古い日記
人によりけりだと思うけれど、昔書いた日記って、総じて黒歴史ではないだろうか?・・・少なくとも私はそう。多分、このブログも、古い頁によっては、読み返して『ああああああああああああ』なんてことになる可能性もあるだろう。なにしろ私は、日々思う事をストレートに書きすぎる事がある。そんな私が見つけたのは、私が学生時代にノートに書いた、オーソドックスな日記であった。因みに、キッチンに隠してあった。・・・これは、怖い。何を書いたか皆目覚えていないのだが、きっと熱くなったり寒くなったり、・・・ああ、考えただけで嫌な汗が出そうだ。断捨離序に見つけた古の日記、これは、真っ先に断捨離対象ではあるまいか。見れば精神衛生によろしくないのではないか?と、しかし私はページをめくってしまった。私はとにかく日記が苦手で、三日坊主ならずとも、三か月保ったことがない。だから日記はノートの半分で終わっており、数年後家計簿となって、最後までノートとしての使命を果たしてはいた。生まれて初めてパーマを当てた日の事が書いてあった。学校行ったら「感じ変わった」と皆に笑われた、とふくれており、(確かに、髪に全くかからないパーマに5時間かけた結果、チリチリボサボサになった)続く言葉に少し驚いた。私は友人のファッションチェック?批評をしているのだ。‐ ○○ちゃんはいつも可愛いなあ、あの子地味というかさっぱりしていて、 定番のジーパンにシャツが全く見飽きない。 私は母の言う“お洒落”よりあの子のお洒落を見習いたい。‐ ○○ちゃんも上手、あっさりしていたりかっちりしていたり、着合わせに全く違和感がない。 自分に似合う色をよく解ってるみたい。‐ 派手じゃない○○ちゃんも、髪留めやネックレスでうまくアレンジしてる。 さりげなく靴下が“world Polo”だったりしてニクイ。へぇ誰だよこれ書いたの。 素直に人を賛美できるいい子ではないか。ン十年前の自分が、少しかわいく見える。 不思議なやや左上がりの文字体で、みっちりノートを埋める私の言葉。誰に見せる訳でもない日記。今の私にてらいなくこれが出来るだろうか。‐ ダメなのはあたし。自信なくしちゃう。うまく着合わせ出来ない。 ジーパンとTシャツいいじゃないか、でもそうすると母がやかましい訳よね覚えていないが、私は母に服装についていろいろ言われていたらしい。そういえば高校生時代は、何を着ていたのかさえ覚えていない。冬は、学校指定のコートを羽織っていれば、何となくサマになったから。大学デビューした頃は、着るものが無くて妹の服もよく借りた。少し、あの頃に思いを巡らせてみた。素直に人を羨む気持ちを持ち、自分を鑑みて不出来を嘆きはするが、可能性を捨てない。・・・若い、ってことだ。今でなければ出来ない事もあるが、当然若い時分でなければならなかった事もあるだろう何かを捨てて、何かを得て、・・・何を得たんだろうな私は。日記はその他にも、久しぶりに逢った友人への述懐や、なにかと不甲斐なく思う自分への戒めなどが続き、‐ 私だって気ィつかってるもん。 とやかく言われるの我慢なんない。 私だって疾風怒濤(シュトゥルム ウント ドラング)の時代をクリアして・・・ふぁっ、もうやめよう。親にいろいろ言われることに不満を持っていたらしい自分が、誰にも言えない胸の内をノートにぶつけるくだりで、私は恥ずかしくなってノートを閉じた。わざわざルビまで打つとは。あああああああああ、誰だこんなイタイの書いた奴。さて、この日記、断捨離(る)か・・・あと10年経ってから今一度これを開いたら、やっぱり嫌な汗をかくんだろうか?素直な自分、思いあがった自分、何の責任も持たず、批判も賛美もストレートに言葉に出来たあの頃。こんなにも痛々しくて、こんなにも愛しいのは、きっと、歳をとったから。私は元在った場所に、ノートを再び隠した。見えるところには置いておきたくなかった。もう何十年かしたら、きっと笑い飛ばせるはず。その時自分が何をして、何に向き合っていて、世界がどうなっているか。・・・想像もつかないけれども。そうしたら、この日記、捨てちまえ。