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今週、近所にあるメガバンク・三菱UFJ銀行の支店が営業終了となりました。
終了前日の店舗入口。 終了後の入り口。 昨秋に判明した武豊支店の店舗閉鎖。 その報せを受けた時、我が積年の恨みがようやく成就するのかと心の底から快哉を叫びました。 この銀行の前身である東海銀行にはいろいろと思い出があります。 何度か書いていますが良くない思い出ばかりなんですが。 近年こそ従業員の態度はそこそこ良好にはなりましたが20数年前の東海銀行時代は最悪でした。 総じて高飛車な態度が目に付き、中には問いかけも無視して返事もしない従業員もいたほど。 エリート様がこんな田舎の支店で下民を相手にすることはプライドが許さないのか?と思えるほど高圧的な態度が目に付きました。 詳細は以下に書いてあります。 【2022年10月19日の日記「さよならUFJ」】 現在、ウチは取引上は法人普通預金があるだけでほぼお客様からの入金専用。 2件の機器リース代金と1件の不動産関連の引き落としがあるぐらいなのでここの支店が無くなっても特に不便はありません。 強いて言えば通帳記入ぐらい。 そちらは近隣の大型ディスカウント店内のATMでなんとかなりますが。 かつてこの銀行はウチにとってはメインバンクの存在でした。 しかし余りの不遜な態度に激怒し、同地域にある信金に借り入れ等の全てを移しました。 借り入れを全て他から借りて返済をすると伝えたその時の担当者の青ざめた顔、そしてこちらの考えが変わらなかったと判断した後のおよそ銀行員とは思えない言動と態度。 普通は長年お付き合いがあった顧客に対しては出ていかれたとしても感謝の気持ちと言葉ぐらいはあるでしょう。 しかし感謝するどころか親の仇のような態度を取られてしまいました。 言語化すれば 「借り換えをしようと思うことが間違ってる」 「だから商売は2代目が潰すんだよなぁ」 「借りてもらってるんじゃない、貸してやってるんだ」 「長年貸してやってたのに裏切ってさあ」 たとえ思ったとしても決して口に出してはならないことを語気を強めて言い放つ姿にこちらとしては怒りを通り越し、呆れ果て、憐憫の情が湧いてきました。 おそらく自分の担当案件の一つが他の金融機関へ流れてしまうことで営業成績が下がり、昇給や昇進に影響が出ると考えたのかもしれません。 だとしてもその時点ではまだ顧客である私に対して取っても良い態度ではないでしょう。 ウチは長年この程度の人間を雇うような欠陥銀行と付き合っていたのかと。 その担当者の人格に相当な問題があったかもしれませんがそれを許し、雇っている東海銀行という存在が許せませんでした。 あの当時は「貸し剥がし」という言葉が流行ったように、追加担保を要求されたり貸付停止をされたりと大変な目に遭った企業があり、それが元で破産する人や倒産する会社を見てきました。 TVドラマ「半沢直樹」の中で『雨の日に傘をとりあげ』という台詞がありましたがそれを実際に目にしてきた者としてはそのドラマの場面が嫌な思い出として蘇りました。 その後、言わば「泥舟」となった東海銀行は経営不振となって三和銀行に吸収されUFJ銀行に。 それがまた三菱銀行に吸収され三菱東京UFJ銀行に。 そして名称が少し短くなって現在の三菱UFJ銀行となっています。 東海銀行の転落を見るにつけ、やはり東海銀行をやめた私の判断は間違いがなかった。ここから抜け出すことが出来てよかった、と心底思いました。 あれから20数年。 当時トータルで3億円ほどあった借入金は今年の秋以降には1,000万円を切るところまで来ました。 1969年の創業以来、50数年に渡る長い長い借り入れ生活も再来年の夏には終了予定。 ここに来て減収減益で少々苦しい状態にはなっていますがゴールは残り僅か。 あの当時のことを思えばあっという間にその日が到来することでしょう。 サヨナラUFJ。 嫌な思い出ばかりだったね。 時期が来たら永久BANってヤツにして差し上げます。 その日まで朽ち果てぬようせいぜい頑張って下さいねー。 最終的にどうなろうが自らが招いたこととして大いに悔やんで下さいな。 そう、キミ達は お・し・ま・い・DEATH! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年01月19日 15時13分52秒
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