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カテゴリ:文鮮明先生み言葉選集(講演文)
絶対信仰・絶対愛・絶対服従の核 一九九九年十月八日、アメリカのイーストガーデンで真のご子女様と二十余名の指導者が参加する中、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従の核」についての宣言がなされた。 きょうは何日ですか? 十月八日です。今、先生が皆さんと記憶しておかなければならないことが一つあります。それは、なぜ私が南米を重視するかということです。それは時間さえあれば南米に心をはせて、そこにすべてを結び付けようとする心は、すべてを最終的に清算できる神様の心であるということを知っているからです。ジャルジンに「祝福家庭世界平和統一教育本部」があります、教育本部。天国に入っていける最後の手続きを踏める足場となるので、そこにすべての精誠を尽くさなければなりません。 そこを中心にいかに四か国を連結するかといえば、青少年を中心にそのような運動をして、全般的に教育を施すのです。ですから、精誠の限りを尽くさなければならないことを皆さんは知らなければなりません。 先生は時間さえあれば、南米に向かいますが、それは南米が好きで行くのではありません。み旨のすべての決定を……完全にきれいにするには、避けようのないことなので、南米のすべてに関心を抱いているのです。今、ここもそうではありませんか? ワシントンでは二日後に、「超宗派超国家連合」、「超大学連盟」に属する世界の最高位の人たちを招いて教育する、訓読会セミナーがあります。それを二日後に控えているというのに、なぜ南米に行かなければならないのでしょうか? 摂理的なみ旨から見て、今、世界を収拾し得る世界最高の首脳を集めて整理作業をする、この時に及んで、なぜ南米に行くのでしょうか? すべては、南米に行って根に栄養を与えなければならないからです。根を通じて芽が栄養を受け、枝が栄養を受け、幹が栄養を受けます。生きとし生けるものは、根を通して芽と枝と幹が連結するのです。 今、我々が韓国から始めて根を下ろしたのが、現在ジャルジンと南米四か国なので、その四か国を連結して帰ってこそ韓国が、すべて芽が育つのです。芽が、中心の根から、中心の幹から、中心の芽と一つになって、これが授受してこそ、すべて四肢四方に広がるのです。そうしてこそ枝が、枝の芽がそれに応じて育つのです。そのような因縁があるので、南米を重視するのです。 お母様は、時間があればこのイーストガーデンで息子や娘と一緒にいることを望みます。それは当然です。そのように願わない父母がどこにいるでしょうか? しかし、その家庭というのが、天の国における最高の勝利基盤を中心として、根や幹、枝、芽まで、すべての反対要素を浄化し……その日になれば、その日全体が、生命の根から、幹、枝、芽の全体まで、生命の環境的な要件にならなければならないのです。それがなされなければ、ある分野において治療を受けるべき立場が残るので、サタン家庭を中心とした、背後にある家庭よりも、それをまず中心としなければならないのが、先生の行く道なのです。 統一教会の信仰が困難なわけではありません。統一教会の蕩減の道というものは、みな解消されています。蕩減の道を解消させたその中心が真の父母と神様の愛なので、いかにしてその真の父母と神様の愛に一体となるか? 遊びごとではありません。絶対信仰です、絶対信仰。サタンがこれまで信仰できず、アダムとエバが父の前に絶対信仰できませんでした。私たち息子、娘も今後は同様です。父母に対して絶対信仰を持たなければなりません。また、絶対信仰できないで堕落した世界を収拾するには、神様と真の父母になれる基準を絶対信仰することによって、すべてを除去できるのです。 ですから、「ジャルジン宣言」の第一条が何ですか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従を宣布したのです。中心がそこで連結されたことによって、その場を、夜も昼もどんなときも先生が忘れてはならないのです。そのような信仰をもって祈祷し、そのような内容をもって信じて活動できる場においては、常にサタン世界が譲歩しなければなりません。 絶対信仰はどのような道を行くのでしょうか? 父と子が真の愛を中心として一つになった、父子関係の因縁を中心とした勝利の覇権の主体が神様であり、勝利の覇権の主体的な対象が真の父母なので、その信仰の基準を中心として一つになったその基準は、サタン世界がいかに大きくて、いかに歴史的な災いや蕩減を立てても、そのすき間の世界、一つになった世界のすき間には入り込めません。 存在の権限が、いかなる信仰、いかなるサタン世界をもってしても、そこにはまったく入り込んでいける場がないというのです。ですから、絶対信仰をもって神様が創造されたのです。その創造されたあらゆる被造物の中には、信仰を中心としたすき間に入り込むことができず、絶対愛を完成したので、絶対愛の間に、いかなる存在も入り込むことができず、絶対服従したので、たとえ神様がおられないとしても、絶対服従し得るアダムの心……、その主人の立場にはいかなる者も立てないのです。サタンにいかなる権勢があっても、絶対服従するその立場を治め得る能力はないのです。これが三大要件です。 きょうは十月の最後の日なので、きれいに整理してください。真の父母を信じるのは大変です。神様を信じるのは大変です。しかし、自らにおいて絶対信仰、絶対愛、絶対服従できる立場に立てば、それがイエス様の行く道であり、イエス様が守られる絶対信仰であり、イエス様が愛した絶対愛であり、イエス様が生きていく絶対服従の道だったという事実を知らなければなりません。同じように先生においては、神様とイエス様の絶対信仰の道をそのまま伝授して歩んでいくのです。 その愛の道、その服従の道を行く間、サタンは永遠に陰の立場に入れません。陰の立場に入れないというのは、つまり、二十四時間のうち正午を中心として、日光によって陰がなくなるのです。それが夕方になれば生じ、朝になれば生じても、十二時にはなくなるように、その正午の立場に入っていけるのです。 絶対信仰は、昼で言えば陰がないことを意味し、絶対愛も、サタン世界には愛の種類が多いですが、陰りのない愛を意味するのです。絶対順応とか何とか、法によってすべて従っていくとしても、絶対服従の立場に入っていかなければなりません。神様とイエス様、真の父母とイエス様と神様が連結されたその場には、絶対信仰、絶対愛、絶対服従だけが定着して、支配できるのであり、それ以外のものはなくなってしまうのです。 絶対信仰には、個人的な信仰、家庭的な信仰、氏族的な信仰、民族的な信仰、国家的な信仰などがすべて入っており、絶対愛には、個人的な愛、家庭的な愛、氏族的な愛などがすべて入っているのです。服従もそうです。孝子の道理は、父母の前に絶対服従しなければならず、忠臣の道理は、君主の前に服従しなければならないのです。このすべてが天理となっています。ですから、ジャルジンに行って、先生が立てたのは絶対信仰です。誰を中心として? 神様を中心として絶対信仰するのです。アダムはできませんでした。サタンもできませんでした。イエス様が絶対信仰したので、アダムはイエス様の前に服従して、愛さなければならないという論理が出てくるのです。 その原則的な基盤が、私たち統一教会の真の父母と神様の間に立てられたのです。こうした関係に連結された一体理想を立てた立場に立っているので、地上の平面的な場で何よりも貴く、世界をあげても換えられないのです。自分たちが信じる王とか何、どこかの国の大統領になっても、サタン世界の何物とも換えることができません。サタン世界の何物も信仰の対象になり得ないということです。父や母、妻、金、知識なども、すべて否定するのです。 それでは、絶対信仰の願うのは何かというと、絶対愛の道を探していくことです。絶対愛のためにやれというのです、絶対愛のために。アダムとエバが神様を絶対信仰できず、絶対愛を成就できなかったのです。ですから、こうした失われたすべてのものを探して埋め、未完成の環境圏内にサタンが寓居するすべての寓居地を、完全に絶対信仰の上で絶対愛が連結されれば、すべて取り払ってしまうのです。 その愛の前では、絶対的な夫は絶対的な妻に服従し、絶対的な婦人は夫の前に絶対服従して、その夫婦は神様、お父様の本然的な愛の前に絶対服従しなければならないのです。これは愛を中心としたみ言です。これ以上、サタンが存在し得ないということです。 それでは皆さんがそうですか? 真の父母が「目をくりぬけ!」と命ずればどうしますか? 自分自身をすべて否定しなければなりません。否定しないことには、堕落性本姓を解消できないということを知らなければなりません。絶対否定しなければならないのです。「目をくりぬけ」と言えば、どうしなければなりませんか? 「わあっ、痛くてできません」。そうではありません。「鼻を切れ!」問題ではありません。「口を縫ってしまえ!」、「耳をふさげ!」、「我が身を犠牲にせよ!」、それが問題ではないのです。 一番問題が「生殖器を焼いてしまえ!」ということです。それが永遠にその一族が血を、血の痕跡をなくす立場ならばどうしますか? 目をくりぬきますか、生殖器を焼きますか? こうなるのです。鼻を切りますか、生殖器を焼きますか? 口を縫いつけますか、生殖器を焼きますか? 耳をふさぎますか、生殖器を焼きますか? 自分の命を犠牲にしますか、生殖器を焼きますか? 生殖器を焼いてはいけません。神様が創造された主流思想がそこに連結されており、父母がその愛の歴史を通じて、家庭と世界を創造しようとする立場にあるので、生殖器を焼くことはできないのです。 「生殖器を焼け」というのはどうしてかというと、堕落したからです。堕落したので、そこまでも服従しなければならないのです。そのような基準を抱く場において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従という論理を掲げたということを知らなければなりません。そのような信仰を持つようになれば、サタンが永滅します。個人的なサタン、反対して迫害して蕩減させたすべて、神様の心情に釘を刺したすべてが、一度にみな逃げていくのです。 そこに誰か聖人の訓示が必要なく、聖人の道理の行跡が必要ないというのです。国家の忠臣、天宙の聖子の道理を教えてあげましたが、その信仰基準に入っていけば、すべてのものが完成するのです。個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成、世界完成、天宙完成、神様の愛の理想がすべて完成できるという、そのような基盤が、創造の出発から始まったのです。神様の絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理によって創造したのです。神様も愛の前には絶対服従されるのです。 そのような原則に一致するためのものが、私たちの課業の終着点なので、ジャルジンに行ってこのような宣布をしたわけです。サタンであれ、誰であれ、天下の誰であっても、ここに入り込むことができないのです。 このような観点から見て、きょう、ここで全体・全般・全能の役事をするのです。全体を代表した全般、すべてが統一されているのです。全権、すべてのサタンの権限を中心として、不可能のない全般全能の時代を越えて立ったので、今や私たちの願いが何かというと、神様の愛の相対になったのです。また、真の父母の愛の相対となったので、「お父様! 最後の決断を下してください」と祈らなければならない祈祷時代に入っていくのです。 ですから、私に願いがあれば、願うことのできる時代、「私がこうしたことをしていますので、その願いを成就させてください!」、「ここで全体の平準化水平世界を築いてください!」と祈れるのです。神様の息子として、神様との父子関係の因縁を中心に、家庭を中心とした基盤に立っているので、そこにおいてすべてが成就するのです。今や、全体、全般、全権、全能の、信じて歩む絶対信仰、絶対愛、絶対服従するこの道理に、愛の主体圏の前に相対圏として一つになった基準、前後の核の愛の中心に、花のような立場に立っているので、そこに否定的な糞の匂いが広がったならば、「その臭いが花の香りを消さないように防いでください!」と祈祷する時が来たのです。台風が吹いてきて、その香りの園がすべて損なわれそうになったときには、「防いでください!」と祈る時が来たのです。 そのために絶対何ですか? 絶対信仰です。自分の五官全体は無視しても、血筋だけは否定できません。それを知らなければなりません。五官は燃やしてしまっても、生殖器は燃やせないのです。血筋だけが永遠なる神様の国と永世でき、永遠なる歴史と永世できる主流なので、それに反することはできないのです。 ですから、絶対信仰で守って、絶対愛の主体、もしくは対象として保護して、絶対服従することによって、愛の道を服従できる生殖器にならなければならないのです。生殖器は私たちに訴えかけるのです。「堕落した世界を否定できるものが私にあるから、私に絶対服従してください!」と言うのです。 そのようにしてこそ、神様が創造された主体的な理想の前に、対象的な価値として登場し、そこで一つになることによって、天上天下に父子関係の因縁を中心として所有権が自由に移転でき、その移転されたものをいつでも元に戻せる……いつでも受けられる解放世界へと越えていくのです。アーメン! 善悪の実とは何ですか? エバの生殖器です。すべて男性の生殖器が誘惑することができ、女性の生殖器が誘惑するのです。それではエデンの園とは何でしょうか? エデンの園が何か分かりますか? 男性と女性の二人が一つになった愛の体を意味します。一体となった園を指すのです。そこで生きなければならないのです。 生殖器と絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準に立ったそこで生活してこそ、神様の永遠なる所有権となるのです! きょうがジャルジンに向かう十月八日なので、あらゆる勝利の盾の基盤の上で結論づけるのです。皆さんがすべて目をくりぬき、五官をすべて抜いてしまっても、この生殖器の道理を守らなければならないのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 言葉だけではありません! そのためには、目をくりぬき、五官を否定しても、私たちが残すべきものは、生殖器の愛の天理なのです。それによって、みな終わるのです。 ですから、父子関係の愛、夫婦関係の愛は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を立てる道です。その盾の、すべてのハンマーが何かというと、生殖器なのです。そうすれば、みな終わるのです。それ以上はありません。 ですから、皆さんが生殖器を崇拝せよというのです。「絶対愛の主人であり、絶対信仰の主体であり、絶対服従の主体であり、神聖なるそのような主体となりましたから、神聖なる道を永遠に千年、万年神様を中心として愛の一体の道を歩んでください」と祈祷せよというのです。 このようにして、これからは自分の名前で「祈祷いたします」と言えば、成就するのです。その上で私の名前で、「真の父母の勝利圏を祝福で受け継いだ祝福家庭、某が祈祷いたします」と言えば、すべて成就するのです。ここで血筋が重要なのです、血筋です。血筋がそのままなされるのではありません。男性と女性が合徳する場です。これがすべての結論だったわけです。 目もそれを願います、目も。目玉が何を願いますか? 絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。そして五官全体が何を願いますか? 愛を中心とした器官の前に私たちは犠牲となっても、その生殖器だけは犠牲にしないで残すのです。天理の道理を受け継いで私の体のすべてが不自由になっても、五官をなくして不自由になっても、「今後、私が死んでも、生まれる息子と娘は不自由にはならないので、それが解放であり、願いである!」と言えなければなりません。堕落した後孫は、そのような希望の日のために生き、生を終えなければならないのです。 恐ろしい結論です。絶対信仰とは何ですか? 漠然としているではないですか。絶対愛というのが漠然としていました。絶対服従というのが漠然としていました。愛の道の前にはすべてを否定すべきでしょう? 愛するときは、すべてのものを否定しなければなりません。世の中の万事、すべてを否定するのです。唯一自分の妻しかいないと思って、絶対視しなければなりません。そのようなときは、父や母を考えながら愛してはいけないのです。息子や娘を考えながら愛してはいけないのです。その妻だけを絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。お互いがそうしなければなりません。神様を迎えることのできるくぼみや膨らみにならなければならないのです。神様が膨らみならば、神様を迎えることのできる母、夫婦がすべてくぼみになって、一つになるのです。 先生がこうした結論を下すことを夢にも思わなかったでしょう? 気を引き締めなければいけません。先生は、いいかげんにやってなった先生ではありません。徹頭徹尾、この道を備えるために、穴が開けばそれを埋め……いろんなことをみなやったのです。そんな先生をそのように絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。自分の一身で何よりも貴い愛の五官、天宙を結合できるその器官よりも、さらに愛し、さらに尽くし、さらに服従し、さらに信仰しなければなりません。そうすればすべて終わるのです。 ですから、結婚したいならば、成熟して入っていきたいならば、誰を中心として考えるべきかというと、自分の妻を考える前に父や母を考えなければなりません。これが要諦です。父と母に「自分がこのように相続して成人になったので、結婚しなければなりませんが」とお願いするのです。そうしてこそ、絶対信仰の基準が定まり、絶対愛の基準が定まり、絶対服従の天理の道理が相続されていくのです。 こうした真理を知る者が自分勝手に結婚できますか? 自分勝手にそれを引っ張っていけるかというのです。皆さんが真の父母を考えるとき、真の父母はむやみに生きる人ではありません。どれほど気のふさがる生活をしたか知るべきです。道なき道を行き、いばらの根をすべて切って歩み、違法なる愛の根を抜いておいて越えてきたという事実を知らなければならないのです。 毎日のように考えなさい! 絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 私の体の五官を犠牲にしてでも残すべき、そのような愛の天理を保護すべき私自身であるとわきまえるのです。そのような人々が、どうして皆、横道にそれることができますか? 先生は恐ろしい人です。複雑な環境をすべて経ながら、最後のこの終点をみな払いのけて乗り越えるとき、感謝できる自らを発見できなければ、地上世界が天国と化す道がありません。それを自己主管できなければそうなるのです。 ですから、「天宙主管を願う前に自我主管完成しよう!」というのが真理です。「絶対信仰をもって、絶対愛をもって、絶対服従の心をもって、私一身のすべてを、それ自体までも否定して乗り越えなければ、神様をすべて私のものとして、私の愛を全体化できる、神様を支えて抱くことのできる私自体にはなれないというのが天理である」と考えてこられたのが、真の父母の歩まれた道であるということを知らなければなりません。 今回行くのが、南米の最後の旅行となるかもしれません。今、すべてが超教派大会を控えています。私がどれほどその大会を願ってきたことでしょう。それを捨てて、どうして私が南米に来ましたか?今、私が内的に祈祷してきたのは、「お父様、私がこれまで逼迫して反対した者たちを愛するのに、誰よりも自分の父母よりも、自分たちの王よりも、また自分たちの兄弟よりも愛してきたので、今は彼らがすべて天を代身して愛することのできる時代に帰らなければなりません。大転換を起こさなければなりません。そこに背く者が国に行けば、国が壊れても、世界が壊れてもひっくり返さなければなりません」という内容です。このような決定的な祈祷をする時が来たのです。 祈祷 愛するお父様……、天理の核の決定的な決着点が何かを知らなかった統一教会の食口たちが、今朝、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を、天地の中心に対する、すべての全宇宙の生命と血統の中心である愛を中心として、この定義の基準を中心に、決着点がどこなのかをすでに宣布いたしました。 その内容を絶対信仰の主体、絶対愛の主体、絶対服従の主体が、自分たちの持つ、男性と女性の生じた動機である生殖器にあるという事実が分かりました。これが完全に神様と共にすべて一つになり得る三位一体圏を築いた世界でのみ、あなたの解放的な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙が発生するということを知るようになりました。 これから統一教会の食口たちが取るべき姿勢は、「私が問題」ということです。これをすべて知り、自分自身の問題の解決点を中心として、私が夫ならば夫が問題であり、夫人ならば夫人が問題であり、父母ならば父母が問題であり、息子、娘が問題であり、さらに四位基台の三代を連結し得る氏族的な七代までが問題であるということを知らなければなりません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従でこの枠組みを中心に、一族全体のすべての機関を一つにして、神様が安息できますように。どのような家庭でもすべて七代まで留まることのできる自由環境、解放的、すべての統一地上・天上天国の標本となり得る基盤が連結し得る、すべての愛の一体を合徳基盤が連結できる、そこに繋がった血筋は一つの体と感じられる一族にならなければなりません。そのようにしなければ、天の国に入籍できないことが理解できるよう、許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 今はすべてを知り、すべてを感じることのできる実体的な姿勢を立てられる時代となりましたので、その前に自らの主体的、また対象的な関係に自分の権限を整えて、天の前に天地合徳の基盤としての統一された絶対信仰、絶対愛、絶対服従により完成した夫婦となり、天が願われる四位基台の平準化、地上、天上の道理を縦横に連結した焦点九〇度に合わせられる個人となり、家庭となり、氏族、民族、国家、世界、天宙、天地父母がすべて一体圏を築いて、サタン世界の自動的な解消、すべてみな浄化時代に越えていくよう許諾してくださいませ。 この八日の日、十月八日を中心として新しい出発と新しい天地の前に発表するすべての絶対信仰、絶対愛、絶対服従の核が何かを知り、厳粛にそれ自体に侍って生きることができますように。そのために、天のエデンにアダム、エバをつくられて見つめ、願われていたお父様の願いの前に違わない姿勢を守護し、自体完成の愛的な家庭、氏族、民族を編成し、天の国をすべて相続できるようにしてください。そのような後継者として天理を受け継げる王者、王権の後継者の道理を、地上世界のいかなる王権よりも高い場に愛の場を結束して、万国万年の世界の上に解放の王者王女、解放的家庭を持ち得るあなたの願いが、エデンの本然の原初的な家庭が許諾され、根源的な家庭、勝利的な家庭になるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 韓国と共に再び戻っていける道を回想するためのこのような歩みを、お父様……、記憶してくださいませ。今やあなたの願いは、全般・全能の世界に向かって統一的な歩みを整え、お父様の解放の世界を全宇宙と共に成されますよう切にお願いしながら、真の父母の御名で祈祷いたします。アーメン! 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。 奇知=人とは異なる知恵 すなわち神様の知恵 世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。 ↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.09.30 05:00:06
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