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奇   知   外   記

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2023.11.20
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​「天宙還元」宣布​
二〇〇〇年六月二十九日、午前八時四十分、ソウルの漢南国際研修院において、真のご子女様ら三名と約六十名の指導者たちが参加した中で、真のご父母様は「天宙還元」を宣布なさった。


   み言

 宇宙を縮小させた自己所有権を、サタン世界で失ってしまったものを、縮小した供え物の時代を越えて、生きたそれ自体として天の前に捧げることができるので、宇宙の生きた条件を、真の父母を通じて、神様の前に献納しなければなりません。これまで、そうしたことをやるのに、統一教会はすべて泥棒さながらでした。

 そこにおいて自分を中心として貯金通帳を持って、息子・娘を考え、将来を考えますか? だとしたら将来はすべてなくなります。それを否定するのです。完全に否定です。絶対否定圏を越えるためにです。ですから、蕩減の歴史は、供え物を捧げる歴史です。半分に裂けば死にます。それで霊界と肉界、地獄と天上が分かれているのです。生死の境に分かれていますが、これを一つにするための総生畜なのです。生きているものを供え物として捧げるわけです。生きているのです。旧約時代も生きており、新約時代も生きており、成約時代も生きています。すべてが生きており、その生きた供え物を総献納するのです。

 サタン世界は総生畜ではありません。生きた供え物ではなく死んだ供え物です! 献納ではありません。分納圏が地獄なので、半分に裂くのです。地獄圏内に自分の所有権を中心として、何かをやろうという者たち! 自分を中心として何かをやろうという者たち! それは狂った者たちです。自分が何かを持っているのではありません。献納のみ業をなすのです。神様が献納する時を準備して、真の父母が献納する時を合わせて、神様に捧げる献納の時代なのです。

 生死の境、死亡圏を除去して生命圏に一体化させなければならないのが、総生畜献納です。献納は何ですか? 献納物です、物!「祭」というのは、所有権を決定するために条件を立てることです。祭祀を執り行うことです。

 それは総生畜献納物です。献納物体、生きた物体! ですから、自分自身も生きており、堕落しないエデンの園におけるすべてのものが生きています。それが神様のものです。死亡の圏内にひっくり返っていたので、逆に置くのです。捧げるには、自分の名前までもすべてなくしてしまわなければなりません。自分の国までもなくしてしまわなければなりません。丸ごと神様に捧げて、丸ごと神様のものになるのです。神様の願うアダム、エバのすべての基準、その相続的な相対圏がないので、それを真の父母の前に相対的な条件物として差し出すのです。

 その条件物は死にませんでした。生きた物を接ぎ木して、家庭に接ぎ木し、氏族・民族・世界全体の家庭と連結されて捧げることが因縁となり、清算されてこそ、存在する世界が神様の物の世界になります。神様の物です。そこには供え物時代がないのです。そのようなものが総生畜献納です。

 すでに十六数を合わせていきます。サタンがこれまで侵犯したのが、四×四が十六、十六数です。韓国にも国連軍十六か国が来たでしょう? 日本の組織を見ても十六です。韓国も十六でしょう?総決算する時代だからそうです。それを皆さんは知らなければなりません。

 いつも顔を見るとき、そのように考えなければなりません。目を見ると目が一つですか、二つですか? 二つです。ですから、ついたてがなければなりません。目がこの世で勝手に遊んでいました。皆さん自体が心の世界にも二つの目があり、体の世界も二つの目があります。四つの目が合わさって一つになるのです。これが水平にならなければなりません。水平となってカイン、アベルです。目のうちで、どちからが先に生じましたか?「始め!」と言っていっぺんに生じましたか、どちらかの目が先に生じましたか? 二つの目がいっぺんに生じることができますか? 目も生じるときは、必ず順番に生じてきたのです。

 息をするときも「ふうっ」と吐き出せば、「はあっ」と吸い込まなければなりません。いっぺんに息を吐き出して、吸うことはできません。同じことです。目も同様に出発するとき、お兄さんがいて、弟がいるのです。それとも「よーいドン!」と言って生じたでしょうか? 順番に生じたのです。目を見るとこれが分かれています。プラス、マイナス、主体対象なのです。目が自己主張できますか?「ああ、私は右目が嫌いだ!」と言って「おまえは閉じよ、私は開く!」そのようになっていますか?いつも中心を中心として統一です。目は水晶体を中心として円形をなすのです。

 中心に侍るために必ず水平になって、主体対象とならなければなりません。神様が創造するときに環境をつくられました。宇宙のすべての環境には、必ず主体対象がなければなりません。主体対象がありますが、いっぺんに「やあ!」と言って生じましたか、主体が先に生じましたか、対象が先に生じましたか? どちらが先ですか?

 同じことです。いつもそれを考えなければなりません。瞬きするとき、片方の目ができなければどうしますか? 一つになっていますか、なっていませんか? いつもそれを考えなければなりません。教育のうちこれ以上の教育がありません。五官の、天地の調和を実体で象徴しているのです。

 生殖器を見れば、どうなっていますか? 女性はどうなっていますか? 上下になっており、男性はどうなっていますか? 中心にシンボルがあります。シンボルがあり、睾丸は横的になっています。それが天地の道理です。

 ですから、いつでも考えなければなりません。耳がともに聞こえなければ共鳴ができません。それは違いがありますか?右の耳、左の耳が「君は君、私は私!」そう言いますか?互いに尽くすのです。左側は右側が一つになれるのを願うのです。そうでなければ大変です。右側は左側が一つになれるのを願うのです。そうするには為に生きなければなりません。自分のためにという立場は破壊します。問題が生じるのです。

 自分がどこにいますか? バランスを取らなければなりません、バランス! バランスを取れなければ滅びます。天地の調和がどこにありますか? 手がこうして何をしますか? このようにつかめますか? このようにつかまなければなりません。手をつかんでみなさい。どちらの手が上に来ますか? 左手が上に来ましたか、右手が上に来ましたか? すべて違います。右手が上にきた人、左手が上に来た人、すべて違います。違うのです。どんなに違っても、これがこのようにして一つになりますが、すべて水平です。水平にならなければなりません。全体をこのようにして、つかむようになると、全体が合わさるのです。

 ですから、自分がどこにいるのか、上にいるのか、下にいるのか、それを考えなければなりません。それゆえ、すべてがカイン、アベルです。カイン、アベルなのです。バランスを合わせるようにする人が主人となるのです。

 「柳寛順会」は何をするためにあるのですか? 韓国の男性ならば男性、女性ならば女性として家庭で柳寛順のようにお手本を示してあげるのです。柳寛順にとっては、日本は自分を叩き殺した怨讐です。ですからその怨讐を愛せませんでした。どうして怨讐と相対を結んであげますか? しかし、怨讐があってはいけません。怨讐を持った人は天国に行けません。自分が嫌いな者、東西四方にそうした者がいなくなることを願う人はサタン側です。「あの人たちがいなかったなら助けてあげる。誰よりも私が助けてあげる」という人が天国に行くのです。「あいつ、滅びればいいのに!」こう言ってはいけません。

 私を見なさい。アメリカに行きましたが、アメリカは私にとって怨讐の中の怨讐です。キリスト教の先導的な国家として、宣教師たちが統一教会をめちゃくちゃにしました。フランチェスカと朴マリアと金活蘭を中心として、三人の女性がめちゃくちゃにしてしまいました。めちゃくちゃにしたのです! しかし、先生がその怨讐の存在を考えたら越えていけません。彼らを救ってあげなければなりません。金日成が怨讐です。彼を祝福してあげなければなりません。宗教の教祖たち、釈迦牟尼とか誰それも……。キリスト教がこれまで怨讐でした。彼らを祝福してあげなければなりません。

 先生に怨讐がいますか? 怨讐がいますか、いませんか? いません。怨讐よ滅びよという考えがありません。怨讐があってはなりません。天国を築けません。私が好むことのできる基盤において、良いものを取る前に、怨讐がいたらそれを忘れてしまわなければなりません。

 ですから、先生は聖人と殺人鬼を祝福してあげました。聖人の子供と殺人鬼の子供を祝福してあげたのです。今からそのような時代になっていくので、日本人たちは今後、すべて交差結婚するのです。怨讐だった韓国人と一〇〇パーセント交差結婚するのです。そうすれば一つになるのです。アメリカの教会団体が一〇〇パーセント交差結婚します。地上世界と天上世界が一〇〇パーセント交差結婚するのです。

 弟妹を立てるのに、いちばん幼い者を立て、お兄さんたちが崇拝してこそ、地獄と天国がひっくり返るのです。今後、統一教会は三歳の子供を重く用いるでしょう。三六家庭とか頭にいる者たちを見ると、いつもどこかに入ってくるにも、三六家庭、責任のある者が先に入り座るべきだと考えています。そうではありません。端に座って、自分たちが雰囲気を盛り上げられるようにしなければなりません。環境があって、環境圏内に主体対象がなければなりません。環境は無視しておいて、自分のやることはやれないで、環境を流して主体の立場、対象の立場を求めていこうとしているのです。この滅びる者たち! この者たちを私が整理しなければなりません! 心しておけというのです。

 目で見て左側です。私が右目か左目かというのです。先生が主人の立場にいれば右目です。私は絶対にその右目と合って瞬きするとき、歩調を合わせるというのです。鼻でいうと右の鼻を合わせるのです。右側を韓国語では正しい側と表現するでしょう? それが道理です。ならば右の鼻の穴を左の鼻の穴に合わせなければなりません。自分勝手にやれば二つとも滅びるのです。すべて滅んで死ぬようになっています。

 唇もそうです。上唇と下唇が閉じて、開いて、話すときに合わせなければならないでしょう? 歩調を合わせなければ。いつも話すのに歩調を合わせますか、合わせないですか? どれほど不思議でしょうか? 口の先生に学びなさい。鼻の先生に学び、目の先生に学び、耳の先生に学び、手の先生に学びなさいというのです。そこに一つになれずに、かきまわして探すような恥かしい姿勢をもって、天地の自然環境に向かって、主体対象が逆になり、天地を滅ぼすのです。

 私には怨讐がいません。私が教えた原理は、怨讐を愛していかなければならないのです。私がアメリカを生命と財産を捧げて愛したので、戻ってくるのです。三十三年の歳月を、いちばん重要な歳月をいたずらに過ごしたのです。それを誰かが違うとは言えないのです。サタンが知り、天が知り、アメリカの地が知っています。そのようにやったので、それを中心として生きた供え物の総献納物をアメリカ自体として天の前に捧げなければならないのです。

 それで体と心を整えて一つにするのです。政府と宗教が怨讐です。アメリカでその作業をやるのです。キリスト教を中心として国家的に分裂したのを一つにする作業をするのです。政府の後援の下で-それはカインです-今、十四万教会を設ける運動を始めました。イエス様が来るとき、十四万四千名が最初に復活すると言いましたが、先生のときは十四万四千の群れではありません。そのときは国家時代でしたが、今は世界時代であり、地上・天上天国を築く時です。ですから、十四万教会を中心とした復活国家を建設するのです。違うのです。

 このような時代に、自分のふろしきを背負えば連れていくのです。自分のものを中心としてすべて投入しなければなりません。投入してから韓国が主体国という権限を立てることができるのです。自分を中心としてノラ犬の子とそのふろしきを背負った者を連れて、そのみ業をなすことができますか? そのような者はノラ犬です。ノラ犬たちです。

 右目を立てたのに、左目が右目をどうこう評価できますか? 絶対に何ですか? 絶対服従が絶対の道理です。水平にならずに他の何かの存在があってはいけません。そこに合わせなければなりません。百歳のお年寄りであっても合わせなければなりません。神様が今、先生の前に合わせています。違いますか? 先生の蕩減復帰を神様は思いどおりにできません。先生に合わせるのです。その代わり、むやみに行けば手をつけられます。このような原則を知って、神様の本質的な内容をすべて知っているので、私がそのように暮らして峠を越えに越えて、その峠の残りの仕事を処理するというのです。

 すでに霊界は私が手をつけ始めました。宗教圏の統一! メシヤ、イエス様は父母です。父母の伝統を連結させてきました。イエス様がこれまで長成的な父母の立場で完成できなかったので、そのイエス様の道理をすべて……。イエス様を兄として侍ったのです。兄弟が合わさってこそ天地父母、天は夫であり、地が妻として一つとなるのです。

 ですから、宗教が一つになるのです。それを誰がつくりましたか? それは神様ができません。それは私に特権があります。それで革命するのです。「これをやれ!」と言うのです。霊界は今まで夫婦の間がすべて分かれていました。地獄であれ、どこであれそうです。それで交差するのです。

 一昨日、女根、男根のことを聞いたでしょう? それはどうなりましたか?それを私がどれほどありがたく思ったことか。万物世界でもこれを神様の代わりに侍るということなのに……。万物も神様の代わりにそれを崇拝するのです。

 それが故障したので、そこから解かなければなりません。それを何で証拠として? それが地中に入っていたのですが、突き出てきました。復活したわけです。「いやあっ! 愛は死亡圏を撃破して天に向かい、神様に向かって出てきたものである。出動命令できる根拠がこれか」と言ったのです。私が出動命令を考えている者ではないですか? ここに訪ねてくるようになっています。

 その主人が誰ですか? 先生が主人ですが、何の主人ですか? 真なる根本の女根石として見つけましたが、女根石の象徴は何ですか? 形状は人で実体は神様です。女根何ですか? 女根人、女根愛! 愛の根であり、神様の根であり、万物の根です。根本がこのようになったのを知りません。先生が初めて発表したのです。

 そうした貴いものを付けて行き、何を探して回りますか? すべての存在を総合してそこに装飾品として、ピラミッドならば、ピラミッドに金の装飾を施したように装飾したのが女根物、人、神です。それが装飾物です。それが髪飾りです。宇宙を所有できるそれがカギであり、宇宙を開くことのできる夫婦です。カギなのです。

 女性のカギ、男性のカギ、それを誰が開けてあげますか? カギが違います。女性のカギを開けるのは男性が持っており、男性のカギを開けるものは女性が持っています。互い違いに持っています。ですから、それがなければすべてのものを開けられないので、天地に自分が干渉もできず、また所有することもできません。それがいちばん貴いものです。愛がいちばん貴いのです。

 ですから、そうしたことを知れば、男性は男性をどこに置いておかなければなりませんか? 韓服のズボンを着れば分かりませんが、背広のズボンを着れば男性はどこに置いておかなければなりませんか? 右側にすべきですか、左側にすべきですか? 右側です。皆、そうしていますか? 女性はありません。男性がいてこそ、他の側が生じます。

 女性はないので「自分たちをつかまえて」と言っています。受けるようになっているでしょう?門を開ければ、門が長くなりますか、丸くなりますか? 丸くなって、その丸くなったのが手本ではありません。その丸くなったものより、さらに大きく丸くなるところに幸福があります。分かりましたか? こうした言葉は、失礼ですが、女性たちは小さな主人が入ってくるのがよいですか、大きな主人が入ってくるのがよいですか? 女性たち、どうです? 丸いところに、それを狭めて入ってくるのがよいですか、広げたり狭めたりするのがよいですか?

 世の中の道理、愛の谷間、愛のすべての内容をぴったり通して座り、天地を料理するというのです。それ以外にはありません。そのような象徴的な物が……。ですから、女根人・女根神! そこにすべてのものがみな入っています。それが死ねば、その家は滅びます。誤まって使えば、混乱が生じます。ですから、行く道が一つなのです。男性がいれば、それが逆に立っていますか、まっすぐ立っていますか? まっすぐ立っているのが、下に広がっているのであり、それが後に上がっていけばどうなりますか? 自分勝手にやればどうなりますか? 逆に立っていないで、かけてぶら下がっているようになれば、どうなりますか? この世における地獄の中の地獄です。

 これが大きくなっても、その道がいかに大きくなりますか? 九〇度以上にならなければならないのです。男性はそうしてこそ男性になります。小便をシャーッとするときに、壁を越えてこそ、その後孫がうまくいくのです。子供のときはおしっこをすれば、スーッと出ます。うんちをしてお母さんがおむつを替えるとき、おしっこをピユッとして、目や鼻にもかけてしまうのです。九〇度を越えなければいけないのです。

 若いときは九〇度を越えるので問題です。男性が女性をいじめますか、女性が男性をいじめますか? 男性は五十一秒ごとに女性に手を出すようになっています。それをあげなければならないでしょう? あげなければどうなりますか? 滅びるのです。あげるのは最後まで、無限にあげたいのです。それが欲望です。無限にあげたいのですが、それを誰にでもあげるようにはなっていません。錠前ならどんなカギでも合うのですか?

 二つが合う錠前はただ一つです。私たち統一教会の信徒の中で、錠前を二つ持って生きるという者たちは気違いです。地獄のいちばん底なのです。厠のうじ虫のようなものです。愛の世界における糞! そのようになっています。女性はそうした男性が、骨が砕けるように抱くことを好むようになっています。男性はまた骨が砕けるように抱くものです。それで男性が大きいのです。女性は大きいのを好みます。男性が大きいのを好みますか? 男性は大きいです。女性はその大きいものを好みます。

 そのようなことを考えるとき、「文総裁が契約の箱の中の二つの石板はアダム、エバを象徴する!」と言いましたが、それを象徴するのです。至聖所がそこです。誰もが手をつけることができません。手をつけたら皆、滅びませんでしたか? 至聖所がそこです。それからアロンの芽が出た杖!杖が何ですか? 永遠に死なないというのです。死んだ杖から芽が出たので、永遠に死なないのです。何を中心として? 本然の愛! 愛がなければ死にます。それでアロンの芽が出た杖が出てくるのです。そうしたみ旨があるので、聖殿において侍ったのです。ですから、神様の体を象徴したのが聖幕です。体が聖所であり、至聖所というのがまさにその場なのです。

 愛しているとき、その女性におしっこを漏らせばどうなります? 本当におしっこしたいのに、愛する人がしきりに求めてきて、おしっこを催すのを忘れて抱いたのが、愛していきなりセイ液とおしっこを漏らせばどうなります? 審判を受けますか? 審判を受けなければならないですか、どうなりますか?「そのような時間まで私にくれるとは、どれほど夫が愛していることだろうか!」と言うのです。それ以上の幸福がないのです。

 何を保護しなさいと言いましたか? 最近は「気を保護せよ!」と言いますが、気とは何の気ですか? 愛の気です。気がどういう漢字ですか? 気運の気でもありますが、足場を表わす基という字にもなるのです。愛の気を指すのです。気が単独で活動することはできません。そのように激しく慕って生命以上に願うところで、天運の気が挙動するのです。超越的な力に接するのは、愛しかありません。

 すべてのものが自分の先生です。私の体が先生です。腹が立ったとき鏡を見ると、目が語るには「私に似なさい! 私に似て水平になりなさい!」と言うのです。右目と左目が一緒には動かないと考えるので、問題になるのです。夫婦も同じです。目を見て学ぶのです。夫が右目ならば、自分は左目ですが、左目が先にまばたくことができますか? 永遠に一緒に動かなければならないのです。

 ところで、夫はいつも縦的なことを願い、女性は横的なことを願います。現実的なことを願うのです。しかし、現実はしばしの間です。一日の生活の満足を求めるのが女性です。男性は永遠なる未来の幸福を求めていくのです。ですから、未来の幸福の前に女性は合わせなければならないのです。合わせないで目を見開いてふざけていたら孤独単身、なくなるのです。

 鼻の穴も右側の穴は誰を象徴しますか? 夫を象徴します。では、左側の鼻の穴は? 妻を象徴します。夫の鼻の穴は、妻の鼻の穴がマイナスになるならば、「別々に息をせよ!」と言えますか?別々に息をするという者は気の狂った者たちです。そうすれば、その世界のその場に入っていけないのです。定着点を探せません。互いに衝突が起こるのです。それを考えなければなりません。

 口もそうです。上唇は? 夫であり、下唇は妻です。女性の唇は下唇が厚いですか、上唇が厚いですか? 女性の唇は下唇が薄いです。それで小さくても振動します。男性は上唇がとても厚いのです。ユ・ジョンヨンのように厚いのです。

 上唇が大きい人はゆっくりと話します。女性たちを観察してみると分かるのです。下唇が薄くて上唇まで薄い人は問題です。いつでもしゃべるのです。しゃべられなければ病気になります。ただどこに行っても騒ぐのです。下唇が別個に動かなくてはなりませんか、一緒に動かなくてはなりませんか? 一緒に動かなければなりません。

 体を犠牲にすれば精神が発展するのです。逆に体の享楽を求めれば、精神が下っていき、穴に落ちてしまいます。後には二つが分かれて死んでしまいます。滅びるのです。天地の道理がそのようになっています。足というのは、いつも逆向きでしょう? 一方が先に行けば、もう一方は後ろに立ちます。左足が右足を考えるときは、いつも右足は先です。右足が先に歩いたならば、左足というのは右足の代わりに出なければならないのです。歩調を合わせるということです。

 和合を合わせるのです。そこに中心が設定されます。それをいかに否定できますか? 先生の言葉に間違いありません。けんかできますか? すべてカイン、アベル問題です。カイン、アベル問題は宇宙の根本です。主人の立場から、神様から、愛の源泉地からそれを拡大させたものです。それを四方にプラスにするのです。そうすると、生存的な与件が自動的に生まれてくるのです。

 アダムを先につくりましたか、エバを先につくりましたか? アダムを先につくりました。ならばアダムがエバを支配しなければならないですか、エバがアダムを支配しなければならないですか? アダムがエバを支配しなければなりません。天地の道理がそうです。女性が男性に従うべきですか、男性が女性に従うべきですか? 女性が男性に従っていかなければなりません。ところが、堕落した世界は逆になっています。

 カイン、アベルの歴史がこれまで逆になってきたので、それを愛さなければなりません。愛を失ってしまったので愛して、サタンよりさらに愛して、愛を受けてこそ、天国に入っていくのです。それが先生の生活ではないですか? そうでしょう? 怨讐を愛した後に初めて故郷に帰っていくのです。私が世の中の人たちを、数多くの民族たちをお兄さん以上、お母さん以上に愛しました。なぜですか? 本来ならば、このみ言はお母さんに先に話して、お兄さんに先に話して、一家に先に話さなければなりません。しかし、皆、一言も話してあげませんでした。

 この群れに、そのふろしき自体をほどいてあげました。そこで種を収穫して、私たちの真の父母を、神様を訪ねていき、祭祀を生きた供え物として捧げるのです。神様が創造した生きたものを捧げるため、このようなみ業をなそうとしたのに、そうした者たちが一人もいません。

 私が今お母様を出てこさせて、祈祷しようと思います。三十日、明日ならばできるのです。海と陸地が合わさり、還元されることを私が通告してあげなければなりません。一昨日は陸地還元を通告したので、海と陸地の還元を通告するのです。済州島に行って漢羅山を眺めながら、白頭山を連結するみ業を海でやるのです。全世界の海と全世界の陸地を連結するのです。私が平原地帯を、土地を買うように言いました。南米に土地を買うのです。これを山と連結するのです。

 それで済州島の地帰島に行って、船に乗り、漠羅山を眺めながら白頭山を連結させるのです。海の権限と陸地の権限を、平原地帯から山までも抱いて還元しましたと祈祷しなければならないのです。今日が二十九日でしょう? 六月までに私が解決しようとしたすべてのことを韓国に訪ねてきてやるのです。本来は済州島に行って祈祷しようとしましたが、ここで漢羅山と白頭山、海から-南米は平原地帯です-大陸、平原地帯から山岳地帯に連結して、神様の前に還元しなければなりません。還元の祈祷をしなければなりません。

   祝祷

 愛するお父様、天地の愛の理想を中心とした大道の道が……、光明なるあなたの愛と共に宇宙を光で覆って残るべき本然の心情世界に、人類始祖の失敗が、このように歴史的な恨の、恨の、恨の峠を残しました。数千数万の人々の犠牲とともに全宇宙の嘆息圏の峠を、垣根を積み上げてきたものを取り崩すため、天が復帰のみ手をつけ始めた歴史的な事実を私たちは知っております。そのようなご苦労をかけたこの創造物が、お父様の前に犯した親不孝、不忠がどれほど大きかったかを、よく存じている統一教会の群れであり、真の父母でございます。

 今や天と地の秘密がすべて暴かれ、神様の事情を知り、神様の心情を知り、神様の願いの成就に向けた一念の基準が今日、私ども家庭を中心として理想的な実体、結実として植えられ、収穫しうる万苦の解放の家庭設定を願われるお父様の心情があることを知っております。

 この地上に、真のご父母様がそのような心情を知り、これまでキリスト教を中心とした統一的な方向を据えるため、四十余年の受難の道をたどりました。今や第四次アダム圏以降に、キリスト教が願った真の父母の再臨のその時を中心として、新しい家庭を設定するための神様の愛を中心に、神様の生命圏を連結し得る、神様の血統的な起源を再び連結できる天宙史的な大革命的期間でございます。

 キリスト教、新教・旧教が一つとなり水平的な基準において、神様を心情的垂直に侍りうるご父母様に侍られなかったことで、反対の経路により、お父様が、これまで苦労されてきました。そのすべてを、もう一度、第一次アダム圏、第二次アダム圏の失敗したそのような道を家庭的な四十年荒野路程をたどって再会し、祝福の世界化のために霊界、肉界をすべて解放できるようになりました。

 韓国の地において、最後の終着基準、南北統一と共に連結させ得る最後の勝利的な覇権を立てるべき戦争を前に控えています。この場において真の父母は、海洋世界の還元と陸地世界の還元とともに海洋と陸地を連結させうる、最終的な還元をすべて宣布するため、済州島を中心として地帰島の上から漢羅山を眺めながら、白頭山を越えてヒマラヤ山頂、エベレスト山を越えて平原の世界に連結し、再び川を越え、海の世界に本然の世界を還元させる責任を中心として、お母様と共に韓国を訪問いたしました。

 これまで因縁となって祈祷して、宣布したすべてがお父様、済州島に代わったこの場において、お父様の前に宣布して、全宇宙の前に宣布しますので、この日を記憶してくださいませ。今や六月の最後の日となりますので、六月まで私が計画していたすべてを完結できませんでしたが、条件的な基準を、八○パーセント以上の基準を立てることによって、サタンといかなる関係もないあなたの願いを成就させる一念を抱いております。万事を勝利の決定的な覇権の場に移すことのできる権限を知ることにより、真のご父母様の相対的な基準でこのみ業を支えて成就、成就、成就、解放圏の世界に転換されることをこの時間、全天宙の全体還元式に代わって宣布いたします。

 全天宙とともに神様の愛の圏内で、全霊界とともに地上の祝福家庭が一心一体となり、地上・天上天国に定着できる還元の祝福をこの天地に真の父母が、天地父母が合わさって全宇宙の前に宣布いたします。このみ業を成就させることにより、統一家の行く前途には、すべて万事が都合よくはこぶ勝利の覇権が続くようお願い申し上げます。

 きょう、六月二十九日、朝八時四十分を中心として、このみ業を宣布しますので、天上世界に一つの標的として立てられ、この基準を中心として天地のすべての行く道を分かつようにしてくださることを切にお願いしながら、全天宙還元式に代わったことを宣布しますので、真のご父母様の御名と共に天地父母、全宇宙がここに抱擁され、ここに消化できるよう祝福されることを願いながら、真の父母の御名により天宙還元式を宣布いたします! アーメン! アーメン! アーメン!

   み言

 皆さんを信じます。皆さんが海の主人であると同時に川の主人、平地の主人、山の主人になるべき本然の神様の前にすべて失ってしまったものを真の父母によって還元されたという信念を抱くのです。そうして、一方通行により処理できる自信を抱いて、今後のすべてのことに臨むことを願います。神様が願われるみ旨が早く促進されることを知っているなら、そのように援助することを願いますか? 八時四十分を中心として発表したのです。覚えておきなさい。

 今や本来の世界に帰っていくのです。これから家庭が中心であり、氏族が中心であり、民族を中心として国家基準を越えることで、サタン世界の国家基準が地下に下っていける時が来たのです。ですから、南北統一は家庭的な事実として、私たちが宣布したように、その責任遂行に主体的な行使をするために、南北の前に影響を及ぼすべき私たちの行動が残っています。完全なるプラスは完全なるマイナスを再創造するのです。ですから、深刻なのです。(二○○○年六月二十九日、韓国・漢南国際研修院)​​




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.11.20 19:10:56
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