街を歩けば、いつも怒っている自分に気づく。
電車のホームで並ばない人を見て。
幼い子そっちのけで井戸端会議に夢中になっているお母さんたちを見て。
車内で携帯を使う(通話)人を見て。。。
街を1kmほど歩く間に
私はいったい何回 腹を立てるだろう
何百メートルも後ろで通り過ぎた人のことを
いつまでも怒っている時もあって
ふと思う。
「私の怒りは いったい何を生み出すのだろう」と。
うつつに見えるものが
心の鏡だと言うのなら
怒りや毒を吐き続ける私の内面は
見えない何かに汚染されているのだろうか。
だから禊を受けるように
私は水辺に行く
安穏と癒しを求めて杜を歩き
木々との会話を楽しむ。
疲れたときは若狭に行って
竜宮の海を眺め、雲と話す。
ギラギラと陽が照りつける夏よりも
秋の海がいい。
空の蒼と海の青が溶け合って
竜雲や朱雀の雲が天高く泳ぎ、羽ばたくさまがいい。
若狭の里には 水と森も。
ゆらゆら揺れる秋の風の中で思い出す。
遠い昔に あの子と同じ銀色の夢を見たことを・・・
「いつまで そんなことをやっているんだ!」
ふと見上げた阿形の石像が 私を叱りつけた。
「心は穏やかですか?」
苔むした石仏に そう問いかけられて
「はい 多分・・・」
と、私は嘘をついた。
でも・・・
こんな場所で穏やかな気持ちにならなきゃ
私はかなりの重傷かも。
さいわい 感謝の気持ちがわきあがる
無駄に年を重ねてきたけれど
「ありがとう」くらいは素直に言えるようになった。
「心は穏やかですか?」
「ええ。もちろん」
そしてたくさんの人が
穏やかな光に包まれますように。
「私の怒りも愚痴も 何も生み出さない・・・」
大いなる流れではなくとも涸れることなく
人が潤い 癒され 清められる
この山の水のような人に 私はなりたい。
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