、兄泥棒、姉泥棒、弟妹泥棒、家庭泥棒、国を掘り返した泥棒だ」と、皆そのように言ったのです。サタン世界はそのように言いましたが、神様の前にはすべてのものを復帰したのです。それを知らなければなりません。このような時に拍手しなければならないでしょう。(拍手)

 「優秀だ。大学を出た」と誇るなというのです。大学を出てきた人が心配です。リベラルな者たちが出てきて労働組合を中心として、優秀な人の胸ぐらをつかんで、皆追い出すのです。私たちが必要なのは、真の父母の愛であり、真の先生であり、真の主人なのです。「この三つ以上は必要ない」と思わなければなりません。それはだれのことですか?。神様です。その前には、永遠に平準、平和であり、平等なのです。

 神様を乞食にし、滅ぼし、数千万年の地獄をつくった

 エデンの園でアダム・エバが堕落する時の蛇とは、だれのことですか?。蛇は天使長だと言うのですが、そうではありません。蛇は何かというと、男性の生殖器だという結論を下すのです。それから、アダム・エバに「善悪の実を取って食べるな」と言いました。蛇が最も好むものが、善悪の実です。善悪の実は女性のそれだというのです。蛇が最も好むものは何ですか? 女性の生殖器です。分かりますか? (「はい」)。善悪を知る実です。女性は、善い男性、王に対すれば、王の息子・娘を生み、マフィアと一つになれば、マフィアの息子・娘を生むのです。そのことをいうのです。それを知らなければなりません。

 女性が最も喜ぶことは何ですか?。顔がきれいだと、キスすることを喜ぶのですか? しかし、手はどこに行くのですか?。なぜ、笑うのですか?。男性が喜ぶものは何ですか?。手がどこに行くのですか?。その手の後に、何がついて行くのですか?。蛇なのです。(笑)それから善悪を知る実です。女性が喜ぶことは何ですか?。男性が喜ぶことは何ですか? (「生殖器です」)。そうですか? (「はい」)。蛇をぶら下げて歩いているのです。

 女性が男性をたくさん誘惑するでしょうか、男性が女性をたくさん誘惑するでしょうか? 蛇なのです。男性が喜ぶことは何ですか?。凹です。そうですか? (「はい」)。蛇をもっていますか、もっていませんか?。それはだれでももっているのです。それをもっていて、自分の妻よりもよい女性がいたら、それが動きますか、動きませんか? (笑)蛇の頭が動くのです。分かりますか?。女性たちは、男性のそれは蛇だということを知らなければなりません。聖書のこのことをはっきりと分かっていたら、米国はこのようにはなっていなかったのです。

 (英)悪の蛇による一度の過ちが、永遠の滅亡をもたらしてしまったのです。血統が絶たれたのです。(英)


 一度愛して、神様までも乞食にし、滅ぼし、数千万年地獄をつくってきたのではないですか? どれほど恐ろしいですか。蛇の何千万倍の毒をもっているのです。考えてみてください。おじいさん、おばあさんのそれが壊れれば、その家庭と一族がめちゃくちゃになるのです。国王がそうなれば、国が行ったり来たりするというのです。

 毒があるのです。毒に酔ってしまうのです。酒に酔うように、毒があるのです。慢性になれば、それを止めるのが、どれほど大変でしょうか?。男性たちは、一日にトイレに何度行きますか?。三時間に一度ずつ行くでしょう。必ず、八回は触るのです。小便をする時、そこに美人がいたら、それが立つか立たないか、チェックしてみましたか? (笑)

 女性が裸で来て「触ろう」と言えば、激しく蹴飛ばしますか、じっとしていますか? (「蹴飛ばします」)。行ってしまえ。男性たち、一度言ってみてください。(「行ってしまえ」)。気分よさそうにしているのを見ると、本当に蹴飛ばしてしまうかもしれません。(笑)

 「あの男の蛇の頭が入ってくる時、私は完全に破滅だ。女性世界を滅ぼし、天下を滅ぼす。恐ろしい武器をいい加減に開くことはできない」。「自分の夫だけが鍵をもっている」ということを、永遠に記憶しなければなりません。笑いごとではありません。深刻なのです。

 女性たちは、胸を触りキスする時、蛇の頭が来てキスすると思い、蛇の頭がタッチすると思いなさいというのです。エデンの園にあった命の木と善悪を知る木とは何ですか?。それは、男性の生殖器、女性の生殖器のことをいうのです。はっきりと知らなければなりません。

 (英)種を蒔いた結果は収穫期に現れます。堕落が種です。それによって、生殖器が破壊されました。血統が破壊されてしまったのです。その結果として、フリーセックスはすべてを滅ぼしています。(英)そこにエイズが来ました。すべて滅んでしまいました。天罰を受けたのです。分かりますね? (「はい」)。抱いてキスなどしてはいけません。
 米国人たち、踊りの場に行って、男性と女性がくっついてこすれあう時、それが立ちますか、立ちませんか?。答えてください。(「立ちます」)。立つのです。私は分かりません。それは事実です。釘をさすことよりももっと恐ろしく、爆弾よりももっと恐ろしいのです。爆発すれば、一身が滅ぶのであり、一家族が滅び、国が滅ぶのです。

 千年、万年、純潔な血統を残す

 親族相姦関係、これはすべて滅亡です。分かりますか?。それは動物の世界にもありません。それを神様が審判して、地獄の火に入れるならば、火ももったいないというのです。女性たちは化粧をして、季節ごとにさまざまな色を選び、それを着て歩かなければならないでしょうか、それをしてはならないでしょうか?。最近では、真っ黒な死んだ血(マニキュア)を足にまでつけて歩いています。歯と舌の先まで何かをする時は、最後です。捕まえて食べようというのです。それは悪魔です。

 見てください。それで、私は指輪もはめていません。結婚指輪もはめていません。サタン世界は嫌いです。分かりますか?。統一教会の女性で「先生を嫌いだ」という女性は、一人もいません。そうだという女性は、手を挙げなさい。なぜ、男性が手を挙げるのですか? (笑)

 もちろん、天の愛をもってきた代表的な人ですが、先生は父親です。父親を愛するのは、母親よりも娘です。女性は先生を愛するのですが、父親として愛さずに、夫のように愛そうとするので、それが心配なのです。皆、そのように思っています。霊的に育ててあげる時は、約婚の指輪もはめてあげ、いろいろと教えてあげるのです。それは、父親として救ってあげるためであって、愛するためにそのようにするのではありません。

 男性に関するこのようなことを知っているので、天下が何と言おうと、脱線しないのです。いくら女性が裸であらゆることをしたとしても、ペッとつばを吐いて……。そのような訓練を十年間しました。

 愛する妻に出会うことのできる時間で、クライマックスになり得るその時に、零に返らなければなりません。そのような訓練までしなければならないのです。先生は、女性が脇の下を三年くすぐったとしても笑いません。そのような訓練をした人なのです。

 きょう以降、二度と(神様に)ため息をつかせてはいけません。分かりましたか (「はい」)。凸凹の話をしながら、具体的に話すべきことはすべて話したでしょう。今では、もう秘密がありません。すべて教えてあげました。復帰摂理も、すべて終えたのです。先生の一代で、すべて終えました。天地を、すべて新しくつくらなければなりません。何代もかかりません。一代で、先生の一生の内に、すべて終えなければならないのです。(拍手)

 さあ、きょうの御言を通して、余りにもはっきりと分かったでしょう。「絶対に、蛇の頭、サタンの体と、私は永遠に関係ない」という女性は、手を挙げなさい。(「はい」)。だからといって、自分の夫の生殖器は蛇ではありません。それは純粋な血統の頭なのです。(笑)神様の生殖器です。

 女性もそうです。二つの心をもってはいけません。蛇は二つの舌をもち、二つの心をもちました。蛇は襲撃するのです。世の中の男性たちは、皆泥棒だという言葉は正しいのです。米国のミスター・梁 (「はい」)。美人がいれば、我知らずに二つの舌になりませんか?。そのようになり得る可能性が、何パーセントですか? (「可能性があります」)。(笑)正直なので、正義に入っていくことができます。(笑)

 女性たちも同じです。美男子が横にいれば、それが踊りを踊ろうとするのです。どうですか?。門に「開け」と言いますか、「開くな」と言いますか?。女性たち、話してみてください。(「開きません」)。

 いくら環境がそうだとしても、きょう以降、千年、万年たっても私たちの血統は、後孫に、万代、純潔な血統として残すのです。 アーアーアーメン (「アーメン」)。このように「アーメン」と言ったので、開天節の祝賀において万歳だというのです。





一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵

すなわち神様の知恵

世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。

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Last updated  2023.09.29 19:39:20
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