麻生太郎と言う人?魚住 昭著 『野中広務 差別と権力』講談社,2004年
私が、ブログを始めて実感したことは、この社会にはまだまだ、マイノリティーに対する差別が現実に無くなる所か、かえって増幅してるんだという事実でした。韓流ブームはブームでしか無かったのか?と疑う時すらあります。気軽に韓国の事や色んな話題を綴ろうとしてた自分が、net右翼の差別書き込みの繰り返しにあい、それが引き金で「寝た子をに起こした」結果となったのかも知れません。決して過去の事例を掘り下げて論じたり、声高に自己主張するつもりなんて全然ありません。今は、彼らnet右翼に屈せず、あった事実をしっかり話す事が大切ではないかと思っています。「過去を忘れたものは未来を無くす」広島の平和公園にある韓国人被爆者のモニュメントに書かれた三重県の高校生達が残した句碑です。下記の事実は、その一部の事例でしかありません。時間がありましたら一読下さい。麻生太郎外相が、自民党総裁選に立候補を表明しています。麻生外相が自民党総裁に当選することは日本国総理大臣への就任となります。 かつて、政調会長時代の麻生外相が日本国総理大臣職について「部落差別発言」を行った事実が忘れさられようとしています。このようなことが許されてよいのか非常に憤りを感じます。 麻生外相の総理大臣就任は日本国民が「部落差別発言」を容認したことにもなりかねません。 これまで様々な人物や書籍で麻生外相の「部落差別発言」が告発されていますが、日本国民の間に事実が知られているか疑問を感じます。 よって、この情勢を考慮してこのブログでも麻生太郎外相の「部落差別発言」を角岡伸彦『はじめての部落問題』文藝春秋,2005年から引用して取り上げたいと思います。 記麻生太郎の”就職差別” はたして、日本に部落差別はないのだろうか。国政の場であった差別発言を最後に取り上げたい、 部落出身の元衆議院議員・野中広務の評伝『野中広務 差別と権力』(魚住昭、講談社、2004年)に、野中が政界でどのようにみられていたかが詳述されている。 永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼が政界の出世階段を上がるたびに、それを妬む者たちは陰で野中の出自を問題にした。総裁選(2001年=角岡註)の最中にある有力代義士は私に言った。「野中というのは総理になれるような種類の人間じゃないんだ」 自民党代義士の証言によると、総裁選に立候補した元経企庁長官の麻生太郎は党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、「あんな部落出身者を日本の総理にできないわなあ」 と言い放った。 麻生事務所は「地元・福岡の炭坑にからむ被差別部落問題についての発言が誤解されて伝わったものだ」と弁明しているが、後に詳しく紹介する野中発言によると、大勇会の議員三人が麻生の差別発言を聞いたと証言しているという。(第十六章 差別の闇) 2003年9月21日、野中は最後の自民党総務会に臨んだ。議題は党三役人事の承認である。楕円形のテーブルに総裁の小泉や幹事長の山崎拓、政調会長の麻生太郎ら約30人が座っていた。 午前11時からはじまった総務会は淡々と進み、執行部側から総裁選後の党人事に関する報告が行われた。11時15分、会長の堀内光雄が、「人事権は総裁にありますが、異議はありますか?」 と発言すると、出席者たちは、「異議なし!」と応じた。堀内の目の前に座っていた野中が、「総務会長!」と甲高い声をあげたのはそのときだった。「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます。」 と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!。」 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。 (エピローグ) 野中が小泉首相も出席した総務会で差別発言を指弾したにもかかわらず、不幸にも、麻生(福岡8区選出)はその直後、部落差別の担当官庁である総務省の大臣に就任した。泥棒が警察官になるようなもので、これほど不適切な大臣登用はない。 麻生は後に、衆議院総務委員会でこの問題を追及されたとき、「そのような発言をしたことは全くありません」と事実を否定している。ではなぜ、野中に指弾された総務会の席上で「何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった」のか、不可解である。 その後、この問題発言は、うやむやになってしまった。しかし、部落出身という理由による総理大臣就任阻止の動きがあったとすれば、未遂ではあるが、有権者の代表である国会議員による”就職差別”である。 著者の魚住のルポがなければ、麻生の差別発言は公に知られることはなかっただろう。その意味でも部落差別は見えにくい。なくしてきた結果、部落差別は以前より厳しくなった。とはいえ、まだ残っている。それは目をそむける者には、決して見えない。 (以上、角岡伸彦『はじめての部落問題』文藝春秋,2005年より103ページから106ページを引用)参考文献:魚住昭『野中広務 差別と権力』講談社,2004年 角岡伸彦『はじめての部落問題』文藝春秋,2005年 角岡伸彦『被差別部落の青春』講談社,2003年 野中広務『私は闘う』文藝春秋,1996年 野中広務『老兵は死なず 野中広務全回顧録』文藝春秋,2003年 小林よしのり『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル』解放出版社,1995年 山下力『被差別部落のわが半生』平凡社,2004年 川内俊彦、貝原浩『部落差別と人権』現代書館,1992年 みなみ あめん坊『父さんが、父さんになったわけ』情報センター出版局,1993年 上原善広『被差別の食卓』新潮社,2005年