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カテゴリ:子育てサロン
今朝のkokoroほぐしワークショップでは、
久しぶりに、石を使ったワークになった。 チェックインをして、みんなの言葉を聴いたら、急に石がひらめいた。 あれ?ずいぶん使っていなかったからか、 インスピレーションを抱いた石たちが、どこにいるのかわからない。 どこかに移動してしまっているのだろう。 探せなかったので、ちょっと予定ではないけれど、 このきれいな輝石たちを使うことに。 探している途中で、ふと、その輝石たちが呼んでいるような気もした。 結果、それらの輝石たちが、大活躍してくれることに。 今日は、わたしも含めて、みんな初対面のメンバー構成になったが、 参加者の名前を覚えるよりも、それぞれが手にとった石の名前のほうが、 しっかりと印象に残るほどの存在感になった。 それは、同時に、その石を手にしている人と重なって、 その人を見ると、石の色や形や微妙な傾きや透明度などが、 即座に思い出される 人をじろじろ見るよりも、石を観察するほうが容易だ。、 語っている間中、石を凝視し続け、さまざまな角度から観察し、 手に取ったときには気づかなかったことを、他の参加者とともに発見する。 それは、時には、用意していなかった言葉が、不意に出るように、 今まで自分だと思っていた、その概念すら、油断させて、 石が語らせてくれることがある。 口から飛び出した言葉に、自分でもびっくりするというように。 そんなハプニングに、みんなして、のっかかる。 その行く末が、どこにいくのか。 無責任に、オーセンティックに。 まるで、アクロバットのように、石たちが組み合わさる。 それは、見事な絶妙なバランスだ。 緊張したり、戸惑ったりしながらも、 繰り返すごとに、容易く、コツを得てくる。 全く持って困難だと見えたことが、 まるで、なんでもないかのごとく、ぽんと、すわる。 え? どうやらわたしたちは、 石からもっと、学ぶ必要があるようだ。 石を手に取りながら、わたしたちに主導権があると思うのは、 大きな誤算だ。 困り果てたとき、謙虚になったとき、 石は、教えてくれる。 本当のわたしが、望んでいることを。 意外なメッセージほど、その意味は深いのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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