閣僚が国を糞まみれにする
きょうは確定申告の最終日。わたしも書類を鞄につめて自転車にまたがり税務署に行った。 一般庶民は、わずかでも節税にならないかと、領収書1枚を大切に保存する。中小企業は領収書の10年間の保存を勧告される。 一方で、国庫の財布にまるで盗人のように手をつっこんで平気の平佐をきめこもうとする閣僚もいる。「法に則って処理されていると聞いている。何等問題はないと承知している」と、かばう首相。この国は糞まみれである。税務署内でひそかに呟かれた「納税する気にもならん」という声をどう思う。 「政治資金規正法」という字面がどんな意味をもっているか。「規正」としているところがミソ。「規制」ではないのだ。「規制」には、「これこれをしてはナラヌ」という「縛り」があるものである。つまり罰則規定がともなうのである。ところが「規正」は、「悪いところがあったら改めましょう」というほどの意味である。罰則もあり、禁錮刑や公民権停止をともなう厳しいものにみえるが、細部にいたっては抜け穴だらけ、法律としてはいわゆる笊(ざる)法であると言ってよい。国会議員達が自分たちの利益、まさに私益にひとしい利益を守るために、まことしやかに、殊勝らしくつくった法律というわけだ。安倍晋三首相が言っている「法律に則って」というその法律の実質とはそういうものだ。笊法でも法律である限り、法治国家の大儀はたっているという首相の言い分である。 この国はじつに奇怪な国だ。国会議員が身を正すということを実質的には初めから要求していないのだ。悪行を容認していると言って決して過言ではない。国民の金(税金)を使っているのだから、鉛筆1本、消しゴム1個の領収書を提出するのが当り前のはず。事実、イギリスの場合はそうだと聞く。日本の場合、機会をみつけてここぞと思えば国庫の財布に汚れた手をつっこみたい、そんな人ばかりが国会議員になりたがるのかねぇ。 こんなことでは、国会議員関係法案の法制化は、国会議員にはまかせてはおけない。まったく新しい決議機関の設立を真剣に議論しなくてはならなくなるだろう。糞まみれの閣僚が横行する国では、笑い話が笑い話でなくなる。 税金の使途不明ばかりではない、いいですか、みなさん、農水大臣がですよ、「水道水など飲めない」と国会で答弁するのですよ。国民の命の水を、「飲めない」と言うのですよ。 「このバカ者が!」 安倍晋三はそう叱るべきでしょう。(後注) さきほど夜9時半に小説家の花輪莞爾氏から電話があり、いささかならず重い話を1時間ばかりしたところだ。その中で、私たちは、「死をめぐる」話をした。死の準備のかなり具体的な問題についてである。 しかし、電話をしながら私は、年をとればとるほど、糞まみれのこの国で安閑として死ねないという思いが強くなってくるのだった。 【注】松岡利勝農林水産大臣の事務所費不実記載問題 国会議員会館内に設けられている松岡利勝農林水産大臣の事務所費報告書のなかに水道・光熱費の名目で05年に507万円が計上されていることが発覚した。調査によるとこの費用は過去5年間に2.900万円が支出されていた。 そもそも議員会館内の水道・光熱費は特例によって「無料」である。他の議員事務所を調べたところ、いずれもその名目費用は計上されていなかった。松岡農水相の事務所だけが計上していたのである。 この点を追究された松岡農水相は当初、調べてみないと分らないと答えていたが、やがて某という還元蒸留水を購入して飲んでいると答えた。 民主党議員が松岡農水相の事務所を調べたところ浄水器は存在しなかった。松岡農水相は、ペットボトル入りの水で、1本5,000円のものを一日4本飲んでいると答えた。当初、調べてみないと分らないと言っていたのが、ここに来て、特殊な水を自ら一日4本飲んでいることが分ったようだ。 この1本5,000円という特殊性について追究されると、松岡農水相は「今の法制度下では、そこまで報告するということについては、差し控えさせていただきたい」と答え、つづけて「今、水道水を飲んでいる人は、ほとんどいないんじゃないですかね」と発言した。 この事務所費の不実記載を疑われる問題に対して安倍首相は「法に則って適切に処理されている聞いた」と答え、また政府側見解として、「1本5,000円の水に価値がある無しは人それぞれだ」と述べた。 この問題は、いったいどこに指弾すべき点があるのだろう? すべてにおいてである。 まず不必要な水道費を計上していること。松岡答弁の「1本5,000のペットボトル入りの水」は、水道・光熱費に当らないこと。それはむしろ「飲食費」に当り、そうなると松岡農水相はきわめて日常的な自らの飲食費を事務所費でまかなっているということになる。これはもちろん政治資金規正法違反とみなされなければならない。松岡利勝氏の日常的飲食費を国民が支払う必要等ないからである。政府側の見解は論点がずれている。あるいはわざとずらして目をあざむく狙い(国会議員にしろマスコミ記者にしろ、日本人は教育過程においてディベートの訓練が重要視されていないので、論点の違いをとっさに指摘して切り返すことが不得意である)。いずれにしろ問題は、松岡利勝氏が飲んでいる「水の価値」のことではない。 さらに、疑惑としてではあるがマスコミがすでに公然と言っているのは(TBSラジオ)、この、年に500万円見当、過去5年間で約2,900万円の金を松岡農水相は、「女」に貢いでいるのではないかということである。そういう疑惑が出るほどこの金の使い道が不自然だというわけだ。500万円以下という金額は領収書の提示が必要ないようで(随分国民を舐めた規定だ)、松岡氏の場合そのギリギリのところで計上されている金額なのである。文部科学省の「倫理倫理」という策謀じみた主導の裏で、こういう下劣なふるまいを疑われる人間が閣僚におさまっているのだ。 大臣の不埒で淫らなふるまいを、国民の金でつぐなっている、われわれ国民はいったい何者なんだ?