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カテゴリ:ピンク・レディー
ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューしてから25日に42年を迎え、43年目に突入しました。(ちなみに「解散やめ宣言」以降ピンク・レディーは過去のものではなく、現在も存在するものとなっています。)
今もなお、毎年多くの方が芸能界に入り、ほとんどの方は、名も知られぬまま去っていく厳しい世界で、今なお、お二人が輝いておられるのは、お二人の「努力の賜物」でもあり、また多くの方々との出会い、支えがあったからでしょう。 デビューしてからしばらくして、私の故郷金沢では当時民放は二局それでもしかありませんでしたが「ピンク・レディー」をテレビで見ない日はない(歌番組が多かったこともありましたが、CMにも多数出演していましたからね)日々でした。 「二人の前で世界は踊った」というのは、本当だったと思います。 ピンク・レディーは、42年前も今も圧倒的な存在感は変わりがないことは、昨年末のレコード大賞出演で明らかになったものと思います。 「解散やめ宣言」後のコンサートでも当時の熱狂を知らないような若い方々が多数お見えになっておりました。 ピンク・レディー号は「憩い」も「癒し」も「安らぎ」も「喜び」、「驚き」、「楽しみ」、「力強さ」も提供してくれる豪華客船のような存在だと思っています。 故阿久先生は、「おもちゃ箱」のような存在とピンク・レディーを位置づけ、その出来栄えばかりではなく、どのようなラッピングをすればよいかを考え、楽しく作詞されたとも聞きます。(当時、出される新曲を楽しみにしていた気持ちと重なるのは、このような仕掛けがしっかりとされていたからなのでしょう。) 皆様方の多くは、ピンクレディーのお二人が、番組「スター誕生」出身だということはご存じだと思いますが、「優勝」してはいないんですね。優勝は清水由貴子さんでした、ですから、ドラフト一位などではなく、ドラフト下位指名選手のようなものです。だからこそ、「正統派アイドル」路線ではなくおもちゃ箱のように「チャレンジ」できたことは「奇跡」を生む一つの要因ではあったのでしょう。 42年の時を経ても、なお多くの方々を喜ばせてくれる「おもちゃ箱」とはやはり「とてつもない」と表現するのがよいのではないでしょうか。 この時期には、毎年、ピンク・レディーに逢わせてくれて「ありがとうございます」と感謝の気持ちになります。 そして、ピンク・レディー号が、これから、また多くの港に立ち寄る機会があることを願っています。 まあ、これは、お二人の心が共震した時、共鳴し合った時、そしてまた多くの方々がそれを支える時になるのでしょう。 やなりケイちゃんとミーちゃんそろってのピンク・レディーなのですから。 ピンク・レディー誕生に大いに影響した 言葉の魔術師であり、時代を作り、今なお、記憶にも記録にも残る作詞家の阿久先生 世間の目をブラウン管の前で釘付にした振付師の土居先生 「スター誕生」で獲得に動き、「やがて世界のエンターテイナーへ」と熱くお二人の心を震わせた事務所の相馬さん 彼ら恩人は、天国から今もお二人を暖かい眼差しで見守ってくれているものと思います。 当日のケイちゃんのブログには 丸42年のデビュー記念日 2018-08-25 14:10:29 今日8月25日は、丸42年のデビュー 記念日です💕 早いな〜〜 一生 忘れない、忘れられない大切な日💕 42本のピンクの薔薇が届きました🌹 #増田惠子 以上増田惠子オフィシャルブログ「Yes! My Life」より引用 ファンにとっても忘れない、忘れられない大切な日です。 9月1日、3月31日なんかも「忘れられない日」には入るでしょうか。。。 とにかく、これからもピンク・レディーを応援し続けるつもりです。 何より、お二人の幸せを願っています。 「力を、笑顔を、幸福を与えること」は素晴らしいことで、願っても手に入れられないものです。 「幸福」を多くの方々に与えてきたお二人自身が、幸せであること、これまたファンの願いでもあります。 私は、微力ながらピンク・レディーの、増田惠子さんの魅力をこのブログを通して、少しでも伝えていければなと思っています。 文責 上田 和哉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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