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カテゴリ:ファミリーコンステレーション
最近になって、
ファミリー・コンステレーションの創始者、バート・ヘリンガーの本を読み始めた。 もう1年も前から、手元にあって、 移動中や宿ででも読もうと、重い分厚いこの本を持ち歩いていたというのにである。 <熟成>って、 本にもあるのだろうか。 読みたいのに、1ページも開く事ができなかったというのに、 今、一気に読み進んでいる。 まるでその時がきたといわんばかりに、今! 面白い!!! 新酒のツンとした粗さが消えて、 芳香豊かに、細胞の隅々に染み渡る至福感。 読みながら、1年前のヘリンガーの優しい声を思い出す。 温かい全てを包含するような、ゆっくりとした口調を。 ドイツなまりの英語が、だんだん耳に馴染んで、 やっと最終日に、ヘリンガーに直接話しかけることが出来たのだった。 感謝の言葉を伝えずには、いられなかった。 樽に馴染むのに、わたしには歳月が必要だった。 スモークされた樽の年輪と芳香とが、 少しずつわたしの角を、和らげていく。 ワインは、樽から出て、空気に触れて初めて、美味しくなる。 ファミリコンステレーションの2期生トレーニングが、 終わりに近づき、その覚悟が定まってきたのだろう。 空気に触れる前に、存分に細胞の全てに染み込ませようと、欲が出てきた。 たくさんのコンステレーションを通して、 祈りの言葉の効力を、目の当たりにしてきた。 思い上がった子どもであることや、優越感が、 家族システムにどう影響しているかなど。 システムに欠けた存在がいると、バランスを保つために、 誰かが何かが、その穴埋めをしようとする。 その事実を知らない後世の人が、 理由もわからず身代わりになっているという、 コンステレーションを繰り返し見てきた。 この現象学的な視点が、大好きだ。 目の前に起きている事が事実で、 詰め込んだ知識など、幻想に過ぎないということを、 ファミリーコンステレーションは、 無言で提示する。 直視するのを抵抗していた幼いわたしも、 無駄な抵抗をやめることにした。 どのような魂のもつれであっても、 そこに深い愛があるのがわかる。 わたしのハートが、ぽんとひとまわり広がって、 システムから排除していた、愛する人たちの居場所が出来る。 その安らぎの中にいるとき、 強がる必要もなく、大きく見せようとすることもなく、 ただあるがままのわたし、等身大でいることの自由さを味わう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.08 12:47:35
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