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カテゴリ:読書
北イタリヤの峻厳な山のなかに聳え立つ八角形の異様の塔は、ベネディクト派の修道院の文書館(図書館)。その内部の迷路と彩飾写本の山に驚喜したのは、もう23年も前になるのか!
ジャン=ジャック・アノー監督、1983年の映画『薔薇の名前』のことである。 パスカヴィルのウィリアム修道士とその弟子メルクのアドソが、修道院内で起った殺人事件をさぐって文書館に迷い込む。初めウィリアムは「あまりにも書物が少なすぎる」と訝る。しかし2回目に潜入して秘密の書庫の厖大な書物に行き当たったとき、「ヨーロッパのキリスト社会随一の図書館だ!」と感嘆した。 私は『映画の中の絵画』で『薔薇の名前』を取り上げ、中世の彩飾写本について述べた。そして14世紀フランスのもっとも豪奢な生活をしたベリー公爵ジャン(1340-1416)と、彼の注文によってつくられた美しい彩飾写本にふれた。 現存するそれらは、『豪華時祷書』(フランス、シャンテリー、コンデ美術館所蔵)、『美麗時祷書』および『ジャンヌ・ドゥヴローの時祷書』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館附属クロイスターズ所蔵)、『大時祷書』および『小時祷書』『詩編』(パリ、国立図書館所蔵)、『絢爛時祷書』(ブリュッセル、ベルギー王立図書館所蔵)、『ノートルダムの美麗時祷書』(パリ国立図書館、ルーブル美術館、チューリン美術館にそれぞれ分散所蔵)、そしてただ一枚の断片だけが残っている『サヴォワの時祷書』(ウィンチェスター主教の図書室所蔵)等々として知られる。 なかでも『豪華時祷書』は最も美しい。「人類の至宝」とさへ称される。私はその写真版美術印刷による完全複製本を所持しているが、大切な本でもあり大型なのでスキャンしてお見せするわけにはゆかない。しかしメトロポリタン美術館が刊行したクロイスターズ案内書に『美麗時祷書』の写真が載っているので、それを拝借してお見せしよう。 ところで映画『薔薇の名前』の時代設定は1327年であった。ベリー公爵の生まれる13年前ということだから、ほぼ同時代といってよかろう。『薔薇の名前』の文書館が「ヨーロッパ随一の蔵書量」を誇るということだが、この時代、書物はもちろん庶民にはまったく縁のないもので、教会や王侯貴族のためのものであった。〈知〉は占有されていたのである。 ベリー公爵ジャンは中央フランスの大部分を所有し、さらにランドックを統治していたので、その富は他のいかなる王侯貴族をもはるかに凌駕していた。彼の城は17カ所、パリの邸宅などを含めるとそれ以上あった。彼は美術家の偉大なパトロンであり、情熱的な蒐集家であった。『豪華時祷書』と『美麗時祷書』という2册のたぐいまれな美を制作した3人のラーンブール兄弟は、ベリー公爵という非凡なパトロンがいてはじめて、ジオットの『聖母マリアの生涯』やミケランジェロの『天地創造』に匹敵する世界とそれを表現する方法の美術的な大発見をしたのである。 ベリー公は寛大な人物であったが、美の蒐集にとりつかれていた。公爵は美しい本を愛した。それらは彼が購入したり、莫大な金をそそぎこんで制作を委嘱したり、贈物として受領したものである。彼の図書室はもともと兄のシャルル5世王によってルーブル城内に構成された。それほど大きくはなかったけれども、ベリー公爵の写本類の質の高さは全フランスの〈愛書家たちの王子〉としての地位を確立した。 ベリー公は、ラーンブール兄弟やその他の彩飾家たちが精魂をこめて制作する1頁1頁を、愛情をもって見守った。 彼の蔵書はフランスの作品ばかりではなく、『ロンバルドあるいはローマの彩飾写本の歴史』として知られるイタリヤの写本も含まれていた。というのも、公爵の司書を務めていたのはミラノ人の彩飾家ピエトロ・ダ・ヴェロナで、彼は自分の作品を公爵に売るためにフランスにやってきてそのまま司書として奉仕するようになったのだった。 財産目録によって現在知られている公爵の蔵書は、世俗の著作とそれをしのぐ41巻の歴史書や38巻の騎士物語。それらはベリー公の現世への関心を証明している。また自然現象への関心を示す本もある。マルコ・ポーロ『旅行紀』、ゴッサン『世界の似姿』、アリストテレス『クール論』、ニコラ・オールスム『天球の書』、『オリエント世界の花』、3点の『世界地図』、『予言の書』1册、『七つの惑星に関する論文』1册。そして厖大な宗教的な書物---14巻の聖書、16巻の詩編、18巻の聖務祈祷日課書、6巻のミサ典礼書、そして上記の美しい写本を含む15巻の時祷書。 ・・・これで158巻。この蔵書量を多いとみるか少ないとみるか。14世紀という時代感覚ではとてつもない量といえるだろう。しかもそれら1巻の1頁1頁が細密な彩飾がほどこされていたばかりではなく、贅沢な絹やビロードや赤革で装丁され、表紙の留具は琺瑯細工や真珠や貴石、またしばしば管状飾で仕立てられているのである。 ベリー公爵より300年後の劇作家モリエール(1622-1573)の蔵書が約350册だった。これはスーリエがモリエールの蔵書目録を発見したことでわかった、とA・ラングは書いている。モリエールの死後、未亡人がガラクタとして処分してしまったので今や幻の蔵書である。ラングは、いまならそれらの本と同じ重さの金塊の値段に匹敵するだろうと言っている。モリエール夫人は、夫が本を愛し集めることにまったく関心がなかったばかりか、日頃から腹に据えかねていたのかもしれない。アンリ2世とその愛人ディアヌ・ド・ポアティエが愛書家ということで一心同体だったのとは大違いだったのだろう。 それはともかく、300年のへだたりをもってベリー公の158巻とモリエールの350册の蔵書量をくらべてみるのは、時代を想像するためには無駄なことでもないかもしれない。『薔薇の名前』で修道士ウィリアムが「ヨーロッパ随一の蔵書」と言うその事実の程を推測することもできよう。私たちはとかく現代の状況から物事を見てしまいがちだから。 ・・・というわけで、これは「フランスの愛書家」のひとつの余話である。 【おまけ】 下の写真は、現代の世界遺産、メルク大修道院のベネディクト会修道士大図書館。 『薔薇の名前』のメルクのアドソ少年(アドソ・フォン・メルク)は、この地の貴族の子弟という設定だったが、さらにメルクが中世における知と写本のおおきな集積地であったことが小説の、ひいては映画の伏線になっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 17, 2018 09:09:49 AM
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