楠久川
「ますや」と「あずまや」の間の細い路地を抜けると楠久川には木の橋がかかっていたんだいまはもうまい・・・「ますや」も「あずまや」もやがてどこだったのかもわからなくなってしまうのだろう 「しらうお」なのか「しろうお」なのかいまだにはっきり区別がつかないんだがちいさなしろいさかなにちがいはないいまも村人のだれかたちが季節になると網をこうして仕掛けている姿がみられる 楠久津には路地というか数軒の家々に名前がついていた(後日詳しく書く)そして楠久川の南側の道を「新田(しんでん)」と呼んでいた。その新田の道の南側に本当に狭い土地を祖母がかりて野菜を作っていた。誰からかりた土地なのかも知らない。我が家の畑だと思っていた。とうきび(トウモロコシ)が実ったことだけをはっきりとおぼえている。 実を言うと「楠久川」も「楠久橋」とかいう呼び名になじみがないのだ川なのか海なのかわからないのが楠久川だったし川遊びといってもかなり危険で海水だったから福川内のほうから流れてきてて荒熊稲荷神社の横あたりまではたしかに田舎の川のような景色なのだが山代座のあった橋あたりから先が僕らにとっての川なんだが・・・縄屋の裏に石段があって川までおりていけたがフナムシがたくさんいていっせいに動き出すのが子どもの頃はすこし気味がわるかったんだ・・・ きれいな川ではなかったがまぎれもなくぼくらのふるさとの川にまちがいない資料:楠久川水系