小林一茶の自由律俳句
小林一茶は宝暦15年5月5日、信濃の柏原村に生まれた。我ときて遊べや親のない雀この俳句のイメージが強くて一茶という人は枯れたような、悟ったような老人のイメージがあった。大きな間違いであった。先日、歯医者の週刊誌を読んでいたら一茶の日記に性生活が細かく記録されていることが書かれてたので読んだ。一茶は52歳のとき28歳の若い妻を迎える。週刊誌では一茶の54歳、妻30歳のときの記録が書かれてた。うろ覚えだが・・・〇月〇日、交3回〇月〇日、交5回〇月〇日、交4回ま、毎日、自分のせっくすの回数を記録してるそうなんだ。54歳で平均3~4回というのは同輩の諸君よ!君に今、その力が残っているか?で、おれは一茶が羨ましくてその後調べたんだが54代でのせっくすのしすぎが影響したかどうかわからないが・・・一茶を有頂天にさせた24歳年下の妻との間に二男一女をもうけるのだが、長男、長女、次男は次々に死に、三男に恵まれたものの妻にも先立たれた。そして、三男も、また、母のあとを追った。一茶の人生に春の陽がさしたのも束の間で、中風を病んでいた一茶が、ぽかんと取り残された。もともとの一人前ぞ雑煮膳翌年、一茶は後妻をめとったが、この後妻とは3ヶ月で別れた。(理由は何となく想像できる・・・)さらに一茶は3度目の妻を迎えるが、火事の災難にあい、焼け出されてしまう。なんとか焼け残った穀物蔵(上の写真)を修復して仮住まいをしたが、一茶はこの土蔵の中で中風の発作に見舞われて、1827年11月19日、65歳の生涯を閉じた。通し給へ蚊蠅の如き僧一人痩蛙まけるな一茶是ニ有うしろから寒が入る也壁の穴雀の子そこのけそこのけ御馬が通るやれ打つな蠅が手を摺る足をする蝶一ツ仲間ぬけしてすねるかよトンボウが焼どの薬ほしげ也