真摯に日韓の架け橋に半生を生きた,真面目な人柄が懐かしい
この写真の時計は、昨年末、他界された私の知人の高田氏の遺品です。故高田氏は1970年代、日本との合弁で設立した大韓酸素の副社長として夫婦で8年間、ソウルに赴任された方です。帰国後、70年代の韓国社会を知る日本人,韓国ウォチャーとして色々な集まりや講座に参加される一方、在阪韓国教会の長老として夫婦で日韓親善のために活躍された方です。当時、多くの日本企業が技術移転を拒む中、韓国社会の為と、自分の知りえる全ての技術を韓国社会に供与されました。後に、その功績が認められ、帰国時には、当時の金 容三大統領から記念品として、頂いたのが青瓦台の文様と大統領の文字入りの時計がこの写真です。おじいさんの自慢の一品でした。韓国を愛するがゆえ、忌憚の無い韓国批判もされ、私も色々と教えられました。無責任な匿名で卑怯な嫌韓批判が多い昨今、真面目な人柄が懐かしく思い出されます。旧帝大四高(現在金沢大学)を卒業され、大阪大学に通う傍ら、海軍航空隊に所属しされたエリート中のエリートでした。70年代の渡韓中に日本に住む息子さんが急死されたにものかかわらず、当時は帰国許可が下りずに、葬儀にも出れないという悲しい出来事を経験され、おまけに、晩年は、6年の長い期間、脳の手術で突然、奥さんが植物人間で寝たきりになられ、心労が絶えない苦労の連続でした。そんな中にあっても、「自分がお世話になった韓国人にお返しするんだ」と、留学生の足長おじさんをしたり、陰ながら自分の出来る範囲で、日韓の橋渡しをされてました。私は、7年前にある勉強会で偶然出会って意気投合し、それ以降、息子代わりとして一緒に歩んできました。早、亡くなられて最初のお盆がやってきます。天国でこのお世に残して来た奥さんの事を気にしてるだろうな~と思う昨今です。でも、故人との約束、最後まで、おばあちゃんの面倒はみます。安心してください