カテゴリ:日本の旅
4月3日、ちょうど満開を迎えた桜を観に彦根を訪ねた。 彦根へは、どんなに車を飛ばしてもわが家から5時間は優に掛かる。 だが、彦根城の桜が一番好きだと母は言う。 濠を囲む咲き誇った無数の桜の競演もさることながら、一本一本の枝ぶりも花弁のまとまりも別格の美しさだと私も思う。 彦根行きを決めたのは、先月末のことだった。 その日の朝、行きつけの喫茶店で古い雑誌を開いた私は、こんな記事を偶然目にした。 「城にはなぜ桜が咲くのか」 その中で、日本城郭史学会代表(当時)の西ケ谷恭弘さんはこう語っていた。(以下、抜粋) 日本の城址を訪ねると、近くに靖国神社が建てられていることが多い。 明治4年の廃藩置県により、日本のほとんどの城郭は破却され、その跡地の広々とした城址は、招魂社や学校、軍用地などに利用される。 招魂社は東京では靖国神社、地方では護国神社と呼ばれ、戦死者の霊を祀る社であり、その霊を慰めるため桜が植えられたのがそもそものきっかけである。 明治政府は桜が一斉に散るさまを「潔し」とし、武士道精神に関連付けて桜の植栽を進めた。 護国神社の桜は、やがて城址も埋め尽くしてゆく。 折しも明治34年、土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲の「荒城の月」が発表され、城と桜の結ぶつきを強めた。 城と桜は、明治維新以降に結びついたもの。 戦国から江戸期まで、何の関係もなかったと、西ケ谷さんは言っている。 本来、城に植えられた木は松だった。 松並木は防風林となり、夜警の松明や柵を作る用材にも使え、樹皮の下の白く柔らかい部分は水でふやかせば救荒食にもなる。 また、松脂は油や止血剤にもなり、松茸も採れる。 松山城や高松城など、名前に松を冠する城が多いのはその名残である。 読みながら、そうだったのかと納得した。 以前も彦根で花見をした際、昭和9年に桜を植えるまで彦根城に桜は殆どなかったと耳にしていた。 また、彦根城前には滋賀懸護国神社が鎮座している。 私が20代半ば頃、職場のデイサービスで「同期の桜」を泣きながら歌っていた明治生まれのおじいさんの顔も思い出された。 今では桜のない城など想像すらできないが、名城には桜が本当によく似合う。 そう改めて感じた花見となった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.07 04:20:09
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