義士まつり&もちつき
毎回どんだけ休んでんねんとつっこまれそうだけど…山科には大石神社があり、たしか大石内蔵助が討ち入り前にすごしたゆかりで神社にまつられているのだろうと思うのだけど、山科にすんで五年目やっと義士まつりにいってきました。渋滞を引き起こすほどの人数での行列(四十七士だからあたりまえか)大がかりではあるけど、いたってローカルな雰囲気がたたよい、そして幾度かあげられるかちどきの掛け声「えいえいお~……」はちと勢い足らず…といいつつも出発とヒカリ屋で行なわれた芝居は楽しんだ。うちに一番近い幼稚園のちびっこも四十七士に扮し出演、それを取り巻くビデオカメラ。そうとおくはない自分達の姿に重ねた。わたしはカメラは好きだけど、オットさんは心に焼き付けたいタイプ。といっても私は写真を撮るのでしかも結構アングルとかこだわるので彼とモモのいい写真はあるが私のはほとんどいい写真が残らない。ところでわが夫婦はなぜか赤穂浪士に縁がある。オットさんが新卒で配属されたのは赤穂。結婚直前まですんでいた。正しくは私の荷物までいれ,さあ結婚式だ、という一週間前に現在の野洲市、中主町に転勤。そこでも赤穂浪士の一人の出身地として神社にまつられていた。そして山科へと引っ越してきたのだが、またここでも。どんな縁があるんだろうね、と、まつりをみながら夫婦で話した。そして今日はやっとすっきり晴れて、ときどき園庭解放にいっている疏水添いの幼稚園へ。餅つき大会だったのです。どんどん蒸したてのもち米がつかれていく。つくのはお父さんや、高校生や中学生のおにいちゃんたち。ここは人数はすくないものの、上に小中高とある。モモが興味津々に石臼のなかのもちに手をだそうとするのを、やさしく肩をもって小学生のおにいちゃんが引き止めてくれた。未就学児はお餅をいただける順が最後だったのでおいしそうなお餅に飛び付くのを止めるのに必死だったので救われました。しかもおにいちゃんたちの言うことは聞く!なんだぁよ~途中、年長さんたちは自分達が育てたお米を小さな杵で自分達でついていた。素朴な玄米餅ができあがっていた。素敵だなあこういうの。お餅にも有り付き、お腹も膨らみ、モモはその後一時間、滑り台をのぼったり、アスレチックのぼったり。ご満悦。ただ、上の写真のとおり、木のお家をお店に見立てて、「いらっしゃしゃせ~(いらっしゃいませ)」と、延々30分。すでに、餅つきが終わって1時間。かえろうよおお。と、最後には、モモを肩に担いで帰ったのでした。ちなみに、なぜか、なかねちゃんとこの甘えた坊くんが餅つき大会にいて、なかねちゃんがいない!謎だ!と思っていたら、お友達(?)が甘えた坊くんも一緒に連れて参加していた模様。びっくりした~でも、ひさびさに、相方にあってうれしそうなモモでした~。