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奇   知   外   記

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2024.10.28
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真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(2/2)

このみ言は、「十四万四千組聖職者祝福式」勝利の翌日、今 年四月二十八日(陰暦三月十六日)に、米国のワシントンで 行われた真のご父母様のご聖婚四十二周年を祝う記念集会に おいて、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理し たものです。

(文責・編集部)

◆「文鮮明先生御言選集 20020428 - 真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(No.1/2)

Family 2002.7 P.4~



 さあ、本論に入りましょう。

 それでは、先生が、この立場まで、勝利の覇権を勝ち取ることができる時まで、どのような考えを持ってきたでしょうか? レバレンド・ムーン自体が、自らを尊重視したでしょうか? 「国家メシヤ」や「再臨主」 や「救世主」という名前を尊重視したでしょうか? どちらですか?

 幼い時は、夢のような話です。世の中で見れば、そのような話をすれば、妄想家にもなることができずに精神病者であるというのです。見えることもなく、夢で想像することもできない、その内容を中心として、事実として信じることができる信仰圈、そのような信仰を持つことが、どれほど大変であっただろうかというのです。

 皆さんたちは今、「霊界の実相」、李相軒氏のような、世の中から見ても権威があり、人格的基準においてもすべてを備えた人たちが、霊界に行って話をしても、 それを信じることができない。」と思うではないですか?

 尹博士、そうでしょう? ”百パーセント信じる。”と思いましたか?  ですから、どれほど困るでしょう か?  すべて見て、信じることができる事実であるにもかかわらず、荒唐無稽な……。

 公開された天地の中で、影もなく、表象も想像できないその世界において、「私は、このようにならなければならない。」という言葉を、お化けの言葉であると思ったでしょうか、事実であると思ったでしょうか?

 それでは、そのような信念を持つために、どれほど身もだえをしたであろうかというのです。そのことを知らなければなりません。そのような自信を持つため に……。

 今、先生が、「霊界の話を信じなければならない。」 と、一所懸命に脅迫しても、信じることができずに、 自分勝手にしっぽを振りながら肩をいからせて、“私が考えていることが、正しい。”と思っているではないですか? 

 そのようにしている、その事実の立場と、先生の幼少時の“信じることが難しい立場とを比較してみれ ば、皆さんたちは、百パーセント信じて余りある立場であるというのです。

 そのような世界において、否定した環境的与件を削り取り、自分自身の信念基準を立て、旗を差して、天下に発表することができる、権威ある先覚者の立場に立つということが、易しかったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」)難しいのです。今でも、そうです。

 「(神様の)王権樹立をしてさしあげたのか?」と言うとき、その決心、その事実を把握するためには、"今も、行かなければならない道が残っている。”と思うのです。“事実である。”と思って行動することができれば、天下を折り曲げて、ポケットに入れることは問題にもなりません。

 ですから、先生も、(神様の)王権樹立をしてさしあげて、先頭に立って、最前線の(米国の)五十州を回ったのです。八十歳の老人として、“死ぬか生きるか”という舞台の上に立ち、この伝統を立てることができるか立てることができないか、というのです。それが簡単であったでしょうか、難しかったでしょうか? (「難しいです。」)

※管理者註:以下文中には「二十五歳」とありました。幼少期、御聖婚前のお父様お一人の時のことを語られていたものです。御聖婚記念式でのみ言です。のちに「真の父母」が出てきます。)

 先生が発表しておいて、世の中が、天地のすべてが「事実である。」と言うことができ、神様が来られて、逆さまにほうり込んだとしても、ぴょんと、真っすぐに立ち上がって、「私をごらんください。」と……。

 逆さまにほうり込んでも、真っすぐに立ち上がり、芽が出て、実を結び、その実を取って神様に食べさせてさしあげながら、「これでも信じませんか?」と言えばよいのですが、それ以上の決心をしようとすれば、どれほど、身もだえしなければならないであろうかというのです。

​​ このような一人のメシヤを守ることも、大変でした。だれもいなく、反対もしていないのに、「レバレンド・ ムーンがメシヤである。」と発表すると、世の中が大騒ぎです。​​

 国が騒ぎ、世界が騒ぎ、霊界から地上のすべてが騒ぎ、父親、母親、だれかれなく棍棒を振りかざして来て、「こいつ、事実なのか?  一族にとって、このような恥が、どこにあるであろうか?」と言いながら、一族の間では、「族譜(一族の家系図) から切り捨ててしまわなければならない。」と言ったのです。

 独りです。メシヤは、一人であり、二人ではありません。極限の立場まで、独りで、その名の実体を備え、最後まで否定せず、細々とでも、そこに首が切れずにぶら下がっていてこそ、可能性があるというのです。

 メシヤの概念を、自分自身の信望で立てる時まで、 どれほど身もだえしたことでしょうか?  また、そのような環境になり、家庭においての艱難は、言うまでもありません。国が、三年間の凶年に入るのです。身内が問題であり、食べることが問題であり、町内じゅうで、「あの何々の家は、滅んだ。」と……。

​ そのようにして、兄が狂い、姉が狂い、十三人(の家族)のうち、六人(編集部注・過去のみ言の中では、 真のお父様は、たびたび「五人」と語られている)が一年の間に死んで、倒れていくのです。 さらに、犬が、息子の睾丸までは、かみ切らないのですが、男性のその部分の三分の一をかみ切るのです。なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか?​

 それは、メシヤの観念を持つことができないように (サタンが)追い込み、「おまえが、そのような考えをするから、一族が、このように滅びる。」と言うからです。(そのようにしてサタンは、)覆いかぶせることができる条件を、すべて、わたしの家庭に注いだのです。

 皆さんは、「今まで、統一教会を信じることが難しかった。」と言うのですか?  この者たち。統一教会の何が、難しいのですか?  わたしが倒れましたか?  「統一教会の看板を持って帰りなさい。」と言いましたか?  びくともしないので、ついて来るならついて来て、「来ないなら来るな。」と、言ったのです。

 ですから、天が、神様が保護してくださったのです。もし、その人が死ねば、だれを代わりに立てて使命を継ぐように……。ですから、どれほど……。

 それは、何歳のことでしたか?  二十五歳であり、その時は、解放される前です。そうではないですか? 最高の迫害を受ける時なのです。地下教会運動です。

 神社参拝(を強制されること)によって、愛国者は、 国境を越えてばらばらに別れていく、そのような環境において、自分の体ひとつで日本の国境を越えた環境において、共産主義が起こした混乱状態を乗り越えたのです。五山中学校で、それをしました。


 わたしが、五山学校に通っているとき、その三学年に入って、一年間、勉強し、"飛び級”をして……。世の中が、日本の天下になったのに、五山学校で日本語を学ぶことができずに、それが分からなければ、どのようになるでしょうか?

 それで、試験を受けて、定州普通学校の四学年に入り、一年間、延長して、その期間に全力で勉強し、(そうして、相手が)校長先生であろうと警察署長であろうと、闘うことができる実力をつけたのです。

 そのような話をしようとすれば、切りがありません。

 わたしが行かなければならないのは、他の人が行かない道であり、平民たちが行く道ではありません。特出した者が行く道は、特別です。だれもができるものではないのです。

 そして、日本に行っても、そうです。何もしていない人のようですが、していないことがありません。今でも、そうです。皆さんたちは、先生が何をしているのか、知らないでしょう?  遊び暮らしている人のようであるのに、鮮文大学は何であり、ブリッジポート 大学は、何なのですか?

 今朝も、少し話をしましたが、今からは何かというと、自分の一族を逆さまにして、腰にぶら下げなさい、 というのです。鮫(サメ)の子どもは、食べるものがなくなれ ば、最後には、父母の肉までかみちぎって食べ、骨までかみちぎって食べてでも、生きなければなりません。 サーモン(鮭)のような魚を見れば、自らの親の肉と骨を与えてでも、子孫を残そうという伝承が起きています。

 魚の歴史でも、そうなのですから、人が、そのようにすれば、自分の後世は滅ぶことなく、世界の先進派となり、先進指導者となるのです。それは、"鮫の世界の王”です。分かりますね?

​ 「真の父母」という言葉を慕い、それを思う先生の心の中で、どれほど呻吟したかという事実を知らなければなりません。どれほど身もだえしたことでしょうか?

 死の境地に行っては戻って来て、また行かなければならず、十里の道を行っては五里の道を行き、三里の道を行っては一里の道を行き、一里の道を行って……。そうして、部屋の中で、一日に何度も身もだえして、”これではいけない。”と……。


 "いけない”ということが、すぐに分かります。それが分からなければ、後ろが暗いのです。振り返ると、後ろが暗くなっているのです。それが分かっていれば、 霧がかかるだけなので、前が見えないことはありません。十メートル、二十メートルは、見ることができるというのです。

 ですから、自分の一身が挙動して、うまく処理することができる環境になったのにもかかわらず、それを否定すれば、真っ暗になるのです。夢のような話であるというのです。

 ​"真の父母の名を持ちたい。”​と思って、だれよりもそれを慕い、どれほど涙を流したかということを知らなければなりません。名です、名。実体は、夢にも見ませんでした。

 神様も、そのような心を持っていらっしゃったとしても、実体を持つことができない神様でいらっしゃるのです。それなのに、その神様の御前で、"私が実体の主人になる。”と、考えることができるのかというのです。どれほど、その名が慕わしく、雨が降っても、雪 が降っても……。

 神様は、わたしたちのお父様でいらっしゃるので、そのようにしなければ、お父様を解放してさしあげることはできないのです。それは、間違いありません。 神様にしがみつけば、「首が落ちても、離せません。」と言うのです。

 そのようにして、祈祷を十七時間から二十時間までしました。十五時間は、普通です。冬の季節に、綿入れの服に汗が流れるほど、座って祈祷した人なのです。 分かりますね?(「はい。」)

 (真の父母という)名前一つを守ることが、このように難しかったのですが、"実体圏解放の王子”のほう が、何百倍も難しいという事実を知らなければなりません。そして、世の中の家庭すべて、一族を中心として……。

 先生の家庭は、愛国者の家庭です。キリスト教の思想を徹頭徹尾、武装した家庭です。臨時政府の財政を五道(五つの道)から集めて援助する、その本部が、わたしの大叔父さん(父方の祖父の末弟)でした。

 ですから、わたしが幼い時に、わたしたちの家に……。 わたしの家から山岳地帯へとつながった所、先生の家の裏側に、白馬峠(백마고개)という峠のある白山がありました。それを 「샛말잔등(山の形が"馬の背”のようである、との意)」というのです。 

 そこは、一年中、草木が生えません。砂が固まって、そこに雨が降り、こちこちになっていたのです。たたいても、砂粒が転がるだけで、土を掘ることができません。いくら夕立があっても、いくら走っても、ほこり一つつきません。分かりますか?

 いくらこのようにしても、おしりが一つもぬれないのです。そこを走り回った事実……。ですから、母をどれほど、父をどれほど……。

 父母の言うことを聞きません。ですから、自分の家の中が、めちゃくちゃになります。わたしは、父と母に言うのです。村にかわいそうな人がいれば、米をすくい取って与え、このように言うのです。

 「そのように理解してください。お父さんとお母さんが、息子、娘をこのように(教育)したので、責任 を執らなければならないでしょう?  ですから、その息子、娘は滅びません。絶対に滅びません。見ていてください。私が標準としているものを、お父さんとお母さんは知りません。」と。

 女の人が子供を生んで、ご飯がなければ、家にあるお米を……。わかめは、どこにでもあります。それを包んでおいて、夜、分からないように、分けてあげるのです。それが、うわさになりました。「五山の家に行けば……」と。(先生の)目が小さいので……。

 十歳を超えると、おじいさんもおばあさんも、(わたしのことを)思いどおりにできませんでした。上に兄たちがいて、年下のいとこたちがいれば、わたしも、 お兄さん格の立場になるので、自分が中間にいて、手本にならなければならないのです。

 例えば、おじいさんが起きる前に、その部屋の前で待って、おじいさんの”せき”をする声が聞こえたら、「お目覚めになりましたか?」と言いながら、中に入ってあいさつをしなければなりません。

 それなのに、寝坊して、昼食の時間になっても姿を見せないので、朝寝坊をしておじいさんにあいさつをするとは何事か、というのです。それで、おじいさんがきせるをトントンとたたいて、訓示するのです。

 そのときに、わたしは話をしました。

 「おじいさんは、この家門のあるじでいらっしゃいますが、あるじたるおかたが、孫の前で訓示するの に、舅の立場にもなって、きせるで灰皿をトントンとたたきながら、人を諭すようなやり方が、この家の教育方法なのですか?」

 わたしが、そのように言うので、おじいさんも思い当たるところがあったのでしょう、「あやや。」と言いながら、姿勢を正し、それを片付けて、すまなかったという姿勢を執るのです。そのようにして、何度かやり込めると、それからは、むやみやたらに対することはできないというのです。それは、そうでしょう。

 父と母も、全員……。わたしの母も、どれほど頑固か分かりません。刃のような性格です。韓国の水沢里 (京畿道九里市水澤洞にある中央修練院のこと)にある (写真の)顔は、食べることができずに……。

 その(写真の)顔を見ると、わたしには、だれだか分かりません。(本当は、)美人です。美人でした。そ のような母を、わたしが……。親不孝な息子です。わたしがいれば、そのようにならなかったのですが……。

 しかし、神様を解放しなければならず、人類を解放するために、「申し訳ありません。北の地に埋められたあなたを、私の手で……。挙国的な民族の歓喜を受けながら、墓参りの日を必ず……」と、約束したのです。それを、死ぬ前に果たさなければなりません。

 それで、以北(北朝鮮)にいる、すべてのトップたちも、そのような贈り物を、わたしに送ってくれるの です。それは、金正日総書記の許可がなければ、贈ってくることはできません。 

 そのようにして、毎年、統一教会のどのような忠臣、どのような息子、娘たちから贈られてくる物よりも高い贈り物を、なぜ、贈ってくるのかというとき、すでに……。

 だれに、福を分けてあげなければならないでしょうか?  以南(韓国)にいる、統一教会のこじきの群れ に分けてあげなければなりませんか?  それとも、以北(北朝鮮)にいる、かわいそうな人に上げなければ なりませんか?  共産党でも、思想さえ入れ替えれば、訓練されているので……。

 怨讐の世界に連れて行かれても、その世界の軍隊で訓練をして、泳いで……。その国の飛行士が、この国に来れば、彼を怨讐の国の飛行士として扱うのではなく、この国の愛国の志士として、国の勇士として、最高に高級な飛行機を先に譲ってあげることができなければなりません。そのような国になることができなければ、滅びるのです。

 わたしは、そうです。米国の人でも、どこの人でも、人種が問題ではありません。韓国人。あなたたち! この韓国の人を愛しているのではないのです。
 わたしが、韓国で迫害を受けて孤独なとき、 逃げて回るとき、皆さんたちが血肉を削ってでも垣根になってくれ(たとでもいうのでしょうか?)、米国も反対しましたが、最後まで反対しませんでした。それが何年間ですか?  三十年間です。米国の地には、数多くの同志たちが隠れているという事実を、わたしは知っています。分かりますか? (「はい。」)
 韓国人であるということを誇ってはいけない、というのです。この(先生の)ような鉄石のような信念を 持った血族が韓国にいたがゆえに、神様が訪ねて来られたのです。そのようにして、わたしをつかんで放すことができない、そのようなかわいそうな神様を、わたしの父になろうとされて訪ねて来られた神様を冷遇することはできません。
 "自分の一族が冷遇し、この国が冷遇したとしても、わたしだけは、死ぬまで忠節を守って死ななければならない。”という、鉄石のような決意を持って、今まで耐えてきたのです。

 そうして、悪口を言われ、逃避して回りながら来てみると、今日、世界の宗教指導者たちを一か所に集め、世界版図において三十万以上を一度に祝福することができるまでになりました。それは、すでに天下は、わたしたちの懐に、すべて入ってきているということです。

 郭錠煥氏の話が、そうではないですか?  連れて来た人を前にしてみ言を語り、十二時間以内に祝福を受けてもらっているという事実は、仮想的な結論ではありません。抽象的な結論ではありません。実質的な結論です。事実的な結論です。これは、コンセプト(概念)ではありません。そのことを知らなければならな いというのです。
 「メシヤ」、「真の父母」の名を慕って、身もだえしたその時代と、今の栄光のこの環境を見るとき、神様が、どれほど苦労されたかというのです。実体を実体らしくつかんで、しがみついていくことに、わたし以上に苦労された神様に侍ることができなければならないのですが、そのうえで、孝子の道理を果たすことができませんでした。
 正月の朝が訪れてくれば、日の光を見詰めるのが恥ずかしいのです。過ぎていく一年を忘れて、新年を見詰めるとき、沈んでいく太陽を、恥ずかしい思いで見詰めなければならないと思うのです。
 そのような心情が継続し、今も”走ろう、走ろう。” と思っているのですが、八十歳になって、この足に、「この足め、行くべき道は遠い。こいつめ!」と……。 そのようにしながら身もだえし、決勝点に向かって行くマラソン選手のように、死ぬ前に、最後のラインに向かって撃破していくのです。
 死ぬときには、一歩でも、つま先だけでも、ラインを越えて前に倒れるのであって、後ろに倒れれば、これもすべて無効になるのです。そのように考えて走って来たという事実を知らなければなりません。
​​ メシヤの名も、それを守るために命を懸けて闘ったのも、実体圏を成し遂げるための闘いであったのです。​そのことが、どれほど難しかったであろうかということを考えるとき、名を信じて行く人になりますか、実体を知って行く人になりますか?​ (「実体を知って行 く人になります。」)​​
 知って、行かなければなりません。使いをさせながら行きますか、させてから行きますか?  はっきりと答えてみてください。尹博士!  李鍾益氏!  問題が深刻であるというのです。

​ それでは、先生が実体自体として願う、メシヤ的主体の前に、相対的存在は、どのようなものでなければなりませんか?  取り戻そうとする”私の名”と実体以上に、それを高めて、天の前に紹介したいと思うのが、父母の心なのです。そのことだけは間違いないということを、わたしは知っている人です。何のことか分かりますか?(「はい。」)​
 お金が千万金あるとしても、一日ですべて分けてあげても足りません。来年のことを考え、十年後のことを考え、後世、子孫のことを考えているのです。
 ですから、先生が残した威厳を何代まで、一代、十代、百代まで保管しながら、「父母様の代わりに、私を見て、父母様のように思いなさい。」と言うことのできる、そのような代を受け継いだ子孫が、百代後の人類の中にいるであろうかという問題を反問するときが、 何度もあります。それで、「千年、万年後に、統一教会はこうでなければならない。」と、祈祷した人なのです。 わたしを見て、称賛してはいけません。望んではいけないというのです。その道を行くために、今でも忙しいのです。
 きょう、この記念日、四十三回が訪れてきた最後の 切迫した最前線において、一歩でも踏み誤れば、千尋万尋もの地獄の穴に落ちるということを考えます。このような深刻な時であるということを思うとき、現れて話をするのが、申し訳ないのです。話せば、それが標題になるので、そのまま生きなければなりません。

 そして、「真の父母」の名を汚さず……。「真の父母」の名を持つために、春夏秋冬、のたうち回ったのですが、皆さんたちは、真の父母を知り、「真の父母」の名を支えるうえで、どれほど身もだえしましたか?
 そうして、実体に侍るうえで、歴史的な聖人、孝子をのろい、”彼らは、自分の十本指の中で、六本目の指にも入らない。”と考えて、"孝子、忠臣、聖人、烈女になってみせよう。”と決意したときが、いつありまし たか?
 李承徳氏!  ありますか、ありませんか?  正しく生きなさい、というのです、この女性たち。一年を生きるにしても。分かりますね?  韓国の女性を、黒人世界に植えてあげなさいというのです。それは、白人社会と、この国の伝統として残るのです。分かりますか?
 メシヤの名を守護するために身もだえし、"実体メシヤの家庭的勝利圏を失ってしまうかもしれない。”、“祝福家庭を失ってしまうかもしれない。”と、身もだえしているところに、敗者の存在として現れた聖進の母親が反対したという事実。それを忘れることができません。忘れることができないというのです。

 国を取り戻すための世界流浪の歴史を経て、ジプシーのような行脚を経ながら、国を呼び求めたということを忘れることができません。そのようなことを話せば、 皆さん……。
 痛哭することなくしては、わたしも話すことができず、言うに言えない事情を抱えて生きてきた人です。 だれかが一言、「先生は、こうでしょう?」と言えば、痛哭して余りある心情を抱き抱えているのです。

 きょう、明日、神様を解放して、神様がわたしを訪ねて来られて、「もう、やめなさい。」とおっしゃっても、やめることはできない生涯の道を行かなければなりません。なぜでしょうか?  八十歳になって、どうしてでしょうか? 四十代で、すべて成すべきことです。 恥ずかしいことです。皆さんが、国を中心として……。

 この多くの人たちが、責任を果たすことができなければ……。倭の言葉(日本語)で言えば、「腹切り」でもしなければならないでしょう。
 先生の実体圏勝利の覇権を死守するために、どれほど努力しましたか?  この者たち。何のことか分かりますね?(「はい。」)
 "千回死んでも、万回犠牲になっても、飛んでいっても、粉になっても、骨、骨髄をすべて粉にして、はげわしのえさにしても、恨の条件の墓を埋め、谷間を埋めることができ、大洋を埋めることができ、平和の山をつくることができるのならば、私が先頭に立たなければならない。”と、このような心を持たなければなりません。

 そうしなければ、今後、天の国の相続を受けることができる主流的な伝統の立場に立つことができるでしょうか、できないでしょうか?  できないということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)分かりますか、分かりませんか? (「分かりました!」)
 安昌成氏! (「はい。」)「分かりました。」と言いましたか、「分かりません。」と言いましたか? (「『分かりました。』と言いました。」)なぜ、口を開けて答えるべきなのに……。心で言いましたか、唇で言いましたか?(「心で言いました。」)心で言うのではありません。心と体です。(「心と体で言います。」)心身一体です。
 はっきりと知らなければなりません。今から、わたしは、帰らなければなりません。わたしは、そのことを知っている人です。話さないのです。分からないと思いますか?  ですから、皆さんが約束したことを、 四年が終わる前に、十二年が終わる前に……。
 それで、言論機関をつくったのです。ワシントン・タイムズをつくりました。UPIをつくりました。今では、言論界の王者の立場に上がってきました。大学連盟をつくり、尹博士の歴史的な銅像を立てようかと思っていたのですが、すべて流れていきました。
 わたしが手を出しても、それに合わせることができず、橋を架けて、二倍、三倍……°
 前を見ても責任を持ち、後ろを見ても責任を持ち、東西南北、どこかに、自分たちが責任を持ったものがありますか?  一つもありません。わたしが抱えて、踊らせてあげなければならないという事実を見るとき、 勝利のパネルを、十四万四千組の聖職者を教育しても、誇ることがありません。
​ そこには、神様の悲しみと、真のご父母様の悲しみと、わたしの息子、娘が犠牲になった祭物の痕跡が染み込んでいるという事実です。これを抱えて、身もだえしなければならない道が残っているのです。 ​
 皆さんたちは、国を取り戻すために行くべき道がありますが、わたしは、家庭を取り戻さなければなりません。ですから、時間がないという事実を知らなけれ ばなりません。お金を稼いで、補充することを願うのですか?
 尹台根氏?  (「はい。」)今回は、どこですか?  今回は、どこから帰ってきたのですか?  ロングアイランドですか? (「はい。行ってきました。」)何を捕まえましたか? (「調査を、すべてして来ました。」)調査したのなら、一匹も捕まえることができない調査が、何の役に立ちますか?
 皆さんたちがする調査は、わたしは、一日でやり遂げることができます。すべて知っています。わたしが稼いだお金で、食べさせてもらって生きていこうという人ですか?  皆さんたち自身が、稼いで食べさせることができる準備をして、稼いでみなさいというのです。皆さんたちの息子、娘を食べさせようというのは、 わたしが一銭も……。
 わたしの実力まで加えて、皆さんたち自身と、皆さんたちの子孫を助けてあげようというのです。三代以上を、わたしが世話をしていこうというのが、先生の考えです。分かりますね?(「はい。」)しっかりしなさい、というのです。世話にならずに。分かりますね? (「はい。」)
​ 今から、“先生の世話にならない。”と決心する人は、両手を挙げて、立ち上がって、誓ってください。(「は い。」)誓うことによって、先生の歴史について、「真の父母」の名と、真の父母の実体を守るために、どれほど身もだえしたかということを知らなければなりません。​​
 この世の中で、博士号がいくつあるかが問題ではありません。それでは、座ってください。
 勉強をしなければなりません。 さあ、決心したので、きょうの祝賀の意義は、今から一段階、一段階、高い位置に上がっていくことができるはしごに、しがみついて泣くか、それとも、穴を埋めるために地にしがみつき、スコップで地を掘って埋めるための準備をするか、です。この二つの中で、一つはしなければならないということです。
 始めたら、終わる時まで、自分の一族が、三代が、そこで死んだとしても、三代を復活させる、このような責任が……。そのようにすれば、間違いなく韓国も解放することができ、皆さんが所属した……。
​ 分かったでしょう? (「はい。」)

 さあ、そのように決心したら、きょうは、第四十三回、四十二周年の真の父母の聖婚記念日ですが、来年のお母様の還暦のときには、万歳、万歳、万歳するのに恥ずかしくないようにしなければなりません。その日のために、前進、前進を誓うことを決心したという事実を……。​
 体面と威信を失わないように、一方通行で、決定的解答を持って回れ右をし、天の国に行っている過去の先祖たちと、自分の氏族と子孫に至るまで、「 私について来なさい。」と、宣布することができる氏族的、国家的メシヤの代身者にならなければなりません。
 それが、現在、(自分が)置かれている立場であり、その立場で、天が任命しており、その任命に、宿命的な責任分担まで加えて訴えるということを、忘れないように願うというのです。分かったでしょう? (「は い。」)
 これを実践することを誓ったのならば、その方向に行ってみなさいというのです。それが、可能なことでしょうか?  問題ありません。反対がありません。三千里半島(韓半島のこと)のどこに心配がありますか? 
 さあ、そのように理解して、(一人の人を指されて) あなたは、歌がうまいので、一曲、歌ってください。 (歓声)(拍手)
 踊りたい人は、ここに出てきて、踊ってもかまいません。きょうの記念日に、わたしが賞を上げるかもし れません。
Family 2002.7 34

<完>




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
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