被災後の日記・3 追記あり
満願寺・十一面観音 ↑Click!今日は観音像のご開帳の日だったのだが、震災の影響で中止になっていた。満願寺の観音堂の別当は桑折町の無能寺だそうで、お寺が今回の地震の被害に遭った上に、ガソリン不足で移動手段が確保出来なかったらしい。今回ご開帳予定だった観音像以外にも何体か祀られているのだが、1体だけ傾いただけで、何事もなく無事だったそうだ。折角だから写真を撮り、お線香をあげていると、観音堂の管理をしておられる方がお見えになったので、祀られている仏像の説明や就職の話、今後の町の事などを話した。震災の後だから入っていた予約もキャンセルが相次ぎ、観光面での活性化が危ぶまれて来た事を憂慮されていたのだが、確かに暫くは温泉や観光面での呼び込みは困難だと私も思う。今後如何すればいいのだろうと考えながら、町並みを眺めながら歩いていた。営業の行われていない旅館やホテルの活用方法として、高齢者向けの住宅施設に改装される建物があったことを思い出した。飯坂町で使われていないホテルや旅館を、被災者の方々の住まいに使う事は出来ないだろうか?ホテル形式の建物も随分とあるから、取り敢えず使用可能に整備するだけで、プライバシーの守れる空間がたくさん確保出来るのでは?それから、飯坂町の今後だが、今回の震災で観光での町おこしが厳しくなったので、私からの提案として、昔ながらの生活の知恵を若い世代に引き継ぐ町として動いたら如何だろう?今回の震災で、ガスや電気、水などのライフラインが絶たれて、現代の便利な生活に慣れた方々は随分と困ったと思う。洗濯はたらいと洗濯板を使い、濁った水の濾過をするなどの生活の知恵や、お寺での伝統・風習などの継承など、どんどん失われている日本独自の文化を、次の世代に引き継ぐ町にするのだ。引き継ぎ方は体験学習という形で、講習会や合宿などを行うというのはどうだろう?高齢者の方々も話し相手が欲しくて寂しい方が多いご時世、核家族でお年寄りから生活の知恵を学ぶ機会がなくなった今、ひとりで子育てに悩み、挙句の果てには我が子を殺すという若い母親など、悲しい事件も起きるようになった。多くの犠牲者を出し、街を壊滅させたこの震災は、ひょっとしたら、再び私たちに生活を見つめ直し、やり直せという警告なのかも知れない。戦争などのいろいろな経験をされて来た先輩たちと、これからの世界を背負って立つ若い世代が交流しながら、伝統と文化、生活の知恵を学んでいく場を作る町として、是非頑張って頂きたいと私は思う。日本人なら、日本の文化を守らないとね・・・。【 追 記 】福島には自然が多いので、もっと自然と触れ合う機会を作り、物を作ったり、育てて収穫する喜びを教えられたら良いね。