子供を通してきづき。
1/25(火)満月昨夜、夕飯を作っている時、私のかわいい息子ちゃんが食器棚の下側を開けて中にある食器を小さいかわいい手でオモイっきりガチャガチャガチャ!!とかき混ぜた。すぐに私と旦那は「フーイ!!」と声をかけて制止するが聞かず、そのうちにお茶碗を取り出して「エイ!」と下に投げつけたのだと思う。(よく見えなかった)きれいなグレーの塗りのお茶碗はみごとパックリと二つにわかれ、ぶあつい茶色の割れ目があらわれた。。 私はすぐに「こら!」と大声で叱声した。すると1歳半の息子はけなげにも泣きながら二つに分かれたお茶碗を持って懸命にくっつけようとするのだ。けれどもくっつかない。(当たり前なのだけど)怒って片方のかけらをもう一つのかけらに叩き付けさらにガチャ!3分割してしまった。それ以上お茶碗のかけらを持たせておくと危険なので割れたお茶碗を取り上げて「な!乱暴にしたらあかんねんで!戻らへんのもあるのやから乱暴にしたらあかんねんで!」とと叱った。息子ちゃんは泣いたまま「あい!」と言って両手を広げ、“抱っこ!”“おっぱい!”とせがんできた。私は正直、“おいおい、泣いてごまかしてたらあかんで」といいながら抱っこしておっぱいをあげた。(このつづきはまた後で)そのときの私の心境は“ふーっ、こんな時どうすればいいのだろう”だった。だめなことはだめと教えたい、という気持ちと、3歳までは叱ってはいけない、という話、まだ1歳半だしそんなに言ってもわからないだろうとか。ぐるぐると思い巡らせながら授乳をしていた。しばらくすると息子ちゃんは眠そうにしているので布団に入りおっぱいの続きをした。そして本当にどうしていいのかわからなかったのでプージェの心の声に耳を傾けることにした。(そう、昔はよくしていた)自分の気持ちを動かさないようにして、泉のように落ち着かせ、そしてプージェの背中に手をあてる。すると、プージェの気持ちを感じることができた。これは言葉にすると“さみしい”とか“つらい”とか。“むしゃくしゃして自分がどうしていいのかわからない。悪いことはわかっているんだけど、自分をどうしていいのか分からない。”それを聞いてそうだね、まだ1歳だものね。”と、思った。私は細かいことでも自分の計算通りに物事を進めたくて自分の子供が保育園に入って淋しいのに耐えていて家に帰ってきたとたん、かまってかまってというお母さんにかまってほしいと言う気持ち答えることなく、はい、次はご飯を作って、次はお風呂に入って、と。そうだね、人間は機械じゃないものね、と思った。 そのとたんに旦那のことが頭に浮かんできて、「ああ、旦那も同じなんだ。」と、思った。私の旦那は遠い外国から日本へやってきて今2年ほど。朝青龍がテレビで活躍するのをとても楽しく見ている。私はその後ろであんたも朝青龍くらい頑張り!そしたら日本語だってすぐにぺ~ラペラになる!とか思っていた。ある時、旦那は頑張りたいけど頑張れないんだと言った。その時のことを思い出していた。旦那も勉強をしなければいけないと言う気持ちはあっても淋しさといろいろなことでごちゃごちゃになって気持ちの整理がつかず本当にこうしなければいけないという道に進むことができないんだな、と思った。私はずっと自分の気持ちは自分で割り切って、やらないといけないことをやってくれ、私は忙しいのだから私に気持ちのサポートまで求めないでほしいと思っていた。でも、機械じゃないのだからそれは無理。進む速度は遅くなっても思い通りに進まないかもしれないけどカイラーサにいけるかどうかは神様が知っている。だからみんなの気持ちのメンテナンスもしつつ優しく、楽しく、進んでいこう。後のことは神様が知っている。これがアジアの道よ~!と思っていたのであった。(相手の心を感じ取る方法は近いうちにホームページの方にUPします。)(次回のテーマは「アジアの道!」乞うご期待!)