「夜の神様、昼の神様」の結婚式は基元節に行われた
偶然の一致かどうかまでは分かりませんが、2020.04.21付の私の記事「シムソン氏へ 「天の父母様」から新たなミッションです!!」で紹介していました「文鮮明先生出版記念会」のみ言(以下)ですが、天のお母様に会ってみましたか? ここにいるこの人(文鮮明総裁)は、天のお母様を本に収めようと、神様を解放し、太平聖代の環境をつくって戴冠式をしてあげました。神様の結婚式をしてあげたのです。神様の独り子の息子、娘が結婚(小羊の婚宴)したのなら、天のお父様は一人で暮らしますか? お母様がいないではないですか! 神様の血筋がないではないですか! 血筋がなくて息子、娘が出てきますか? 適当にしてそのようにはならないというのです。同日のcocoaさんのブログ記事「もう一つの真のお父様の秘密メッセージ!」でのYouTubeでもそれが引用されていました。以下は映像からです。ところが、この映像からは「御言葉選集613巻 44-47ページ」となっていましたが、まったくもっていい加減なものでした。実際には「御言葉選集612巻 324-325ページ」で発見しました。절대적인 그분은 사랑도 필요 없다 이거예요. 죽이고 살리고 마음대 로인데, 무엇이 필요해요? 알고 보니까 그런 하나님이 아닙니다. 제일 불쌍한 하나님이에요. 인류조상의 자리에서 핏줄을 연결 못 시켰으니 제일 불쌍해요. 핏줄이 연결 안 돼 있어요, 하나님과. 하나님 어머니를 만나봤어요? 여기 이 사람은 하나님 어머니를 택해놓으려고 어때요? 하나님을 해 방해줘 가지고 태평성대의 환경을 만들어서 대관식을 해줬어요. 하나325님의 결혼식을 해줘야 돼요. 하나님이 독생자 아들딸을 결혼해주면, 하 나님 아버지는 어드럴 것이냐? 혼자 살겠어요? 어머니가 없잖아요? 하 나님의 핏줄이 없잖아요? 핏줄 없이 아들딸이 나와요? 덮어놓고 그러 는데, 그렇게 안 되어 있다고요. 그러니까 잘 들어요.また、私からの日本文と映像を比較した時、「天のお母様に会ってみましたか?」が抜け落ちているだけでなく、「ここ、この人」も文鮮明総裁ではなく「韓鶴子オモニ」とすり替えては神様と韓鶴子総裁との(基元節での)結婚式を打ち消そうと躍起になっているようにも思えます。ではでは、2013年の基元節でその結婚式が成されたのかどうなのでしょうか?文総裁聖和もあって華やかではありませんでしたが、振り返ってみれば、御父母様入場とか随所に結婚式の演出されていたようです。また、最後は瞬間でしたが立体映像(合成写真ではなく)まで駆使してのそれもありました(以下フォト)。まさに、「夜の神様、昼の神様」の結婚式でした。【参考記事】あぁ、基元節よ 永遠であれ(2013.02.20)あぁ、基元節よ 永遠であれあれほどに、天の父母様と真の父母様が、指折り待ち焦がれられた基元節が、創世以後、失われた新天新地が、もう一度、開かれる 胸がいっぱいの基元節が今 私たちの前に 夢のように近付いてきた。開放と釈放の完成的な喜年が実現されました。天地が開けた初めの時の不従順によって失われた本然の血筋がもう一度、引き継がれ夜の神様が、今、実体をもたれ光を見られるようになった。基元節の聖酒式を神聖に終えた夜、全羅道の田舎の教会長の小学生の幼い娘さんが、真の父母様が、皆に新しい時計を贈ってくださる夢を見たといいます。基元節入籍祝福は、重生、復活、永生への最後の完成祝福です。真の愛の主人公であられ、絶対忠臣、孝子であられる真の父母様の骨の削られる苦労と精誠で全ての条件を探したて、全てを成し遂げられいま、ついに基元節をひらかれました。6000年という長くも長い、泥のような闇を切り開き今まで誰も見ることのできなかった、光明な新しい朝、新しい朝日がまぶしく昇っています。新天地が、どのように、どなたを中心として開かれるのかも知らず新天地の掛け声だけを叫び、さまよう群達も世の中には多くいます。ヨハネの啓示録22章14章に記録されている生命の木は完成したアダムとして来られる子羊であられる子羊の新婦を迎え成婚されれば、真の父母なるという事実を、、!なぜ、この簡単な真理を知らずにいるのか?終わりの日に 真の父母様に出会えば、生きる道が開かれるのだ!インディオ文明を起こしたマヤ人たちが、2012年が人類の終末ということを知っていました。イエスキリストの誕生を起点にAfter Domineは、2012年で終わり今は、天の父母様と真の父母様を中心とした永遠なる天一国元年がはじまったのだ。1粒の種が地に落ち、死ななければ1粒そのままあり死ねば多くの実を結ぶのである。真のお父様の代身者、新宗族的メシアが一千一万と立ち上がり、全世界を炎のように前進してゆくのだ!私たちの、知恵と情熱と力を集め、前に前に進んでいきましょう!生きておられる天の父母様と真の父母様が大きく役事されます。もう、私たちには勝利の勝戦鼓を響かせることだけ残りました。自由で平和で正義が大河のように堂々と流れる幸福な国統一天一国が出発する、、、あぁ、基元節よ!永遠であれ!基元節を待ち焦がれながら日田 金会得 (群山 教会長)日本語 飜譯 吉田美里黒・天聖経「真の神様」からの引用は以下ですが、 神様が人を造った理由は同じ父母の位置に立てるためであり、体を着るためなのです。ですから外的な神様はアダムとエバであり、神様は内的な神様なのです。体的な神様がアダムとエバであり、心的な神様が無形の神様です。その神様が人類の父母です。本来の父母です。その父母が何人もいるのではありません。一人です。一人なので、その一人の方が入ることのできるアダムとエバ、男性と女性の二性性相をもった分聖殿のようにしておいて神様がそこに入るのです。神様が臨在して作用してこそアダムとエバの二人が理想的作用をするのであって、神様が作用しなければ神様のみ旨も何も分からないのです。 * 神様は父の位置、父母の位置に立ったお方です。人間を地の神様として立て、創造主である神様は天の神様として縦的な神様として立てて、これが天地合徳し、こうして愛によって生きようというのです。神様も一人では寂しいのです。 * 創造主は縦的な真の愛を中心とした縦的な父であり、堕落していない本然の人間祖先であるアダムとエバは、完全に九〇度で一つとなることのできる位置に立った完成した父母、横的な体の父母なのです。創造主は真の愛を中心とした心の父母であり、アダムとエバは横的な体の父母なのですが、この二つが合わさって天の父母と地の父母が一つとなり、天と人が合わさって息子、娘が生まれたならば、この地に生まれるすべての人々に宗教は必要ないのです。そのままで神様の国へ行くのです。堕落ゆえにこのような複雑な問題が生じたのです。そうなっていたならば私たちの体と心が分かれるということはなかったことでしょう。-----(ほか)「夜の神様、昼の神様」の結婚式のことが既に語られていたものでした。※黒・天聖経はサンクチュアリ教会の中村仁史氏が翻訳したものであると自負していました。彼自身も、この文章からの「天の父母様」を見忘れてはいないでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓