慌ただしさ。
昨日(21日)未明にまるが息を引き取り、朝9時にかかりつけの病院に行って主治医のI先生に死亡確認して頂き、綺麗に処置してもらって家に戻ってきた。 病院では、いつも受付にいらっしゃるクールビューティーなT先生が涙を浮かべて声を掛けて下さった。他のスタッフにも泣いている方が居た。1年2ヶ月の間、母がまるを連れて通い続けたK動物病院。まるも私たち家族もこの病院に出逢えて本当に良かったと思う。 病院からの帰宅途中、近所のスーパーでドライアイスを3枚(特別に、内緒で!)分けてもらった。家に戻って火葬の手配。今日(22日)11:30からの予約を入れた。 この気候のせいもあり、クーラーをガンガンに効かせた部屋でも、自宅安置できるのは1日が限度。 あっという間に火葬場へ行く時間。出張が多い父や、時間が不規則な仕事をしている弟も来ることが出来、家族みんなで行くことが出来た。 火葬場は家から車で10分ほど。こんなところにこんなモノがあったのね、という感じ。事務所のような入り口を入ると、そこには火葬炉と小さなホールがあって、そこで最後のお別れを済ませて見送ることができる。 まるは、カチンカチンになる死後硬直がなくて、桐の棺桶に移し替える時に弟が抱き上げたら、本当にフニャッとしていて、まるで眠っているようだった。でもまるのお腹に巣食っていた癌の患部が何とも言えない色に変色していて、それが死んでいるという証のようだった。 お棺に入れるお札の裏に全員で順番にメッセージを書いた。私が“ありがとう”と書くと、平仮名が書けるようになったばかりのムスコがその上に“まる”と書いた。お花をいっぱい入れて、みんなで撫でて、最後のお別れをした。息子は「天国に行ったらいつでも会えるの?もう会えないの?」と聞き、必死に泣くのを堪えていた。ムスメはまだ事態がわからないから、私が泣いていることの方が不思議なようだった。 1時間半ほど経って声がかかった。焼き上がったまるは、頭の骨も、いつもいつも撫でていたおでこから鼻のラインがそのまま残っていた。尻尾の骨も、爪の一つ一つも、綺麗に残っていた。係員のUさんは、熱い台車の上で老眼鏡をかけながら箸で細かい骨の一つ一つまでそれはそれは本当に丁寧に集めてくれた。人間の斎場の係員にはすれっからした人が多いのに、Uさんは全くそういうところが無くて、この人にやってもらえて良かったと思えた。 帰りに近所のファミレスで遅い昼食。しかし、食べても食べなくても、すごく胃が痛い。 家に戻って、子供達がぐっすり昼寝している間に母の部屋の棚を一段片付けてまるの居場所を作った。お庭に埋葬するまでは、ここがまるの居場所だよ。 息を引き取ってから、骨になるまで、本当に慌ただしくあっという間に過ぎた。でも、人でも、ペットでも、死後はこの慌ただしさ、時間のなさが逆にいいんだと思う。何日も安置しておけたら、きっとますます別れが辛くなり、それこそ腐敗してもミイラ化しても一緒にいたい、というようなちょっとおかしな事になってしまうかもしれないし。 時間が限られていて、やらなきゃいけないことがいろいろあって、バタバタと過ぎるから、辛うじて理性が保てるのかもしれない。 だけど、今はやっぱり寂しくてどうしようもない。無条件に涙が流れる。